特集・連載
私大の力
<49> トランプ強硬策
留学生にも影響
「パスポート離れ」加速か
■コロナ禍後もZ世代で30%を下回る
この大型連休、海外に出かけた若者たちはどのくらいいただろうか。先日、「学生時代に海外に行ってない」と回答した大学生が73%にのぼるという調査結果をみていたので、その動向が気になっていた。
もともと日本人は、海外渡航に必要な「パスポート(旅券)」を持っている割合が低かった。外務省によると、昨年1年間に発行されたパスポートは382万冊で、年末時点で有効なパスポートの累計は2164万冊となった。
保有率は17・5%で、日本人の約6人に1人しかパスポートをもっていない計算になる。これは、国民全体の半数近くが保有している韓国やアメリカなどを大きく下回る。
注目したいのは、新型コロナウイルスの流行が沈静化しても、その比率が回復していないことである。昨年の発行数は前年より30万冊増えてはいるが、コロナ禍前の2019(令和元)年と比べると70万冊も減っている。
学生が積極的でない要因は円安による海外渡航の費用高騰もあるが、若者たちの意欲面を懸念する大学関係者もいる。
関西大学の国際部長(外国語学部教授)、竹内理は2022年、「国際部長からすべての関大生へメッセージ」という文書をホームページに掲載して話題になった。
「日本人のパスポート保有率は17%で、Z世代の調査でも30%を下回っている。この数字は諸外国と比べるとかなり低い。さらに憂慮すべきは、海外で働きたいと答えた日本人Z世代も、海外と比べるとかなり低いことだ」
「それでよいのだろうか。日本の人口は減少し、国内だけを相手にしていては経済が立ち行かない。多様性が大切というけれど、同じ考えの人間が集まっていては、何もブレイクスルーはおこらない。いろいろと考える前に、とにかく海外へ出てみよう」。そんな呼びかけだった。
Z世代とは1990年代半ば以降に生まれた若者だが、コロナ禍が去っても「30%」という低い保有率は変化していない。
文部科学省は新たに、「2040年を見据えて社会とともに歩む私立大学の在り方検討会議」を立ち上げ、日本の大学の競争力強化に向けた具体策を論議している。
ここでも「アメリカに留学している日本人の割合は20年前の3位から8位へと低下して、中国やインドなどに大きく水をあけられた」といった報告がなされている。
国際情勢はロシアのウクライナ侵攻、東南アジアでの大地震、アメリカのトランプ政権によるドラスティックな「相互関税」など、若者たちが海外に出ることを尻込みさせる要因が急増している。
アメリカでは、対外援助を担う国際開発局(USAID)の解体や高等研究機関への支援打ち切りなどが相次ぎ、日本の大学もこれまでのグローバル戦略の見直しを余儀なくされているという。
■「海外で働きたいと思わない」も64%
先月、Z世代のパスポート保持率の調査結果を公表したのは、企業のマーケティングを支援する「FinT」という会社である。Z世代300人を対象に海外渡航の経験や海外での就労意欲などを中心に意識調査を実施したという。
それによると「パスポートを持っていない」との回答が約70%、「学生時代に海外に行っていない」と回答したのは約73%にのぼった。
これは先に紹介した関西大学の「国際部長からのメッセージ」で使われた数字とも一致している。コロナ禍のなかでは、一時的な海外渡航の制限も影響しただろうが、「学生時代に海外に行っていない」と回答したZ世代のうち、約64%が「将来海外で働きたいと思わない」と回答しているのもメッセージの懸念材料になっていた。
学生時代に海外に出て行く経験は、将来海外で働こうという意欲にもつながるのではないか。コロナ禍の時期に学生生活を過ごした学生たちに、その"後遺症"のようなものがあるのかどうかも気になるところだ。
国際部長からのメッセージでも、「もちろんコロナ禍の影響もあるかもしれない。日本にいれば安全だから、高いお金を払い、長いフライトに耐えて、よく分からない国に行き、犯罪に巻き込まれないかと心配しながら暮らすのは割に合わない、と判断するのも当たり前かもしれない」と学生たちの気持ちを慮っている。
