特集・連載
私大の力
<45> インドネシア 高まる日本語熱
東南アジアの大国
「日本で就労」志願増
■「ぜひ日本に来てください」と両陛下も
インドネシアで、日本語を学ぶ若者たちが増えている。日本語が母語でない人たちのための日本語能力試験(JLPT)はこの10年間、全体で応募者数が2倍になったが、東南アジア、なかでもインドネシアでの上昇傾向が目立つ。
6月下旬、もうひとつの日本語基礎テスト(JFT―Basic)の受験申し込みの日には、首都ジャカルタの日本語学校の学生たちがパソコンやスマートフォンで希望日を入力しても「アクセス集中」との表示が出て、なかなか予約が取れない混乱状態になっていたという(日経新聞)。
いずれの試験も国際交流基金や日本国際教育支援協会が主管するが、背景には、日本での就職に対する関心の高まりがある。
日本では6月の通常国会で、外国人の日本での就労制度の1つである技能実習を「育成就労」という新制度に改める法律が成立した。日本で仕事をするためには在留資格を持たなければならず、その要件としてJLPTでN5(最も簡単なレベル)に合格するか、同程度の試験合格などが求められるようになった。
日本での就労にこの語学要件が加わったことも受験者数を押し上げており、今後一層、増えることが予想される。
また、東南アジアの大国インドネシアがとくに、歴史的に親日的な傾向が強いことも要因としてあげられる、という。
昨年、天皇・皇后両陛下はインドネシアご訪問の際、ジャカルタのダルマ・プルサダ大学に立ち寄られた。同大学は、インドネシア人の元日本留学生の団体が1986(昭和61)年に創設している。2016(平成28)年には日本私立大学協会と国際交流における包括協定を結んでいる。
現在、約3800人の学生たちが日本語のほか、電気工学や経済学などを学んでおり、両陛下は学生たちと日本語で懇談し、日本に来たことのない学生たちには、「ぜひ日本に来てください」と声をかけるなど、両国間の若い世代の交流を後押しされている。
父親が大学の創設メンバーという事務局長は、両陛下を見送る際に握手を求められ、「素晴らしい学生さんたちですね」と声をかけられた。「学生の大きな励みになった経験で、この大学をさらに、若い世代の交流の場として発展させたい」と話している(毎日新聞)。
インドネシアは、世界第4位の人口2億7800万人を抱える。近年、急速な経済発展を遂げ、2030年代には日本のGDP(国内総生産)を抜き、日本のGDPを超える経済大国になるとも予測されている。
現地での日本語熱の高まりは、日本の大学をはじめとする高等教育機関への留学希望者の拡大にもつながることから、日本側としては今後一層、日本語の学習環境の整備が急がれると専門家は指摘する。
■現地「日本留学フェア」も参加者が急増
ユネスコ統計研究所によると、今年年初の時点で海外留学中のインドネシアの学生は5万9224人で、ASEAN(東南アジア諸国連合)ではベトナムに次いで多い。
留学先ではオーストラリアが最も多く、1万1516人。アメリカ、マレーシアと続き、日本は5095人で4番目、イギリスを2000人近く上回っている。
分野別では、経営やコンピュータサイエンス、観光など、将来の就職を見越した学部や、工学部、自然科学部などより専門的な学部の人気が高いという。
JASSO(日本学生支援機構)などでは毎年、各国で受験生のための日本留学フェアを開くが、昨年、インドネシアでは2日間で1000人を超える来場があった。
約20のブースが設けられた中で、大学(日本語別科・大学院を含む)以外で目立ったのは日本の語学学校だった。大学の多くが日本語の一定レベルを入学条件にしていることから、日本語の習得から大学への入学準備までをサポートする語学学校の参加が増えているのである。
「イベントを訪れた学生や家族たちの多くが、日本留学イコール直接の学部入学を想定していたらしく、その前に『日本語の一定レベルのクリアが必要』という条件に驚いている様子でした」と担当者は語っている。
一方の日本では、1982(昭和57)年の開校以来、インドネシアからの留学生が最も多い国際大学(新潟県南魚沼市)では、この7月、理事長の槍田松瑩(うつだ・しょうえい)がオンラインで、現地商工会議所の会員企業や政府機関の関係者に、さらなる留学生の増加を呼びかけた。
