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高等教育の明日 われら大学人

<25>がん病理学の第一人者はテノール歌手でも活躍
  米澤 傑さん(62)

 病理医として,国際的に注目される論文を数多く発表しつつ、テノール歌手としても世界的な評価を受けている。米澤 傑さんは、医師と音楽家という二つのプロの仕事を当たり前のようにこなしている。第九九回日本病理学会総会で「ムチン:ヒト癌における臨床病理学的意義と遺伝子発現機構の解明から腫瘍悪性度早期診断システムの構築まで」の研究によって病理学で最も名誉ある「日本病理学賞」を受賞。がんマーカーに関する論文数で世界第6位(日本人トップ)となった。音楽では、鹿児島大学医学部の学生時代から本格的に声楽の訓練を始め、30歳代でオペラ「蝶々夫人」や「カルメン」の主役を演じ、05年にはイタリアと日本でオペラ「トゥーランドット」のカラフ王子を演じた。「音楽と医学で,どちらが面白いかといったら,医学です」、「音楽を続ける理由のひとつは,あの緊張感」。米澤さんに医師と音楽家の二役の恍惚と不安を聞いた。

ムチンを研究 「日本病理学賞」を受賞
CDも大好評 伊と日本でオペラ公演

 1950年1月、徳島県鳴門市に生まれた。両親とも教員だった。どんな子どもでした?「学芸会で桃太郎役をやったりしましたが、おとなしい子どもでした。声は大きく、母親から『もう少し、小さな声で話しなさい』と言われていました。父はピアノをやっていましたが、私はやっていません」
 半生は、おいおい紡ぐことにして、まず、医学分野から聞くことにした。研究テーマは、ヒト癌の産生するムチン抗原と癌の生物学的悪性度の関連性、わかりやすくいうと、腫瘍性ムチン抗原を標的にした難治性癌早期診断法の確立。
 丁寧に説明してくれた。「胃癌、大腸癌、食道癌は、早期発見であれば助かります。内視鏡による検査で癌をみつけ、取れる時代になりました。しかし、膵臓癌や胆管癌は早期発見が困難で、手遅れになることが多い難治性癌なのです。
 こうした難治性癌の病態形成に重要な役割を果たす『ムチン分子』に注目、分子レベルの解析を行うことで、ムチンに悪玉、善玉、早期マーカーがあることを突き止めました。これらを応用して難治性腫瘍の早期診断法の開発を行っています。マーカーとは、癌を見つけ出す指標です」
 こうした研究が、「日本病理学賞」受賞につながった。今後、臨床検体の症例を多く蓄積することで癌の早期発見はもちろん、発癌リスク診断にも応用できる診断システムを構築できるという。
 米澤さんのがんマーカーに関する論文数は、このほど、「世界のがんマーカーに関する技術動向調査・分析」(日立技術情報サービス)で、世界で第6位、日本人でトップであることがわかった。
 「日本病理学賞受賞は、私の30年間にわたるムチン研究に関するライフワークのひと区切りと受け止めています。がんマーカーの論文数で世界6位にランクされたことは地道な研究が評価されたという意味で素直に嬉しかった」
 医学の道に進んだ理由。「医学に強い志を持っていたのかというと、決してそうではないんです。文系も理学系も工学系も苦手、消去法で『医学部でも受けよう』となりました。いつも消去法で残ったものを選択してきたんです」
 病理を選んだのは?「卒業してまず麻酔科に行き、そのあと泌尿器科の大学院に入ったんですが,泌尿器科の教授が『君は病理をやれ』と言われて腎盂腎炎、その後、大腸癌や食道癌を研究。アメリカへ留学して,そこで膵癌の培養細胞をやったのが礎になりました」
 声楽との出会い。「中学校のとき、音楽の先生から合唱を勧められました。中三の時、徳島県の独唱の大会があるから出てみなさいと言われて出たら意外といい成績でした。自分も歌えるんだ、と思いました」
 高校時代は、音楽部に入り、文化祭でミュージカル「マイフェアレディ」の総監督兼テノールのフレディ役をやった。「当時全国的コンクールの意味合いを持っていたNHKのど自慢の『歌曲の部』で県大会で優勝、四国大会で2位になりました」
 大学では、合唱団に入部。「合唱の練習で、私が歌うと『声が飛び出す』ので、合唱はやめて独唱に変えました。鹿児島市内の声楽の先生のレッスンを受けたり、大学の教養課程の音楽のピアノ室で、ピアノの伴奏を頼んで練習しました」