そのうえで、「しかし今の日本は、I'm toast(もう、おしまいだ)と詰んでいる状態なのに、居心地がよいからそのままにしている、いわば『(ぬるま湯の)ゆでガエル状態』なのかもしれない。それでよいのだろうか」と奮起を促していた。
■福岡工大教授もアメリカの変化に懸念
「パスポート離れ」にはこうした背景があるが、そこに追い打ちをかけそうなのが現在進行中のアメリカの強硬策だ。
福岡工業大学工学部教授、赤木紀之は自らのブログに「トランプ政権下における留学生・研究者への影響」との分析を載せている。
赤木は「あくまで日本国内から入手可能な報道情報のみに基づく個人的な分析」と断りつつも、この3月末までの情報をまとめて次のような論を展開している。
アメリカ国務省は2月中旬、教育文化局(ECA)による国際教育・交流プログラムへの資金提供を一時停止したが期限の15日間が過ぎても解除されておらず、国際教育者協会(NAFSA)の事務局長兼CEOは「プログラム凍結は、アメリカの経済や国家安全保障に不可欠な留学と国際交流プログラムの存続を脅かす」と批判している。
この措置は、海外で学ぶアメリカ人だけでなく、アメリカで学ぶ日本人留学生にも大きな影響が及ぶだろう。それには、第二次世界大戦後の長年にわたりアメリカに留学する日本人を支援してきたフルブライト奨学金なども対象になる可能性がある。
以上のような分析である。
アメリカではすでに、大学や研究機関への研究助成金の大幅な削減や凍結が実施されていることから、研究者のなかには研究拠点をヨーロッパなどに移す動きもみられる。
留学生のビザ(入国査証)については3月末時点で大きな変更は報告されていないものの、研究資金の減少によって留学生への経済的支援(RA/TAポジションなど)が減少したり、アメリカ国内での研究職の減少により、学位取得後のポストドクターや研究職への就職が困難になったりする可能性があるという。
こうした状況を説明したうえで、赤木は「短期的には、多くの個人のキャリアや研究プロジェクトに影響し、長期的にはアメリカの科学研究能力や国際的な教育・研究のリーダーシップに影響を与える可能性があります。日本の留学生や研究者にとっても無視できない問題であり、今後の政策動向を注視し、最新情報に基づいて検討することが重要になる」と結んでいる。
■「有能人材を呼び込むチャンスに」
昨年5月、文科省が国際戦略委員会に提出した「国際的な研究人材や留学生の動向」に関する資料によると、「アメリカ、ヨーロッパ、中国が国際的な研究ネットワークの中核に位置し、日本は中核との連携が相対的に弱く、留学生の受け入れも送り出しも多いとは言いがたい」としていた。
コロナ禍前の世界の留学生数は2000(平成12)年の総計160万人から2020年には560万人と大幅に増加している。
一方で、主に学位取得を目的とする日本人の海外留学者数は2000年前後の約8万人をピークに減少し、その後は6万人程度で横ばい。これがコロナ禍の本格化した2021年には4万人にまで落ち込んだ。
アメリカに留学している日本人の割合が20年前の3位から8位へと後退しているのも、中国やインドからの留学生数が大きく伸びているのとは対照的だ。
6か国での比較調査によると、日本の若者は「機会があれば留学や他国で就労してみたいと思う」「自国は、国際社会でリーダーシップを発揮できる」にイエスと答えた割合が他の国よりも10ポイント以上も低く、すべての質問項目で最下位だったという。
日本の学生のうち海外の高等教育機関に在籍する割合はわずか0・8%と、OECD(経済協力開発機構)加盟国のなかでも非常に低い。
留学の経験が就職活動に良い影響を与える、とする学生が9割にのぼる一方で、海外留学のための奨学金や支援制度などへの認知度は高校生・大学生ともに3割に過ぎないとの調査結果もある。
しかし、いたずらに悲観的にならず、前を向くことが重要だろう。
すでにアメリカでの研究環境の変化を見据えて、科学研究への投資を呼び込もうと動き始めた国々もあるという。福岡工大の赤木は「サイエンス誌のソープ編集長は『これは日本や他国が才能のある人材を雇う大きなチャンス』と述べている」とも記している。
学生の留学先としては、アメリカ以外の選択肢(欧州、アジア、オセアニアなど)も視野に入れることを提案している。
(敬称略)