特集・連載
大学は往く 新しい学園像を求めて
<10>日本体育大学
体育の総合大学めざす
総合大学もスポーツ強化 競争の時代に危機感
水泳の北島康介、体操競技の内村航平といった世界的なアスリートの母校でもある。日本体育大学(谷釜了正学長、東京都世田谷区深沢)は体育・スポーツ系の専門大学。開学以来、数多くのオリンピックや世界選手権の代表選手、そして、全国の中高の体育教諭(スポーツ指導者)を輩出してきた。開学時は体育学部体育学科の1学部1学科だったが、時代の要請もあり、体育学から波及した時代に応じた学科をいち早く取り入れた。健康学科、武道学科、社会体育学科がそうだ。かつて、東京教育大学体育学部(現筑波大学)と体育系大学の双璧といわれたが、近年、全国に体育、スポーツの学部や学科を設ける大学が増えてきている。そこで、「体育・スポーツ系学部を持つ他大学を凌駕する体育の総合大学を目指す」と改革の狼煙を上げた。老舗の大学が動いた。具体的な改革などを学長に聞いた。
(文中敬称略)
五輪代表多く輩出 伝統を改革で底上げ
日本体育大学は、1891年に設立された「體育會」(翌92年に日本體育會と改称)を淵源とする。1893年、日体大の前身となる日本體育會體操學校と改称。1941年、専門学校令による日本體育専門學校を設立。1949年、日本体育大学となった。学長の谷釜が大学を語る。「建学の精神は、『體育富強之基』です。国民体育の振興、真に豊かな国家・社会を実現するため、体育・スポーツの普及・発展を積極的に推進し、健全な心身を兼ね備えた全人格的な人間を育成することを建学の理念としています」
現在、体育学部の四学科に約5300人の学生が学ぶ。キャンパスは、東京・世田谷と横浜・健志台(横浜市青葉区)の2つ。学生の大半が運動系・文科系の部活動かサークルに所属。学外実業団やスポーツクラブに加入している者もいる。
新しい学科は、1962年に健康学科を、65年に武道学科を、75年に社会体育学科を設置した。
谷釜が説明する。「健康学科は、高度成長期に社会現象となった運動不足病を解消するための健康な体作りをめざしました。武道学科は日本人のナショナル・アイデンティティーを求めて、社会体育学科はレジャー時代のレクリエーション指導者養成と、それぞれの時代の社会を投影しています」
健康学科は、伝統である体育指導者(体育教員・スポーツ指導者等)になるだけでなく、養護教諭・医療関係者の養成をもめざす。現在、同学科社会福祉コースは、社会福祉士の国家資格を取得、福祉関係の仕事に就く学生も増えている。
日体大のスポーツが輝きはじめたのは1970年前後。「学園紛争の時代でした。本学は学園紛争の渦中になく、1969年は駅伝、バスケットボール、ラグビー、バレーボール、ハンドボール、体操競技、レスリングなどの競技が日本一に輝きました」
数多くのオリンピック代表選手、世界選手権代表選手を輩出してきた。2008年の北京五輪では、日本代表26人(卒業生含む)・スタッフ(役員・監督・コーチ等)20人の計46人と大学では最多人数だった。
さて、2000年前後から、新しく開校した大学や総合大学がスポーツの強化に乗り出し、日体大も含めて大学スポーツは競争化の時代を迎えることになる。
谷釜が話す。「21世紀に入ってからまもなく、首都圏の有名私立総合大学はスポーツ系学部を設置、トップアスリートのリクルート合戦に参入し、野球、ラグビー、駅伝など選手獲得を強化。国立大学までもが知名度やブランド力アップのために運動部の強化にのりだした。体育系単科大学より総合大学に魅力を感じる高校生も出てきました」
さらに、全国の大学でスポーツビジネスを学べる学科や学部が急増。「景気の低迷もあり、高校生アスリートは保健体育の免許が取得できる地方の大学を選択するようにもなった。新興の大学はスポーツ関連の学部・学科設置が受験生確保につながると考えてもいる」
日体大は伝統的に保健体育の教員養成をひとつの使命としてきた。受験生のほとんどが保健体育の教師を志望する。
教員志望者が圧倒的
実際に就職では、教員希望者が多く2009年度の採用試験には295人(本採用、現役卒業生含む延べ人数)が合格した。実績で多いのが公務員(警察官・消防官・刑務官・県や市職員等)。一般企業への就職希望者も高い就職率を誇る。谷釜は、企業で活躍する卒業生の代表格として、韓国のサムスンを抜いて世界一のDRAM専業メーカー、エルピーダメモリ(株)の代表取締役兼CEOの 坂本幸雄をあげた。「私の2年上で、野球部で活躍、文武両道の逸材」という。
こう付け加えた。「日体大の学生は、本来行動力があり、礼節を重んじ、スポーツを通して、どうすれば勝てるかなど考える力を培っています。坂本さんのようなお手本になる先輩もいます。就職に臨んでは、もっと自信を持っていい」
近年、中高の体育の教師採用の枠も生徒数の減少などで減りつつある。体育系学部・学科の急増と相まって厳しい状況にある。しかし、「こうした時代を見越して、日体大は改革を行ってきた」と谷釜が語る。
「1992年から6年学長を務めた綿井永寿学長が未来型大学と東京・世田谷再開発という二つの構想を打ち出しました。未来型大学構想は、伊藤孝前々学長の時代に中間報告が出され、これを継承、さらに発展させるべく進めています」
世田谷再開発は、「体育・スポーツの総合大学」にふさわしい都市型・高度情報型キャンパスとする計画。ほとんど出来上がり、現在、これに併せて教育・研究やカリキュラムの抜本的な改革に着手している。
これまでの改革の手ごたえを「今年度の受験者数は増えました。これは、世田谷再開発で新設した教室、体育館、トレーニングセンターなどが他大学に比べて秀でているのが一つの要因にあげられる」と話す。
未来型大学構想の継承と発展とは?「これからの日体大の歩み方です。18歳人口が減少するなか、いかに優秀な学生を確保すべきか、を主眼に置いています」と説明。
学科の改組も検討中
日体大の学生の男女比は現在男子7に対して女子3。「私個人の考えにとどまっていますが、これを男子6、女子4にしたい。そのためには、女子には小学校教員やスポーツと栄養という観点から管理栄養士が取れるようなコースを設けたい」。さらに、国民の健康意識の高まりに対応した学科の改組も検討している。将来、どういう大学になるのか?「体育系学部学科をつくってきた大学は、概ね日体大をまねて、日体大との違いを打ち出して伸びてきたと思われます。これからは、こちらが差別化する番です。チャンピオンスポーツと健康スポーツの両方に係ってきた強みを活かし、体育・スポーツの総合大学をめざしたい」。
谷釜の口吻には、体育系大学の老舗としての自負と矜持がみなぎっていた。