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私大の力

<30> チャットGPT
「生成AI」の衝撃
教育の空洞化をどう防ぐのか

平山一城

■20世紀の「常識」では歯が立たない

 1面の「アルカディアの風」で「チャットGPT」をめぐる提言がなされているが、筆者が人工知能(AI)について思い出すのは、評論家の小林秀雄がその可能性を論じた次の言葉である。
 「機械は、人間が何億年もかかる計算を1日でやるだろうが、その計算とは反復運動に相違ないから、計算のうちに、ほんの少しでも、あれかこれかを判断し選択しなければならぬ要素が介入して来れば、為すところを知るまい」
 たとえば「熟慮断行」のゲームである将棋を、人間と対等に指すことはできまい、と。(『考えるヒント』)
 人工知能を意味する「Artificial Intelligence」(AI)という言葉が初めて使われたのは1956(昭和31)年、アメリカでの研究者らの会議だったらしいが、この小林の感想はその3年後のものである。
 小林は当時、作品が大学入試にもっとも多く出題される〝批評の神様〟と呼ばれた。その最高の知性がもし、「チャットGPT」の能力を知ったら、渋い顔をしたに違いない。
 21世紀のAIは、前世紀の「常識」を覆してしまった。報道には「チャットGPTは核兵器に匹敵する発明」とあったが、まさに「人間の思考を代替すること」に端緒を拓く技術の未来を考えると、筆者などは空恐ろしくすらある。
 GPTはネット上で訓練された「文章生成の技術」という英語の頭文字だが、その能力は驚異的だ。人の呼びかけに応じて、詩や小説を書き、料理の献立を考えたり、作曲したりできる。
 教育現場への影響は計り知れない。世界中の論文など学習データにアクセスし、わずかな時間で精度の高い文章を作り出してしまう。
 アメリカではすでに、学生の20%近くが「リポート作成や宿題にチャットGPTを使った」という調査があるが、日本も早晩、同じような状況になりそうだ。
 生成される文章は、著作権侵害や誤情報混入のリスクも大きいが、何よりも「自分の頭で考えずに」文章を作れることが、教育の空洞化につながるとの危機感を高めている。
 文部科学省は近く、教育現場向けのガイドライン(指針)を作成し、留意点などを示すという。多くの大学では、リポートや論文作成にチャットGPTなど対話型ソフトの利用を制限する対応策を講じ始めた。 
 しかし国際的な開発競争は激しく、日本も手をこまねいている時間はないとの意見もある。教育の在り方そのものを脅かしかねない技術の登場が、これまでにない難しい課題を突きつけている。

■大学も「見解」「指針」の策定を急ぐ

 北里大は4月中旬、学生のチャットGPTの利用を制限する通知を出した。そこには、「教育研究の場で利用することは、学生として事象・現象を客観的に考察する能力、自らの考えを他者に説明する能力等の習得に支障となる可能性がある」と記された。
 他にも、多くの大学が「見解」や「指針」をホームページなどで公開している。
 東京大は、学内向けサイトに「見解」を掲載し、「人間自身が勉強や研究を怠ることはできない」と強調する一方、教員側にはヒアリングや筆記試験を組み合わせて本人作成であることの確認を促した。同時に、「まず皆さん自身で使ってみるのが良い」とも呼びかけ、授業や研究での有効活用に向けた議論を始めている。
 東北大も、著作権侵害や誤情報などの留意事項をまとめ、授業によっては使用禁止や制限を設けるが、「AIの利用を完全に排除することは現実的ではない」とも言及した。
 毎日新聞がアンケート調査をしたところ、大阪、九州、上智、青山学院、関西学院の各大学から具体的な回答があった、という。
 九州大は「自らの知りたいことを調べる道具として、AIの使用を禁止することには賛成できない」とし、新入生の授業ごとに担当教員が使用ルールを決めている。
 大阪大では、学長が「AIから得られた回答を、その真偽を正しく判断せずに自分の言葉として発信した場合、さまざまなリスクをはらむことがあります。1人ひとりが認識してください」と呼びかけた。
 上智大はいち早く、AIによる文章、プログラムコード、計算結果の利用を禁止する方針を示した。利用が確認された場合は「厳格な対応を行う」とする一方、今後も「教育への活用も含め適宜見直しや検討を続ける」とした。
 このほか、「指針策定を7月までに」(名古屋大)▽「悪用防止に向けた取り組みと適切な利用方法について検討を開始した」(立命館大)▽「内容を検討中」(早稲田大)といった回答もあったという。
 中央大では「AIを利用して、要約された情報を教科書代わりに用いる例が散見され、学生が体系知を身につける上での阻害要因となった」と、すでに懸念される事態が迫っていることを認めている。
 AIが作成した文章を検知するソフトも流通しているが、実際は見抜くのは難しいとされる。大学の試験や企業の採用活動の際には、会場に学生を集め、手書きや口述を用いるなどの対策をとる必要もある、と指摘する専門家も少なくない。

