特集・連載
私大の力
<34> 教育学術新聞70年 最終回
「3000号」近づく
私学振興の「道しるべ」貫き
平成12年、西暦2000年に、本紙(教育学術新聞)は創刊から2000号を迎えた。70年企画の最終回は、21世紀の大学の理想像を掲げて奮闘する日本私立大学協会(私大協)の機関紙として、本紙が果たしてきた役割を振り返る。
平山一城
■2000号特集で歴史的業績を回顧
2000年は、私大協の節目の年だった。4月、16年間会長職にあった橘髙重義が最高顧問に退き、大沼淳を会長とする新体制がスタートした。同時に、附属機関として私学高等教育研究所(私高研)が新設され、活動を始めた。
本紙は、1953(昭和28)年9月15日発行の創刊号から数えて2000号に到達する。47年の歴史を刻んでいた。
11月22日付特集号は「記念座談会」を掲載した。出席者は、橘髙と大沼に加えて常務理事の小原哲郎、私高研主幹の喜多村和之、そして司会の常務理事、原野幸康というメンバーだった。
21世紀がやってくる。「機関紙は加盟校の道しるべ」という見出しにも、関係者の意気込みが現れていた。
新会長の大沼は、「戦後、国立大は統合によって特色を失ったが、ほとんど専門学校からそのまま4年制に切り替わった私立大は、統制を受けずに自由にやれたことが躍進の大きな原動力になった」と振り返った。
「(私立大は)合併や併合がなく、創立精神が活かされたことが今日の発展の根底にある。その安定した基盤ができた時期にこの新聞がスタートしており、大変貴重な資料の役割を果たしている」と、大学団体の唯一の機関紙としての本紙の価値を強調した。
私高研の初代主幹に就任した喜多村は、「初めて編集部を訪ねて創刊号を拝見したとき、『国立大の法人化』という主張が目に飛び込んできた。あの時代から、きっちりと、先見性のある主張をされてきたことに感銘を受けた」と語った。
創刊当時を知る司会の原野は、「国立大は明治維新、富国強兵の時代には有用だったが、敗戦を経験して、これからは団結して私学振興でいこう、との意気込みで我々の先輩たちは取り組んでいた」と応じている。
■「国立大を法人に」光る先見性の主張
この特集号には、創刊号を当時の紙面のまま中面に織り込んだ。当時の私大協会長、河野勝斎の創刊の言葉があり、喜多村のいう「論説(主張)」も読むことができた。
初代事務局長、矢次保による「国立大学を法人に移管せよ」というもので、「我々は、すべての国公立大に私立大と同様な学校法人を設置し、国および都道府県はその大学の管理運営を当該学校法人に移管することを提案する」と論じていた。
喜多村の私高研は、この座談会の前に、文部省(当時)が国立大の独立行政法人化を発表したのを受けて、初めての公開研究会を開いていた。本紙の創刊号に、国大法人化の主張を見た喜多村が、驚きを隠せなかったのは当然だろう。
それは、本紙が一貫して「国立大と私立大の格差是正」の主張を掲げ続けてきたことの証明と言ってよかった。
原野は、この伝統を引き継ぐため、本紙を年代順に綴じ込み、さらにマイクロフィルムでも保存していることを説明。創刊時の論説のコピーは、座談会の参加者たちに配られ、時代ごとの論点を振り返りながら、論議を進めることができた。
喜多村は、週刊である本紙のメリットを次のように表現した。「すでに400を超える私立大があり、それらの総意としてモノを言うような場合、デイリー(日刊)でないウィークリー(週刊)の方がいい。変化の時代に、もたもたしていると、既成事実がどんどん先に進んでしまうから、ある程度まとめて主張をすることが大切だ。私大協は非常に強力なメディアを持っている」と。
これに対して大沼は「喜多村先生が来られて、研究所の名前で客観的な主張をきちっと言ってもらうことは非常に重要なことだ」と、その活動に期待感を示した。
■全国会議員に配り、存在感高める努力
しかし、順調なことばかりではない。原野は次のような秘話も語った。
