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高等教育の明日 われら大学人
<46>東芝から実績・経歴買われ東北芸術工科大学副学長
東北芸術工科大学(根岸吉太郎学長、山形市)は東北唯一の芸術系大学として1992年に開学。芸術学部とデザイン工学部の二学部に約2400人の学生が学ぶ。片上義則さんは、デザイン工学部プロダクトデザイン学科教授で、副学長と学部長も務める。武蔵野美術大学造形学部を卒業後、東芝に入社、デザインセンターで空調・映像・家電機器などのデザインを担当、デザインセンター長を務めた。その実績と経歴を買われて転身した。実学を重んじる大学の教員は、民間企業からの転身組が多い。片上さんも当初は、「これまでの経験をロジックにして伝えることの難しさ」に呻吟した。それが、いまでは「大変だが、おもしろいし、やりがいもある」と変わった。副学長として目下、最重点に取り組んでいるのは就業力の向上だ。「芸術系大学だからという、甘えは許されない」と話す片上さんに半生と、民間と大学の違いや大学改革、現代学生気質などを聞いた。
就業力向上に取り組む
企業は商品開発 大学は人間開発が大事
東北芸術工科大学のキャンパスは、芸術系大学を象徴する。ユニークな三角屋根の本館を中心に、左右に図書館、学生会館。前面には広大な池、それらを囲むように最新の機器を備えた工房をもつ美術棟、デザイン棟、体育館などが並ぶ。
芸術学部は、文芸学科、文化財保存修復学科、歴史遺産学科、美術科、デザイン工学部は、プロダクトデザイン学科、建築・環境デザイン学科、グラフィックデザイン学科、映像学科、企画構想学科、コミュニティデザイン学科からなる。
東北ルネサンス掲げる
山形県と山形市が各100億円ずつを支出して設置した日本初の公設民営方式の私立大学。「東北ルネサンス」というスローガンを掲げる。まず、副学長の立場で、東北芸術工科大学を紹介してもらった。「『東北ルネサンス』のスローガンは、地域社会と共生しながら、地域の歴史や文化に育まれた精神と叡知を理解し、新しい世界観の創生へと結集させて次世代に手渡す、決意でもあります」
「人類の良心による芸術と工学の運用によって、社会に貢献する人材を輩出する」という教育目的について。「国際化が進み共生が叫ばれる現代においてこそ、見直されるべき日本人のアイデンティティーを探る手がかりが、地域性の中に秘められているという考えが教育目的に引き継がれています」
片上さんは、1951年、広島県に生まれた。男3人の子どもの一番下。「父親は大工の棟梁でした。家には7人の職人が住み込み、小さい頃は現場に行って材木の切れ端で遊んでいました。中学、高校時代は父の仕事を手伝っていました」
育った環境が、ものづくりの世界だった。職人に憧れていた。「雨が降ると休めるし、建前があると菓子折りなどがもらえるし…。しかし、高校生になった頃、感じ取った。「職人たちは独立していなくなり、父親も引退、職人の時代でなくなった」
そして、高校3年になって進路を軌道修正した。「家具を作ったり、店舗の設計に興味がありました。大学ではインテリアデザインを学びたい」と、武蔵野美術大学造形学部工芸工業デザイン学科に進んだ。
「3年からデザイン学科は、インテリアデザイン、工業デザイン、クラフトデザインの3コースからどれかを選ぶのですが、迷いなくインテリアデザインに進みました」
大学3年の就活で一波乱あった。三越百貨店の室内装飾部に内定をもらった。ところが、第2次オイルショックの影響で、その部門が廃止された。営業部を薦められたが、「営業には向かない」と内定を辞退した。
4年になっても求人はなく、「屋台でも引っ張ろうか」と思っていた矢先、東芝から「インテリア系の学生が欲しい」と追加募集の知らせ。「大学で学んだインテリアデザインが活かせると応募、運よく合格しました」
1975年、東芝に入社。東芝時代の一番の思い出は?「若いとき、電子レンジを北米、欧州向けに開発しました。日本製の1.5倍の大きさで取り扱い表示も日本製と違います。海外に出張し、現地でプレゼンして売り込みました。『ジャパンアズナンバーワン』の時代、日本のグローバル化の始まりを体験できたことですかね」
2009年に東北芸術工科大学に来たのは?「東北芸術工科大の学生を採用したこともあって、定年前、数回にわたって講演を行いました。そんな縁もあって声をかけて頂きました」
プロダクトデザイン学科は、製品デザイン、家具、インテリアの三コースがある。生活を支える家電や自動車、家具はもちろん、インテリア雑貨や照明、文房具、靴などを通してこれからの暮らしを生み出すデザインを学ぶ。
「共感や感動に繋がるモノをデザインする上で必要なのは、『モノ』だけでなく、『コト』も考えること。使いやすい形や優しい機能など、形や色、素材が持つ意味や目的を理解するため基礎から学習し、徐々に実践的な専門演習へと展開していきます」
講演と講義の違いに悩んだという。「講演は自分の経験を中心に1、2時間話せば済むが、講義はそうもいかない。自分の経験をロジック立てて伝えるだけでなく、講義内容が一般論として正しいか、学生の知識として通用するか、考えました。デザインとは何か、から勉強し直し、自分のロジックは間違っていないことを確認してから授業に臨みました」
今の学生はどうですか?「私たちは、貧しい、辛い、苦しいという時代を体験してきました。これらの言葉が今の学生の辞書にはないのです。サトリ世代と言われるように現状維持願望型が多く、社会生活にリアリティーが持てない。希望やビジョンを持つことが大事なことを翻訳して伝えないといけないのが歯がゆい」
大学はやりがいもある
大学は「おもしろいし、やりがいもある」と話した根拠は?「企業で大事なのは商品開発ですが、大学のそれは人間開発だと思います。学生が自分の人生をデザインしていく、それを手伝う事が出来るのは、おもしろいし、やりがいもあります」2010年、デザイン工学部長、12年、副学長に就任。「副学長に、デザイン工学部長を務め実績のある片上教授を迎えることで、芸術やデザインの特徴を生かし、社会人力を高めるカリキュラムを充実させる狙い」と当時、地元紙は報じた。
副学長として教育改革
副学長になって、まず取り組んだのが教育改革だった。「優秀な学生を育てて送り出すには、どうすればいいか」。『育成すべき人材像』というタイトルで、身につけるべき力と能力要素などを具体的な形にした。身につけるべき力として、①本質を見ようとする姿勢、純粋な目=想像力、②想いを形にできる力=創造力、③問題提起と解決への強い意志=意志、④社会的・職業的自立のための能力・態度=社会性の四つをあげ、数値化した。「改革のねらいは、就業力の強化です」
かつて、本欄で取上げた東京芸術大学の宮田亮平学長が、芸術系大学の就職について、「本学の就職率は10%です。残りの90%は自分の可能性に就職しているんです」と話したことを思い出した。この話を伝えると、きっぱり述べた。
「芸術系大学だからといって、就職率が低くてもいい、ということにはならない。うちのような芸術系大学は、④の社会性が弱く、逆に②の創造力は高い。強みを活かし、弱みを強くして、優れた学生を社会に送り出したい。達成度は、学生の就職率で見ていきたい」。民間出身の大学教授(副学長)の自負と矜持と受けとめた。