特集・連載
大学は往く 新しい学園像を求めて
<86>英語を使いこなせる人材育成
世界を舞台に活躍めざす 批判的思考力も養う
沖縄キリスト教学院大学
普遍的真理・人類愛・平和を希求する人材の育成が目標である。沖縄キリスト教学院大学(中原俊明学長、沖縄県西原町)は、2004年、既存の短期大学の教育理念をさらに継承・発展させる4年制大学として設立された。人文学部英語コミュニケーション学科の1学部1学科の小さな大学。「世界を舞台に活躍できる人材を」を合言葉に、英語の運用能力とコミュニケーション能力を学び、リベラル・アーツカレッジの特色を活かしてキリスト教精神と幅広い教養を身につける。国際共通語としての英語力を高め国境を越えて活躍できる人材育成と、独自のキャリア支援体制による就職力の高さが小さな大学の誇り。「英語を使いこなし、クリティカル・シンキング(批判的思考力)を備えた人材を育てたい」と語る学長に、学園の歩み、改革、そしてこれからを聞いた。
(文中敬称略)
学院の精神
キリスト教、沖縄、平和
学長の中原は、沖縄で愛用されている「かりゆしウェア」を着て取材に応じた。「タクシーで来たんですが、『沖縄キリスト教学院大学まで』と運転手さんに言うと『キリ短ですね』と言われました」という問いにこう答えた。
「そうなんですよ。いまだに本学を『キリ短』と呼ぶ人が多いんです。4年制のほうもブランド力を高めて、早く『沖縄キリスト教学院大学』と呼ばれるようにしないと駄目ですね」。気さくで真っすぐな学長というのが第一印象だった。
沖縄キリスト教学院大学は、本土復帰前の1957年、沖縄キリスト教団が創設した沖縄キリスト教学院が淵源である。那覇市首里の首里教会で開校式があった。初代理事長・学長の仲里朝章の開校の辞に建学の志が見てとれる。
「沖縄を国際的平和の島にするには是非ともキリスト教文化が基礎をなさねばならない。そこでわれわれは新しい沖縄の建設に直面して、キリスト教の精神を身につけた人材の育成が急務であることを確信して、この学校の設立を計画しました」
仲里は、首里出身で旧制七高から東大に学んだ。洗礼を受け、戦時中に沖縄に戻り那覇市立商業学校の校長に。教え子を戦場に送ることになった皇民化政策と葛藤。沖縄戦では生徒とともに南部に逃れたが多くの教え子を失い、自身も九死に一生を得た。
「仲里先生は、戦後、首里教会の2代目の牧師になりました。生き残った教え子が尋ねてくると頭を深く垂れて、戦中は間違った教育をした、と謝罪したそうです」
59年、沖縄キリスト教学院短期大学が開学。授業は、首里教会内の仮校舎で行なわれていた。62年、新校舎が落成。志願者が増えたため89年、現在の西原町に移転。ユニークな校舎は、日本建築学会賞を受賞した。
4年制の沖縄キリスト教学院大学は、04年に単科大学として開学した。「英語をベースに専門性を持たせ、4年制大学志向という社会的要請に応え、県内唯一のキリスト教主義高等教育機関として一層社会に貢献したい」という思いからだった。
08年に大学院(異文化コミュニケーション学研究科)が開学。現在、4年制大学に475人、短期大学に432人の学生が学ぶ。男女比は4年制が男子3割弱.女子7割強、短大が女子9割強、男子1割弱と女性が多い。出身は沖縄県が圧倒的で県外は15人と少ない。
学長の中原が大学を語る。「本学院のスピリットは、キリスト教、沖縄、そして平和という三つのキーワードで表すことができます。キリスト教と沖縄は大学名に含まれ、三つめの平和は、前二者から導かれます」と述べ、続けた。
「仲里初代学長ら建学者は、戦争の惨禍をくぐり抜けた沖縄が軍国主義を去って、キリスト教精神で教育された若い世代によって平和な島として甦るという夢を本学院に託しました。国内最大の地上戦を経て、戦後もなお軍事基地の島から脱却しえない沖縄の人々にとって平和こそは最大の願いでした」