「私が受け持った当初の数年間は、新聞担当者は私大協の職員ではなく、毎月の給料の支払いも遅れ、玉川大や国立音大などからお金を前借りして支給していた。いまは担当者も協会職員となり、加盟校に維持員会という会員になっていただいて、拠出金をいただいているので経営が安心してできる」
「そして、すべての国会議員に配るなど存在感を高める。速報性はありませんが、記録性という面での貢献によって、最近では、教育学会の先生方の論文などにも本紙からの引用が多くなっています」
こうした本紙の実績を踏まえたうえ、21世紀の高等教育の秩序構築に貢献する機関紙としての役割に論議が進んでいく。
すでに「全入時代」を目前にし、「入学することの難しさ」で大学の教育レベルを保った日本型の質保証秩序が崩れ、新しいシステムを見出す必要性が叫ばれる。大学の大衆化とともに、学生の生活態度にも世間の目が注がれ、「授業外の学習時間の少なさ」が問題視されるようになった。
規制緩和ばかりを急ぐ国の高等教育政策に、私学をきちんと位置づける政策はあるのか、という声も出始め、喜多村も、国の政策に常に警戒感を持って対応する必要があることを力説する。
「21世紀は私学の時代です。文部省や国立大は、ヨーロッパは私学が少ない、アメリカも2割位と言うが、アジアの国々では私学が圧倒的に多い。ラテンアメリカでも公立の私学化が進み、ヨーロッパでも授業料を徴収する大学が増えている。受益者負担論、消費者主権が強まり、パブリックなお金や力だけでは高等教育も成り立たない時代なのです」
「日本には、私学の歴史と経営のノウハウがある。大切なのは、先輩たちが重ねてきた努力を誇りに、民間活力の方へもっていくこと。新聞の役割は、加盟校の皆さんに情報を提供して、自信を高めてもらうことだ」
そう強調したうえで、喜多村は「私学の立場から、21世紀の高等教育の在り方を積極的に提言していくこと」として本紙に、次のようなエールを送っている。
■哲人ソクラテスの「アブ」のように
「欧米人は、日本の私学がなぜ強いのか不思議に思っている。奨学金も貧しく、助成金も10%ほど、それでも次から次へと私学が現れ、学生を吸収している。親たちは喜んでお金を払い、私学が8割を占めている。文部省にとって、こんな有難い国はない、と感謝されてもいい。もしも国立だけだったら、何兆円というお金が必要になるのです」
私大協の機関紙が「政府の側もちっとも怖くない」という存在では「宝の持ち腐れ」になるとして、喜多村は、古代ギリシャの哲人ソクラテスの「アブの話」を引いた。
「ソクラテスは、アテネを大きな美しい馬にたとえたが、非常に怠惰で寝てばかりいるから、彼はいつも人々に議論を吹きかけて、馬の身体をチクチク刺すアブの役割をしていた。新聞も政府が変なことをしたら、突っついてストップをかけるのです」
これに原野が「アブどころかクマンバチのようにブツブツやるくらいの元気で...。きょうのお話は新聞のスタッフも聞いていますので、心して編集に当たると思います」と応じて座談会を締めた。
全入時代と「質保証」の課題
■キャンパス万華鏡も100回目前に
「キャンパス万華鏡」という本紙企画が始まったのは2009(平成21)年元日の紙面だった。加盟校には、それぞれ自慢の『お宝』がある。歴史的な建造物や秘蔵品から、ユニークな教育や地域連携といった無形のものまで、「写真が語る大学の横顔」として募集している。
大学創立者の志や建学の精神を象徴する写真も多数、集まった。美しいカラー紙面に展開すると、「各校の特色を目で見て知ることができ、交流や連帯のきっかけにもなる」と評判になった。
すでに95回を数える「万華鏡」、その2009年は、どんな年だったか。年頭所感で、私大協会長の大沼淳は、前年のアメリカのサブプライムローン問題に端を発した金融危機が私立大の経営環境にも影響していることを指摘した。
以前にも増して、緊密な情報交換と強固な結束が求められる。385大学に増えた加盟校を結びつけるツールとして「万華鏡」のアイデアが生まれた。
