特集・連載
高等教育の明日 われら大学人
<30>テレビ出演や講演で活躍東京海洋大客員准教授
さかなクン
とにかく人気者だ。魚に関する豊富な知識で知られ、テレビ出演や講演、著作活動など幅広く活躍している。さかなクンの肩書きは、魚類学者、イラストレーター。こうした華々しい活動をする一方、2006年から東京海洋大学(岡本信明学長、東京都港区・江東区)客員准教授を務める。数奇な人生だ。小学校の卒業文集に「(将来の夢は)水産大学の先生になること。研究したことを、みんなに伝えてあげたい」と書いた。子どもの頃の夢を実現した。只者ではないのだ。2010年、“田沢湖で絶滅した”と思われていたクニマスの再発見に大きく貢献した。優しい人だ。06年、朝日新聞のいじめ問題を取り上げた欄にエッセイを寄稿。いじめをめぐる自身の体験と魚たちの観察から得た知識を織り交ぜた一文は大きな反響を呼んだ。そんな型破りで明るいさかなクンを直撃した。
「一魚一会」を大切に
クニマス再発見に貢献 いじめで愛情ある発言
どうしても聞きたいことが二つあった。「ギョギョ」を交えたハイトーンな声は?「小さい時はもっと甲高かったそうです。いまでも、タクシーに乗って行先を言うだけで『その声はさかなクンだね』と言われます。この声を聞いて『元気をもらった』という人たちに背中を押されています」
頭にハコフグの帽子をかぶるのは?「10年くらい前、テレビ局の関係者から『(さかなクンの)印象が薄い』と言われたのがきっかけ。水槽の中で、他の魚に迫害されながらも懸命に泳ぐハコフグに元気をもらおうと…」
東京都で生まれ、神奈川県綾瀬市で育ち、綾瀬市立北の台小学校、綾瀬市立北の台中学校に学んだ。どんな子どもだったのか。
「目立たず、おとなしく絵を描くのが大好きな子供でした。最初は、トラックやゴミ収集車の絵を描き、その後、水木しげる様の妖怪の絵に惹かれました。絵は線で描くものと思っていましたが、水木しげる様のイラストは点がもとに絵になるのに驚きました」
魚との出会いは絵から
魚との出会いも絵が引き金になった。「小学2年の時、友だちにタコの絵を見せられ、『なんだ、この生き物は?』と学校の図書館で調べました。魚屋に行けばタコが見られる、と母に連れて行ってもらい、イイダコを買いました。家で吸盤を数えながら絵にしました」親戚が千葉・白浜にあり、毎年夏休みには出かけた。「タコを探したけど、見つからなかった。その代わりに様々なお魚を見つけて図鑑で調べ、カエルウオ、キタマクラといった魚名がわかり、それを絵にするのが楽しみでした」
中学時代にさかなクンは進化する。吹奏楽部に入部した。「魚の水槽の部だと思ったら音楽の吹奏だった」と真面目に語った。中学3年のとき、学校で飼っていたカブトガニ19匹の人工孵化に成功。新聞にも取り上げられた。
カブトガニを人工孵化
「水槽が狭くてかわいそうだ、と大きな水槽を母にねだって買いました。育て方は、水族館の飼育員の方に聞いて理科室で大事に育てました。放課後に餌をやったりするのに便利だからと、吹奏楽の練習は理科室でやりました」神奈川県の高等学校に進む。高校3年のとき、テレビ東京系の番組「TVチャンピオン」の全国魚通選手権で準優勝。同番組で5連覇を達成する。
同高を卒業したあと、「魚の研究をもっとしてみたい」と東京・渋谷の動物専門学校に進んだ。夏休みに静岡と東京の水族館で実習した体験は今の仕事にも役立っています」
専門学校卒業後は熱帯魚屋やすし店など魚関係の仕事を転々とした。「すし屋さんで働いていた時、大将から店内にお魚のおイラストを描いてくれと頼まれました。マグロやマンボウを描いた絵が評判となって、他の料理屋からも注文が来ました」
