特集・連載
高等教育の明日 われら大学人
<31>元NHKアナウンサーは十文字学園女子大特任教授
好本 惠さん
元NHKアナウンサーだが、いわゆる女子アナとは一線を画す。好本惠さんは現在、フリーアナウンサーとして活動しながら、十文字学園女子大学(横須賀薫学長、埼玉県新座市)特任教授として講義を持つ。体験に裏打ちされた、わかりやすい授業は学生に人気だ。傍ら、NHK文化センター、NHK学園などの講師を務める。2010年から、LLP(有限責任事業組合)「ことばの杜」のメンバーとして社会貢献活動にも携わる。「子どもの言葉を育てる必要がある」という。元NHKアナとしての責務と矜持に思える。かつて、NHK俳壇の司会をしたこともあり自ら俳句をたしなむ。大学時代にあった山口青邨の俳句研究会に気づかなかった。「もし参加していたら少しはましな句が詠めたかも…」と謙遜する好本さん。彼女の句を織り交ぜながら半生と、現在の活動、学生に贈る言葉などで紡いだ。
貢献と学びを忘れずに
学生に贈る言葉 夢中になれること見つけて
昔スチュワーデス、今女子アナ。女の子の憧れの職業だ。かといって、女子アナを、ひとくくりすることはできない。生い立ちから聞くことにした。
東京都杉並区で育った。幼い頃のあだ名は「きんぎょちゃん」。「赤いワンピースを着て、二人の兄や友達と空き地や近所を泳ぐように遊びまわっていました」。夏休みには秋の虫が鳴きはじめる頃まで祖父母のいる長野で過ごした。
ちちろむし祖父のあぐらの中に聞く 惠
小学校、中学校と地元に通う。「学校の行事などが好きで、何より表現することが大好きでした。小学校の通信簿に『いつも楽しいことの中心にいる』と書かれました」。中学では、勉強もしたが生徒会や放送部、バレー部などに積極的に参加。
初アナウンスは中学で
「生徒会副会長として運動会で司会をしたのが人生で最初のアナウンスでした。『失敗したら失礼しましたと言えばいい』と父に励まされましたが、案の定『失礼しました』と大きな声で言ってしまいました」東京都立立川高等学校に進学。1年生の秋に立川高校でも学園紛争が起きて、学校はバリケード封鎖された。「連日全学集会があり、何が行われているのか分からぬまま、自分の意見を強く語る先輩や級友が眩しくみえました」
東京女子大学文理学部日本文学科に進む。「自宅に近かったので…」。テニス部、メサイア、茶道、華道、書道などに興味を持ちチャレンジ。「女子大のよさは力仕事でも学園祭でも、なんでも自分たちでやること。共学では味わえません」
大学で働く先輩たちの姿をみて自分の将来を思った。「教授、事務、図書館の司書、キャフェテリアの職員、皆卒業生。『ワーク・ライフ・バランス』が一般的でない時代に、ごく当たり前に結婚し家庭を大事にしながら、自分の能力をコツコツと磨き社会で活躍していました」
彼女たちの姿は、その後の人生の選択をしなければならない時に役立った。就職するときは、女子大生の就職氷河期。でも、「言葉を大切にし、何かを創る仕事がしたい」と出版社を中心に46社にアタックした。
「大学の就職課に勧められて、NHKアナウンサーを試しに受験しました。600倍の倍率で自分には縁がないと思っていましたが、幸運にも合格。一生の仕事がしたかったし、大好きな仕事に巡り会え、大喜びしました」
1976年、NHKに入局。東京アナウンス室、大阪放送局に勤務。「大阪には2年間いましたが、関西の文化に触れながらアナウンスの基礎を学びました」。東京に戻ってすぐ、大学テニス部の先輩の弟と結婚。NHK勤務は5年だった。
2年間米留学を体験
夫の留学に伴い、82年から2年間アメリカで暮らす。コーネル大学で日本語教育法を学んだ。帰国後、フリーアナウンサーとして放送大学やNHKの番組に司会者として出演。02年から早稲田大学教育学部で非常勤講師を務めた。「本格的に仕事を再開したのは2人目の子どもが2歳になった37歳の時。幸い、NHKの番組では『すくすく赤ちゃん』、『NHK俳壇』、『TVシンポジウム』といった、いつも自分の年齢、成長とピッタリな仕事に恵まれました」
どの現場でも素晴らしい出演者やスタッフに恵まれた。「放送の仕事は、究極のチームで何かを創造する仕事。いつも温かい言葉を皆から頂いてきました。達成感と批判もあるけれど反応が楽しくて面白い。この醍醐味は他では得られません」
あたたかきことばの花束(ブーケ)受けてをり 惠
大学で教えることになった経緯は?「大学の先輩が急遽、引き受けられなくなって…」。現在、十文字学園女子大学特任教授として、「音声表現コミュニケーション」、「音声表現論」、「ナレーション」などを担当している。
学生を教える『恍惚と不安』。「大学で教える機会をいただいた時は、長年コツコツと研究をしてきたわけでもない自分に出来るだろうかと不安でした。でも、スピーチやインタビューなどを授業に取り入れたり、これまでの自分の体験が役立っているのかな、と」
「若い学生と心が通ったのを実感するときはたいへん嬉しいです。日本語を使って自分の思いを正確に伝えられ、良い人間関係を築くことが出来る学生が巣立っていくよう、きめ細かくアドバイスをしていきたいと常に思っています」
研究生かした地域貢献
十文字学園女子大学には幼児教育学科があり、敷地内に付属幼稚園がある。キャンパスで大学生に混じって遊ぶ子どもたちの姿を見て考えていることがあるという。「研究や専門性を生かして地域貢献につなげられないだろうか」。「大学生、子ども、親、地域の大人が一緒に体を動かしたり、読書会や朗読会を共にしたり、イベントをしたり…。こうした活動を大学がサポートすることで閉塞的な現在の子育ての風通しがよくなり、子どもをめぐる様々な問題の解決につなげていけたら…」
キャンパスに幼な子走り冬ぬくし 惠
「ことばの杜」(山根基世代表)には、7人目のメンバーとして参画。山根代表のほか、松平定知、広瀬修子、宮本隆治らの各氏がいる。子どもたちの言葉を育てたいと朗読会や教材作りなども行っている。4月8日には東京文化会館で「グリム童話」を朗読する。
「ことばの杜」でも活躍
「ことばの杜」の意図。「NHKアナウンサーは、放送開始から87年、日本の話しことばを担ってきました。これまで蓄積してきたものを社会に還元する意味でも、私達には『子どもたちのことば』を育てる責務があると考えています」
大学で教える今、この十文字学園歌が気に入っているという。
身を鍛へ心鍛へて世の中に立ちてかひある人と生きなむ 斯波 安
「この歌に込められた建学の精神、そして明治の女性創立者達の心意気に心が洗われる思いがします。世の中で社会に貢献しない仕事はありません。貢献と学びはいつまでも生き生きと若々しく過ごすために大事な要素だと思っています」
大好きな学生に贈る言葉。「どんな状況になっても自分らしく社会と関わっていくために、学生時代に寝食を忘れるほど好きなこと、夢中になれることを見つけてほしい。その方向だけでも見つけることができれば、社会に出てからいくらでも学べると思うんです」
こう続けた。「仕事は喜びを与えてくれるだけでなく、とても辛いことがあった時に私たちを助けてくれます。責任を伴う仕事を懸命にしているうちに辛さは少しずつ薄らいでいくと思います」
人生の小春日和を人と 会ふ 惠