特集・連載
大学は往く 新しい学園像を求めて
<21> 青山学院大学
“都心回帰”で受験者増へ
相模原には新学部構想 文系1、2年生は青山に
21世紀に入って行った改革が実を結んだ今、再び改革の舵を切った。青山学院大学(伊藤定良学長、東京都渋谷区渋谷)は、2009年に創立60周年を迎えた比較的新しい大学。もっとも、母体の学校法人青山学院は、明治初期に米国のメソジスト監督教会から派遣の宣教師が設立という古い伝統がある。創立当初は文学部、商学部、工学部の三学部だったが、商学部の改組や法学部・理工学部・国際政治経済学部・教育人間科学部・総合文化政策学部・社会情報学部の新設などの改革を行い、現在では九学部を擁する総合大学に。大学スポーツ強化も結実、男子バスケットは四冠達成、陸上長距離は箱根駅伝連続シード権獲得。新たな改革は、教育研究機能の高度化を狙った青山・相模原両キャンパスの再開発。2012年4月から人文・社会科学系学部の1、2年生が青山キャンパスに移行する予定だったが、東日本大震災の影響で1年間延長となった。そうした課題を抱えつつも、新たな改革にこだわる学長を直撃した。(文中敬称略)
大震災で1年延期 キャンパスを再開発
蔦の絡まるチャペル♪と唄われたベリーホールは国の登録有形文化財。ペギー葉山のヒット曲「学生時代」は第二校歌と呼ばれ、09年に学内に歌碑が建立された。青山(東京都渋谷区)と相模原(神奈川県相模原市)の二つのキャンパスに約1万8000人の学生が学ぶ。青山学院は、1874年にドーラ・E・スクーンメーカーが麻布に開校した「女子小学校」、1878年にジュリアス・ソーパーが築地に開校した「耕教学舎」、1879年にロバート・S・マクレイが横浜に開校した「美會神学校」が源流だ。
青山学院大学は、この青山学院を母体として1949年に新制大学として開設された。学長の伊藤が大学を語る。
「すべての人と社会とに対する責任を進んで果たす人間を育成し、『地の塩、世の光』としての教育研究共同体の充実を図るために、新たなスタートを切りました。大学を創造の場、学びの場、出会いの場としての『知の共同体』として捉え、社会、そして世界とともに歩む大学を目指しています」
伊藤が改革を語る。「21世紀に入って積極的に大学改革に努めてきました。相模原キャンパスの開学とともに青山スタンダードを発足させ、国際マネジメント研究科など三専門職大学院を設置、青山学院大のイメージを変えました」
青山スタンダードとは、学部生の教養教育を充実させる教育システム。全学生が共通科目を履修することで、卒業すれば一定水準の教養や技能を備えていることを保証する狙いがある。語学、パソコンスキルや就業力育成の科目などがある。
学部学科新設による改革。08年に総合文化政策学部と社会情報学部の2学部と経済学部に現代経済デザイン学科を設置。「学部としては26年ぶりの新設でした」。09年には文学部を改組、教育人間科学部として独立させ経営学部にマーケティング学科を設置した。
「新学部新学科は、現代社会に対する本学ならではの学問的応答で、新たな学際的分野に切り込み、『知の共同体』をさらに発展させるのがねらいです。このように、本学の大学改革は着実に前進してきました」
こう続けた。「総合文化政策学部は、青山という立地を活かし、『青山コミュニティラボ(ACL)』を通して、新しい文化・芸術の創造と発展への貢献を目指しています。社会情報学部のカリキュラムは計量経済学、金融、経営学、人口学、社会心理学、システム設計、金融工学と幅広く、09年にiPhone 3Gを同学部生全員に配布しました」
改革には、キャンパス新設、移転(閉鎖)が伴った。1965年の理工学部設置の際には理工学部専用の廻沢キャンパス(後の世田谷キャンパス)を、82年の国際政治経済学部設置の際には1、2年次の学生対象に厚木キャンパスをそれぞれ開設した。
「厚木キャンパスは、交通アクセス面の不都合で、世田谷キャンパスの老朽化もあり、世田谷、厚木両キャンパスを閉鎖・統合する格好で03年、相模原キャンパスを新たに開設しました」
スポーツ強化が結実
2004年から体育会強化指定部制度をスタートさせた。「スポーツなどの課外活動は大学を活性化させ、学生・教職員・校友のユニバーシティアイデンティティを強めます。ようやく、強化策が実りました」と伊藤は笑みをうかべた。硬式野球部は、東都大学野球連盟の強豪に。同部出身者にはプロ野球へ進む選手も多い。11年度のスポーツ選手の出身大学・プロ野球部門で1位に。陸上競技部は、箱根駅伝で09年に33年ぶりの出場を果たした。翌10年は総合8位、11年は同9位で2年連続のシード権獲得。バスケットボール部は、全日本学生選手権大会優勝3回。10年度は学生大会4冠を達成した。
「本学の体育会は、他の大学と違い、選手の数も少ないなか本当に頑張っています。勉強との両立が求められており、バスケット部OBで、公認会計士の試験に合格した選手もいます」
さて、新たな改革だが、なぜ、いまなのか?「少子化、大学全入と大学を取り巻く環境が厳しさを増しています。状況の変化を見据え、新しいニーズに対応するためです。受験者数などは増えていますが、さらに受験生を呼び込める体制をつくりたい。改革の目玉は、2012年からのキャンパス再開発です」
具体的には?「基礎教育の充実、専門教育との連動といった教育研究機能の高度化のため青山・相模原両キャンパスを再配置します。青山キャンパスは、移行前と比較して約2倍の学生を収容する計画です。残念ながら1年延びましたが…」
移転後、青山キャンパスは7学部1万4500人が学ぶ。青山地域の文化的環境を活かし、人文・社会科学系の知的拠点として、学問・文化の創造とその世界への発信を担う。相模原キャンパスは2学部3500人が学ぶ。理工学部・社会情報学部のほか、新学部設置の構想もある。
「青山キャンパスに人文・社会科学系学部の1、2年生が来ます。3、4年生と一緒になることで、教育研究、課外活動なども刺激を受ける。相模原では少なかった千葉や埼玉県の学生も昔のように増えるはず」
研究・教育面で、伊藤が目指しているのがグローバル化。「本学のグローバル化は創造の場、学びの場、出会いの場のグローバル化。米国のメソジスト監督教会から派遣された宣教師が設立したように、開学時から国際ネットワークを持った大学。難しい舵取りが迫られている21世紀を生き抜ける人材を育てたい」
グローバル化に傾注
具体的には?「学生を海外の大学に送るために英語圏の大学との協定校を増やすとともに、短期研修プログラムも拡充。アジア、とくに中国、そして旧東ヨーロッパや中央アジア地域の協定校を拡大したい。英語の授業のみで卒業するプログラムを設けるなどの試みを行っています」「留学する学生が減っているというが、本学は逆に増えています。留学生も着実に増加。開学以来しばらく、文学部の英米文学科が人気で『英語の青山』と言われてきたが、語学教育が立ち遅れてきたところは正直ある。『英語の青山』を復活させたい、いや復活させる」。力むことなく応えた。
最後に、MARCHといわれることは?と問うた。「本学より先に改革を行った大学が多い。後から改革を行う利点もあるはず。切磋琢磨して、ともに発展したい」。こう付け加えた。「負けられません」。伊藤の言葉には、グローバル化など新たな改革を武器に青山学院大の存在感を改めて示したい、という強い意気込みが感じられた。