特集・連載
大学は往く 新しい学園像を求めて
<62>在宅訪問歯科診療を展開
保健文化賞を受賞 大学全体で取り組む
日本歯科大学新潟生命歯学部
生命歯学のフロントランナーである。日本歯科大学新潟生命歯学部(小倉英夫学部長、新潟市中央区浜浦町)は1972年、新潟市に、創立100年の伝統を持つ日本歯科大学(中原 泉理事長・学長、東京都千代田区)の二番目の歯学部として開設された。6年間の一貫教育によるカリキュラムを編成、一般教育から基礎・臨床教育に至るまで整合性が取れた教育を展開する。06年に学部名を生命歯学部に変更。「歯科医学は生命体を学ぶ学問で、歯科医療は生命体への医行為であることから、生命という二字を冠した」という。新潟生命歯学部は、我が国の歯科大学で初の在宅(訪問)歯科診療を展開している。この社会的ニーズに応えた在宅往診ケアチームの活動は高く評価され、第63回保健文化賞を受賞した。日本で唯一の「医の博物館」も同学部の誇りである。新潟生命歯学部の歩みとこれからを小倉学部長に聞いた。
(文中敬称略)
高い国家試験合格率 生命歯学のフロントランナー
日本海の海鳴りが聞こえてきそうだ。海に近い新潟市中心部の閑静な住宅地に、日本歯科大学新潟生命歯学部はある。「新潟」と聞いて、雪深い所と思っていたが、日本海に面する新潟市中央部は雪が積もる日は数えるほど少ないという。
大学を入ってすぐの一角に、古代ギリシャの医学者、ヒポクラテスの名前を冠した樹木がある。この木の下でヒポクラテスは医学を教授したという故事に託して移植した。こんなところにも100年を超える伝統の重みが垣間見えた。
日本歯科大学は、1907年、創立者である中原市五郎が、旧歯科医師法に基づく最初の歯科医学校として千代田区大手町に創立。当時、歯科医療は黎明期にあり、「学・技両全にして人格高尚なる歯科医師の養成」というのが建学の目的だった。
私立歯科医学校の経営は困難を窮めた。開校から4か月後、校舎を神田区雉子町に移転。1909年、千代田区富士見町に移転、校名を日本歯科医学校に改称。その後、19年、財団法人日本歯科医学専門学校に組織変更した。
戦後の1952年に新制日本歯科大学となった。06年、創立100周年を迎えた。現在、歯科医学の総合的大学として、二つの歯学部、三つの附属病院、二つの短期大学を擁する。卒業生は2万人を数える。
新潟生命歯学部には、500人の学生が学ぶ。出身地は、北海道から沖縄まで、全国区の歯科大学。男女比は、開学当時は男子8、女子2の割合だった。「現在は男子6、女子4と女子が増えています。歯科医に求められる繊細さ、優しさを兼ね備えているからかもしれません」と学部長の小倉。
小倉が新潟生命歯学部を語る。「新潟生命歯学部は歯科病院に加え、医科病院を併せ持っており、この病院で内科・外科・耳鼻咽喉科の臨床実習を行っています。学生は消化器系外科手術や病院回診、臨床検査科の見学を通して医科診療の現場を実体験することで全人的医療に対する認識を高めています」
最新の施設と手厚い教育が自慢だ。「マルチメディア臨床基礎実習室は、日本で最も進んだ歯科教育設備です。学生数人に若手歯科医一人が付く『サポーター制度』できめ細かく学生の学びの支援をしています」
臨床教育が充実している。「全身の健康を考慮した実習を行っています。学生は、口腔インプラントセンター、スポーツ歯科外来、咬み合わせ外来、白い歯外来など特色ある臨床実習で力をつけています」
歯科医の国家試験新卒合格率は3年平均で82%超と高い。試験に合格すれば就職の心配はいらない。「求人倍率は五倍から8倍です。近年、歯学部で学びたいという学生の編入も受け入れています。文系出身者を含めて毎年5人ぐらい編入します」
歯科医過剰と言われるが?「20年後は、国民の3分の1から4分の1は高齢者になる。長年、実施してきた在宅歯科医療の果たすべき役割はますます増える。今後とも、在宅歯科医療のできる歯科医師を育てていくことに変わりはない」
その在宅歯科診療について。「25年前、患者さんから『病院に行けないので、自宅で診てほしい』という要望があり、当時の中原 泉学部長の英断で始めました。実施している歯科大学は他にもありますが、全科が連携して病院全体で取り組んでいるのはうちだけではないでしょうか」
在宅歯科往診ケアチームは、自宅で介護を受けている方や特別養護老人ホーム等に入所されている方を訪れ、歯科診療や口腔ケアを行っている。食べること、飲み込むこと、歯磨きや入れ歯の清掃など口腔内に関わること全体を診ている。
スタート当初は、週2回の往診だったが、10年前から毎日(月~金)、専用車3台で訪問している。車は雪に備えて2台は4WDだそうだ。1チームは、歯科医師、歯科衛生士、臨床研修歯科医、登院実習生の4人で構成されている。
在宅歯科往診ケアチームは、長年にわたる社会保健活動が評価され、昨年、第63回保健文化賞を受賞。同文化賞は、1950年に創設され、保健医療、生活環境、高齢者および障害者保健福祉、少子化対策などの分野で著明な実績を残した団体や個人を表彰してきた。
震災でも応急歯科治療
受賞理由は、こうだ。「20年以上にわたり地域における要介護高齢者の訪問歯科診療や障害者福祉施設での無料歯科検診に取り組み、また、新潟県中越地震、中越沖地震、そして東日本大震災などでは、被災者への応急歯科治療や口腔ケアを行い、被災者の健康保健対策に貢献した」2年前から、第五学年登院生と歯科医師臨床研修医は、歯科訪問診療研修が必修に。「全国でもこれほど歯科訪問診療教育が充実している大学はない。加速する高齢社会では、需要の高まりが予測されます。これからも一層の努力をしたい」
この在宅歯科往診は、法律によって病院から16キロメートルの地域に限られている。往診エリアは新潟市内。「県や市の歯科医師会と協力し合って、モデル地域をつくるなどして、在宅歯科往診をもっと広めていきたい」
「医の博物館」は人気
医の博物館。1989年に開館した。歯科のみならず、医学や薬学に関する史料が揃う。15世紀から現在に至る東西の古医書、浮世絵、医療器械器具、薬看板、印籠など約5000点を展示・保有する。「歴史的資料(史料)を通じて医学史を教育研究し、史料を一般公開することにより、学術文化に寄与することが目的です。小学生から高齢者の方まで幅広い人たちが見学に訪れており、地域貢献にもなっています」
地域貢献といえば、災害時の歯科医療では実績がある。8年前の中越地震では、被災者に対して応急歯科治療や口腔ケアを施して地域住民に喜ばれた。「この中越地震での経験は東日本大震災のさい、大いに活かされました」
大学のこれからを聞いた。「本格的な高齢化社会を迎え、歯科医も全身の健康を支える医療チームの一員として、高齢者医療、在宅医療など様々な分野の医療に関わり、支えていく時代に突入しました」と時代認識を述べた後に続けた。
地域密着の歯科医師に
「歯科の世界では、在宅歯科医療や口腔ケアの推進と医科や介護分野など多職種との連携、口腔と全身を診ることができる地域密着型の歯科医師の育成が求められています。今後とも、幅広い教養と倫理観を持った地域に寄り添う歯科医師を育てていきたい」小倉は、「在宅歯科医療」と「地域密着」という二つの言葉に力を込めて語った。そこには、生命歯学のフロントランナーとしての自負と矜持があった。