このことが、テレビのドキュメンタリー番組になった。「この番組を見ていたのが現在所属する事務所の会長さんです。水族館での絵の展示や雑誌にイラストを描く仕事が来るようになりました。お魚への理解を世に広めるのが仕事になった形です」
魚への理解を広める際、気をつけること。「お魚を見たときの印象、触ったときの感触、鼻を近づけて嗅いだときの匂い、食べたときの味など五感で感じ取った感動を、リアルに正確に伝えるよう心がけています」
東京海洋大学客員准教授に就任した経緯。「マグロのシンポジウムで、隣り合わせた刑部副学長先生から『うちの大学で一緒に研究できたらいいね』とお声をかけて頂きました。その後、就任要請を頂き、ギョギョ、ほんとうに信じられないことでした。大学の先生は自分にとって憧れでしたから」
情熱あって明るい学生
昨年は前期に毎週講義を持っていたが、今年は特別講義や学園祭などでの講演、他大学での出張講義をしている。東京海洋大学の学生はどうですか?「みんな目的を持って入ってきているので、情熱があって明るい。自分も負けてはいられない、と元気をもらっています」こう付け加えた。「大学で教育研究できるという貴重な機会を頂きました。学生に負けない向学心を持って、もっと学び、もっと研究して、論文をまとめるなど何か形に残したい」
絶滅したと思われていたクニマスの再発見。「京都大学の中坊徹次教授からイラストを依頼されました」。近縁種のヒメマスを参考として各地から取り寄せ、細部へのこだわりは凄まじく、魚の背びれの棘の数、鱗の数、側線にあいている穴の数にいたるまで正確に再現した。
天皇陛下からお言葉
クニマスの発見では、天皇陛下に会見で名前を直接挙げられ褒められた。魚に詳しい天皇陛下は、2010年の会見で、「この度のクニマス発見に東京海洋大学客員准教授さかなクン始め多くの人々が関わり、協力したことをうれしく思います」と述べられた。魚の料理や魚を食べることも好きだ。「あまり見かけない魚はとにかく食べ、その際は骨まで食べ尽くします。一生懸命生きているお魚たちのパワーを頂くからには、食べ残さず骨まで美味しくいただくのが一番の供養です」
いじめの一文は大反響
そうそう、「いじめ」のエッセイは、朝日新聞が連載した「いじめられている君へ/いじめている君へ」に寄稿。要約する。こんな書き出しで始まる。〈中一のとき、吹奏楽部で一緒だった友人に、だれも口をきかなくなったときがありました。いばっていた先輩が三年になったとたん、無視されたこともありました。突然のことで、わけはわかりませんでした〉
こう続ける。〈さかなの世界と似ていました。たとえばメジナは海の中で仲良く群れて泳いでいます。せまい水槽に一緒に入れたら、一匹を仲間はずれにして攻撃し始めたのです…〉、〈広い海の中ならこんなことはないのに、小さな世界に閉じこめると、なぜかいじめが始まるのです〉
広い海に出てみよう
こう締め括る。〈大切な友だちができる時期、小さなカゴの中でだれかをいじめたり、悩んでいたりしても楽しい思い出は残りません。外には楽しいことがたくさんあるのにもったいないですよ。広い空の下、広い海へ出てみましょう〉さかなクンの夢は、どんなだろう。「小さいときから思っていたのが、いま、やっていることです。お魚の無限にある魅力をどう表現し、伝えていくか。これを仕事にしている僕は幸せ者です。お魚からもらう感動は無限大です。お魚を通して人の輪が、もっと広がったらいいなあ」
さながら、広い空、広い海のような夢。さかなクンは、大きな眼を輝かせ、あのハイトーンな声で締め括った。「これからも一魚一会(一期一会)を大事にしてやっていきたい」