 このピアノ伴奏をしてくれたひとりが、妻の悦子さんだった。悦子さんは、現在、ピアニストからソプラノ歌手へと転向。音楽面からも夫を支える。9月28日には、「米澤傑・悦子デュオコンサート」をかごしま県民交流センターで開く。
 鹿児島大学医学部2年生から本格的に始めた声楽の訓練が、やがて開花する。30歳代前半でオペラ「蝶々夫人」や「カルメン」の主役を演じ、30歳代半ばで、「かごしま県民 第九」のソリストをした。
 故郷の徳島県鳴門市で「第九」のソリストをしたさい、共演した世界的ソプラノ歌手の松本美和子さんから「イタリアでのテノール歌手としてのデビュー」を勧められた。「この頃から、世界的に著名な指揮者や音楽家と一流の劇場で共演するようになりました」
 2004年10月、CD「誰も寝てはならぬ / 米澤 傑 テノール・オペラアリア集」(ジョヴァンニ・ディ・ステーファノ指揮・ソフィア国立歌劇場管弦楽団、YouTube 米澤傑)をリリース、現在も好評発売中だ(「楽天市場 米澤傑」検索)。発売までは大変だったでしょう?
 「プロの音楽家と違い、本職があるので時間が限られます。このCDは、GWを利用してブルガリアのソフィアで録音。オペラが12曲、カンツォーネ3曲、全部で15曲ありますが、普通は1~2か月かけるのを,たった4日間で、15時間で録りました」
 医学と音楽の両立について。「医学を捨てて、音楽に専念しようと思うことはありません。どちらが面白いかといったら医学。病理一筋にしたほうが仕事もたくさんできるのですが…。音楽を続けるのは、本音を言えば、僕がやらなければ、誰かほかの方がテノールを歌うでしょう? それが悔しい。それだけなんです」
 米澤さんの鞄には、常に楽譜と論文が入っている。音楽と医学は似ているという。「テノールは、五線譜より上の高い声を出します。お客さんは、この“聴かせどころ”の一瞬を待っています。クリッとなったらどうしようもない。だから恐いし、リスクも大きい。リスクがあるほど、それができたときの歓びは大きい。いつもは本当に苦しいばかりで、うまくいったときの一瞬だけホッとするんです。“ブラボー!”とともに万雷の拍手がくる、その一瞬だけです」 
 医学の研究も似ているという。「苦労して研究して論文を書いて国際雑誌に投稿してもなかなか採用してくれません。門前払いの『reject(不採択)』のことも結構あります。レフェリーのコメントに従い追加実験や書き直しをして再投稿を繰り返し、『accept(採択)』の電子メールに『We are pleased to inform you…』と書いてあるのを読んだ瞬間、それは、うまく歌えて“ブラボー!”がくる一瞬と同じです」
 最後に、米澤さんの夢を聞いた。「夢といっても、現実があり、仕事がある。目の前のこと、そのひとつひとつを無事に切り抜けていくこと、日々の積み重ねしかありません」と学者らしく理路整然と語る。
 目の前のことのひとつ。音楽分野では、9月13日、東京のサントリーホールで開催される「忘れないで 3・11 震災から553日目に贈るコンサート」。米澤さんは、ソプラノの澤畑恵美、メゾソプラノの林美智子、バリトンの河野克典らとともにモーツアルト「レクイエム」のソリストとしてステージに立つ。きっと、“ブラボー!”と大きな拍手が起こるだろう。
 医学分野では?「鹿児島大学など地方の大学の学生に言いたい」と切り出した。「がんマーカーに関する論文数で世界第6位になったように、地方の大学でもアイデア、独創性があれば東大や京大に伍してやっていける。どういう状況に置かれても、わが身を削りながらもコツコツやることが大事だと思う」。米澤さんは、夢を学生たちに託すのだった。

 

 よねざわ すぐる

  徳島県鳴門市出身。鹿児島大学医学部卒業。現在、同大学教授(人体がん病理学)を務める。専門分野は、人体病理学、免疫組織化学、ムチンの遺伝子発現。2010年、「日本病理学賞」を受賞。日本病理学会(評議員)、日本組織細胞化学会(評議員)、日本癌学会など。テノール歌手として、イタリアと日本で、オペラ「トゥーランドット」(全3幕)主役のカラフ王子を演じるなど活躍。日伊声楽コンコルソ入選、太陽コンコルソ・カンツォーネ・イタリアーナ優勝。日本クラシック音楽コンクール第1位グランプリ。1998年度鹿児島県芸術文化奨励賞受賞。