加盟大学専用サイト

特集・連載

大学は往く 新しい学園像を求めて

<17> 徳島文理大学
  医療や薬学にも尽力 大きくて小さな大学 多彩な9学部25学科

 校名を凌駕する総合大学である。医療から理工、薬学、文学、音楽、人間生活、総合政策まで多彩な9学部25学科(短期大学部含む)を擁する。徳島文理大学(桐野 豊学長、徳島市山城町)は、創立者の村崎サイが1895年に「女も独り立ちが出来ねばならぬ」と創立した私立裁縫専修学校が淵源である。孫の村崎凡人(ただひと)が、サイの遺志を継ぎ、1949年から学園理事長となり、幼・小・中高・短大・徳島文理大学・同大学院を創立、西日本でも有数の総合大学になった。現在(いま)、文と理に加え看護職や理学療法士の養成など医療や薬学にも力を入れる。教育研究施設の充実や資格取得に有利で就職に強い大学が売りだ。「大きくて小さな大学」という徳島文理大学の歩みと改革、そして今後について学長に尋ねた。(文中敬称略)

建学精神は「自立協同」 「就職に強い」大学

 「学祖、村崎サイの『女の一生』を語らずには、脈々と流れる建学の精神の真髄はわからないでしょう」と学長の桐野は口を開いた。
 サイは、香川県・小豆島の出身。四書五経、琴を荷車に積んで徳島の地にやってきた。「女に学問など不要とまでいわれた時代に学問と芸術を求め、『女も独り立ちが出来ねばならぬ』の精神で本学園を創立しました」
 1895年、私立裁縫専修学校を創立。1924年には徳島女子職業学校を併設。1945年、米軍機の徳島空襲の日、爆弾の直撃を受けて校舎と共にサイは殉じた。
 桐野が建学の精神を語る。「村崎サイの唱えた『自立協同』という建学精神に基づき、一人ひとりが自立し、協同して社会に貢献できる人材の育成をめざしています。めざす人物像は、健全な価値観と倫理観をもった良き市民として、良き家庭人として、幸せな人生を追求する努力のできる人々です」
 現在、徳島キャンパスに薬学部、人間生活学部、保健福祉学部、総合政策学部、音楽学部、短期大学部、香川(さぬき市志度)に香川薬学部、理工学部、文学部がある。徳島に3800人、香川に1200人の合わせて5000人の学生が学ぶ。
 桐野が大学の特長を語る。「学びのスケールとしては大きくて、かつ、小さい大学。十分な大きさと広がり(9学部25学科)がありながら、学生一人ひとりをきめ細かく見守り育てています」
 サイのあとを継いだ村崎凡人は、早大文学部を卒業、国文学者で歌人。早大時代には、山高しげり、赤松克子、市川房枝ら女性運動家らと婦人解放に取り組んだ。第二次世界大戦では、満州、フィリピンに従軍した。
 凡人は、復員後、1949年から理事長となり、学園を再建するとともにその近代化に努めた。「学園の中興の祖といえます」と桐野。61年、徳島女子短期大学を開設、66年に徳島女子大学(家政学部)を創立した。
 68年、音楽学部(音楽学科)を設置。72年には徳島女子大学を徳島文理大学と改称。薬学部を設置。83年には香川キャンパスを開設した。「サイの故郷である香川に学校をつくるのは学園の悲願だった」
 凡人のあとは、子である村崎正人が1989年から理事長に。「現理事長は、総合大学としての教育に不可欠な専門分野の優れた教授陣の招聘、教室や実習施設、図書館の建設など教育環境の充実に力を注ぎました」
 正人は、89年 工学部を設置。2000年、総合政策学部を設置。04年には香川薬学部を設置。「四国では徳島を除く三県に薬学部がなく、薬剤師が足りず、県などの要請を受けて設けました」
 08年、人間福祉学部を保健福祉学部と改称。10年、保健福祉学部に理学療法学科を設置。「大半の国民が高等教育を受けるユニバーサルアクセスの時代、徳島、香川など地域が求める人材を育てたい」という思いからだった。
 正人は、むらさきホールの総合設計を行った。「むらさきホールは、00年の学園創立110周年記念として徳島キャンパスに造ったコンサートホール。大型キャノピーを日本で初めて、世界では4番目に設置。演奏形態に応じて最適の音響効果が得られる」
 桐野に、教育と研究体制を聞いた。同大は、国が支援する文科省の科学研究費補助金の獲得額は過去3年間、中国四国の私立大学の中でトップクラス。「これが示す通り、教員は自由な発想に基づいた研究に裏打ちされた教育を行っています」
 こう続けた。「学生には、教養、専門知識、技能・資格といった、少しでも多くの付加価値を付けて卒業させたい。そのために、07年度から教育改善に取り組みました。チューター(担任)制度、学習ポートフォリオ、新学務システムなどの導入で、教育の質を検証しながら高めています」
 初年次教育にも力を入れる。「徳島文理学」という1年生に学習習慣を身につけさせる授業がある。「初年次教育では教員による支援が不可欠。教員は、学習ポートフォリオの作成を指導し、これを利用することで学生の日常の行動を知ることができ、適切なアドバイスが可能になりました」
 さて、厳しい就職戦線のなか高い就職率。「110余年の伝統もあり、卒業生の職場での活躍が高く評価されています。きめ細かい就職支援や積極的な企業訪問・求人開拓で、大学で得た専門知識や技術、各種資格を生かし、個性を発揮できるよう、力強い指導・支援を続けています」
 具体的には?「特設時間での就職ガイダンスや各学部学科別就職説明会を実施。各学部、学科で専門的な知識や技術を修得して、さまざまな資格・免許を取得できます。特に、三つのことに力を入れています」
 ①1年生から就職への意識付けを行い、継続した対策・支援で実践力を養う、②1年生からチューター(担任)教員を配置、将来の進路についても個別に相談でき、学生を精神的に支える、③キャリア・サポートグループを設置、学部・学科ごとに相談員がつき、学生の希望に応じてきめ細かくサポートする―をあげた。
 地域貢献はユニークで充実している。徳島県美馬市木屋平地区に昨年4月、「こやだいら薬局」がオープンした。「木屋平地区には20年間、薬局がありませんでした。そこで、薬学部の教員、学生が協力して造りました。今後、へき地医療に関する研究の拠点薬局、学生の研修の場として充実させていきたい」
 教員養成では、四国学院大学、高松大学と「四国コンソーシアム」をつくった。「本学は、人間生活学部児童学科を中心に教員養成の実績は高い。そこで、地元の大学と連携、さらに、高い資質と能力を有した教員の育成と地域への貢献に取組んでいます」
 クラブ活動・サークル活動も活発だ。徳島といえば阿波踊り。同大学の阿波踊りのサークルは、毎年4月に行われる「はなはるフェスタ」の阿波踊りコンテストで連覇を達成。「阿波踊りの有名連にも劣らぬ実力を持っている」そうだ。
 大学のこれからを聞いた。「地方の活力と地方の大学の繁栄は切っても切れない関係にあります。地域の発展のため、医療保健分野の教育研究、アジア、とくに台湾との教育交流、年配者の学び直しに力を入れたい」
 桐野は「地方の大学が地方を、そして日本を支える意気込みで…」と付け加えた。桐野の言葉にあるように、自立協同を唱え、徳島、香川と地元の教育に尽した村崎サイの地域への愛と学問の志は開学116年を迎える今も色あせていない。