留学生30万人計画などグローバル化対策が強化される一方で、2001年からの小泉純一郎政権による規制緩和の負の遺産が議論されるようになっていた。大沼は「教育への市場原理の導入によって、本来、変えなくてもよいものまでを壊す。日本の誇りとしてきた学校法人制度を根底から揺るがすような動きが出てきた」と訴えた。
新春座談会でも、論議は「規制緩和策のほころび」に集中した。会長の大沼はじめ、黒田壽二、小出忠孝の2人の副会長、常務理事の柴忠義、私高研主幹の瀧澤博三、それに司会の事務局長、小出秀文が参加した。
文科省は、前年の中教審の「学士課程教育の構築に向けて」答申を受けて大学教育の充実を求め、教育の質をめぐる論議が沸騰する様相を見せていた。「出口保証」という言葉もしきりに使われていた。
文科省は「国家戦略としての大学づくり」を掲げたが、これは規制緩和路線の見直しを意識したもの、と私高研主幹の瀧澤は見ていた。
「この10年、高等教育は規制改革に強い影響を受けた。もっぱら経済の観点で進めた政策によって、大学教育に大きなひずみを与えてきた。これは少しおかしいぞ、という空気が昨年あたりから出てきた。この市場重視の動きがどう変わっていくのか、今年は重要な境目の年になる」
政府はそれまで、量的整備を中心とした政策で、教育の中身には口出しをしなかったが、一転、教育の質を問うようになる。国際的な水準を維持することが国の政策として意識され、多様化・個性化の一方で、「普遍性」という言葉が加わった。普遍性を実現するには政府の関与も必要というのだろう。当時の瀧澤の分析だった。
■規制緩和10年の「ひずみ」を軌道修正
「学士課程」答申が打ち出したのが、教育目標を達成するための3つのポリシー(アドミッション、カリキュラム、ディプロマ)だった。
やがて、その策定・公表をすべての大学に義務付け、2020年1月の中教審大学分科会で「教学マネジメント指針」がまとめられる。そこでは、「学修者本位の教育の実現」という新たな表現も登場した。
当時、文科省・改革推進室長だった西明夫は、私大協幹部との会合でも次のように説明した。
全入時代の到来に伴い、従来型の教育モデルは維持できない。就職の際の雇用慣行も見直され、大学における学修成果の可視化を求める声も高まった。
そこで成績評価や卒業認定の基準を明確化し、卒業時の出口保証を徹底しようと学士課程答申が出され、2012(平成24)年の「新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて」(答申)につながる。
教学マネジメント指針には、そうした前段があった。2018年の「2040年に向けた高等教育のグランドデザイン」(答申)でも同様の課題が指摘されていたが、一元的に整理されたものとなっていなかった。
指針策定は、教学マネジメントの仕組みを大学運営に組み込むことを最終的に要請した。
指針では、3つのポリシーに基づく「学修者本位の教育」によって、広く社会一般と大学との「信頼と支援の好循環」が生まれることの重要性が強調されている。
■紙面充実で「予測困難」な時代に挑む
しかし折あしく、指針策定の直後からコロナウイルス感染症が世界的に拡大し、大学の在り方や教学経営にも、従来とは違う視点を取り込む必要性が生まれた。大学運営の困難さは新局面を迎え、「予測困難(VUCA)」な時代(今年元日の本紙)に突入している。
大学が「信頼と支援」の好循環を得るには、どうすればいいのか。3年前亡くなった大沼が語っていた言葉を思い出す。
「私学は自主性と公共性を大切にし、社会に訴えてもきたが、果たして、私学側が自負しているような理解が国民の間にあるだろうか。国民との間に、認識のギャップがあるとすれば、それを乗り越えなければならず、そのための努力を地道に続けなければ、公費支援の増額などにも理解を得ることはできない」
この公共性と、教育の質への信頼性を確立することができるかどうか。時間のかかる仕事だが、それが今後の成否を決める。本紙の歴史を取材しながら実感させられた。
本紙は1年半後に3000号に到達する。そして、その翌年には私大協の創設80周年の節目がやってくる。本紙の一層の紙面充実に期待が高まるだろう。
(敬称略)