留学生が全体の9割を占める同大学は、国際関係と国際経営の2研究科で構成される大学院大学で、外国人を対象とした日本語の科目以外は、すべての科目で英語による講義を実施している。
すでに143か国・地域の5000人以上が卒業したが、インドネシアの修了生622人のほとんどは高級官僚や国営企業の幹部候補だった。今後は「インドネシアで事業を展開する日系企業の人たちにも来てほしい」と話している。
■日本各地で人手不足解消の積極誘致策も
外国人が日本国内や日本企業で安心して働くためには、日本語の習得が欠かせない。しかし、これまで日本にやってきた技能実習生の日本語能力は十分でなく、ある調査によると、全体の3分の1は「基本的な挨拶以上のやりとりはできない」と答えている。
インドネシアでは今年2月の選挙で10年ぶりの政権交代があり、新大統領は正式就任を前に日本を訪問して日本側首脳と会談。その際、教育や防災などを含めた幅広い分野で意見交換している。
こうした動きを受けて、日本各地の自治体でも人材不足を解消するためにインドネシアからの働き手の獲得に力を入れるところが増えている。
仙台放送によると、宮城県では9月初め、知事の村井嘉浩がジャカルタで開いたイベントに参加し、「宮城県は皆さんを家族として迎え入れたいと思います。必ず大切に致します。ぜひとも宮城県に来てください」と呼びかけた。
現地の若者に県内の企業を紹介し、雇用につなげようという取り組みで、会場にはインドネシア全土から1200人以上が集まり、どの企業ブースも満席で真剣な表情で説明に耳を傾ける姿が印象的だったという。
今回のイベントは、県が昨年7月インドネシア政府と人材受け入れ促進に向けて交わした覚書に基づくものだが、介護や製造業を中心に46社が参加した。インドネシアの最低賃金はジャカルタでも月額5万円ほどで、会場では「給料が高く、幼いころから親しみのある日本で働きたい」「インドネシアにはない日本の知識や技術を学んで持ち帰りたい」といった若者の声が聞かれたという。
■大学は「質の向上を図る視点」で対応を
日本の大学にとって重要な海外からの留学生は90%以上がアジア諸国からで、そのうちの4割前後を中国が占める。
中国のあとに、ベトナム、ネパール、韓国と続き、5番目でインドネシアと台湾が競り合ってきたが、ここにきて中国国内での反日感情によるとみられる事件の多発などを受けて、中国以外の国での留学生獲得に目を向ける傾向も強まっている。
JLPTの受験者数は2013(平成25)年が約65万人だったのに対し、2023年には約148万人に達した。インドネシア以外の東南アジア諸国でも、ベトナムやフィリピン、ネパール、スリランカなどがその数を増やしている。
福島県では今年春、福島空港とベトナムのダナン国際空港を結ぶベトトラベル航空のチャーター便が運航し、700人余りが利用したが、このチャーター便が来年春も運航されることが決まったという。
9月中旬、知事の内堀雅雄が県産果物のトップセールスなどで東南アジアを訪れ、ベトナムでチャーター便の運航や誘客・送客の促進などに関する覚書を締結した。福島県は「SNSを活用するなどして、旅行形態やニーズにあわせて本県の魅力を発信し、さらなる誘客につなげたい」としている。
政府の教育未来創造会議は昨年の第二次提言によって、今後10年間で日本人学生の海外派遣数を50万人に、外国人留学生の受け入れ数を40万人に増やす計画を示すとともに、「量を重視するこれまでの視点に加え、より質の向上を図る視点も重視する」との基本方針を定めている。
日本の大学の国際的な評価が低下しているとの声が聞かれる中で、東南アジアを中心に日本での就労希望者が増えていることは朗報と言える。
しかし、「日本で仕事をしたい」という現地の若者たちに「日本の大学で学びたい」と言ってもらうためには、日本側でも、さらなる環境整備が必要になる。それには、政府を中心に産業界と大学との産学官の連携が欠かせない。
インドネシアをはじめとする東南アジアでの日本語熱の高まりを、日本の高等教育をさらに魅力的にするための「質の向上」につなげる努力が求められている。