学びについて。「国境を越え、活躍できる異文化コミュニケーターを育むことが目的。国際共通語としての英語力を高めるとともに、幅広い教養と専門知識を習得します。1、2年次に、しっかりとした英語運用能力を身につけ、3年次からはそれらを礎に、ビジネスやより高度なコミュニケーション能力を身につけます」
英語教育の特長は?「『徹底的に英語を学ぶ』を旗印に、①週8時間のオーラルコミュニケーションなど演習と講義②TOEICのスコアUPのための特別講座など授業外のサポート③3、4年次にコミュニケーション、ライティング、同時通訳など上級のコースを受講④「English Lunch Table」で、ランチしながら外国人教員と英語でおしゃべりするなど聞く・話す環境の充実です」
10数年前から、毎年夏に英語の教員が中心になり同時通訳養成講座を開講している。「学生だけでなく社会人も、沖縄だけでなく東京からも受講生が来ています」
実用英語技能検定及びTOEIC等を取得した学生を対象に難易度に応じ奨励金を給付する資格取得奨励金給付制度や、沖縄県が島嶼地域であるという地理的条件を考慮し、学生の経済的負担を軽減するために、奨学金制度を設けている。
高い就職率を維持
就職力について。就職率は86%、県内の大学では上位にある。就職先は金融、ホテル、航空、流通、保育関係など。東京の中小企業団体が催す「社長の弟子入りツアー」に学生6人が参加。「刺激を受けて中小企業に興味を示すようになりました」「学生一人ひとりが『自分はどういう形で社会と関わっていきたいのか』を考え、自らの強みや適性を知ることで、自分自身の人生をしっかりと歩んでいけるよう、キャリア支援課が個別相談をベースに少人数制ならではのサポートをしています」。現在、1万数千人の卒業生が県内外、そして国外で活躍している。
グローバル化について。留学制度には、在学留学と休学留学がある。海外で取得した単位が、同大の単位として認定される。在学留学特別奨学生(各学期10名程度)に選出されると、留学期間中の学費が奨学金として振替えられる。
「留学や留学生については、伝統の英語を活かして、これまでルックイーストと西欧志向でしたが、これからはルックウエストで中国(10人に1人がクリスチャンという)、東南アジアにも目を向けていきたい」
ボランティアも活発
ボランティア、地域貢献活動も積極的である。東日本大震災では、教員と学生がいち早くボランティアの救援活動に参加した。「復興までの道のりは険しいでしょうが、順調な復旧を祈り続けたいと思います」。また、地元の西原町の小中学校に理科の教員を派遣、理科教育のサポートをしている。大学のこれからを尋ねた。中原は、現状認識から入った。「3.11の東日本大震災では、地震、津波、そして原発事故という3重の天災と人災が人々を襲い、約2万人の犠牲者を出しました。今から67年前に慶良間諸島への米軍上陸で始まった沖縄戦では、約20万の人命が失われました。自然災害だけでなく、戦争という残酷な人災も繰り返されてはなりません」
オスプレイに反対声明
米軍の垂直離着陸機、オスプレイの沖縄配備に、中原は5月31日、昨年に引き続き、沖縄にある全私立大学学長とともに、「再びオスプレイ等に反対する声明」を出した。声明は、こう訴えている。「沖縄における過去の戦さと現在の基地の重圧にこだわりつつ、平和と正義を学生たちに説く使命を負う大学人として、再びオスプレイに反対するとともに、軍事基地のもたらすすべての害悪の速やかな除去を訴えるものである」
中原は、「平和」にこだわった。「平和への願いは、聖書の『平和を実現する人々は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる』との教えに由来します」。
そして、最後に力強く述べた。「平和実現に貢献できる人材の育成こそは、本学にとって、過去、現在、未来の時間の縦軸と、国内、国外の空間の横軸を貫く価値ある使命なのです」。そこには、創立者である仲里の建学の志が貫かれている。