■急速に普及...日本の企業も興味津々?

 ただ排除ばかりでなく有効活用を模索する議論も始まっている。
 先日、本紙で紹介した甲南女子大の文学部メディア表現学科では、今年度からチャットGPTを活用して授業の進め方を考えるグループワークを実施する。AIの活用方法を理解し、情報ツールとして使いこなす能力を身につけることを目指すという。
 技術が進歩すること自体は望ましく、使い方次第で、新しい価値の創造につながる面も否定できない、と前向きに対応する大学も出てきそうだ。
 若手論客の筑波大准教授、落合陽一は日本テレビの番組で、「新しい道具が出てきた時にリスクはつきもの。『リスクがあるから』と遠ざけると、作っている人たちに全部、産業を取られてしまう」と指摘した。 
 「チャットGPTを創造した企業『オープンAI』に1億人のユーザーが集まるのは、アッと言う間だった。ストップをかけようとする動きもあったが、そうした中には、表でやめろと言いながら、裏では、技術で巻き返しを考えている人たちもいる」
 番組では、「普及スピードの速い展開に、日本の役所も企業も興味津々のようだ。すでにチャットGPT活用のノウハウを伝えるサービス企業が登場し、アドバイスしている」と背景説明があった。
 コラムニストの冷泉彰彦は『ニューズウィーク』日本版で、日本の大学の「ネガティブな反応」を次のように批判する。
 第1は、教育の定義が変わることを認識する必要がある。AIが多くの仕事をこなす能力と信頼性を持てば、人間の役割はより高度に知的な活動にシフトしなければならない。大学では、「AIを使いこなす」あるいは「AIのエラーを見抜いて訂正する」活動につながる教育に移行してほしい。
 第2に、世界的な開発競争を理解すること。オープンAIの幹部は日本政府に働きかけ、日本に拠点を置いて実用化を図ることを目指す。しかし日本としては、独自に、日本語のデータベースを開発し、日本という文明、日本語という言語の将来を決定する重要な知的・文化的インフラを早急に創り出さなければならない。
 このように指摘して、大学教育の在り方を抜本的に見直す必要性を強調するのだが、大学関係者はどう受け止めるだろか。

■常に「正しく疑う」を肝に銘じて

 京都大総長の湊長博は先月の入学式で、AI生成によるリポート・論文作成に問題が多いと述べながら、「自分で文章を書くのは、非常にエネルギーを要する仕事だが、皆さんの精神力と思考力を鍛えてくれる」と、学生の自覚を促した。
 AIの答えを丸写しにすることになれば、学力も伸びず、教育は成り立たなくなる。判断や表現には、思考が欠かせない。それが面倒だからと、人間本来の「考える」という営みをAIに任せていいはずはない。
 チャットGPTには大きな可能性がある反面、人類の存在そのもの、社会の在り方にかかわる重大な脅威が潜む。それこそ、人間性を変えてしまう「核兵器」にも匹敵する混乱要因となりかねないことを認識すべきだ。
 5月19日、広島で開幕する先進7か国首脳会議(G7サミット)でも対応策が協議されるが、国際的なルールづくりを急がなければならない。
 冒頭に言及した小林秀雄はかつて、学生たちとの対話の中で、「学び」の心構えについて、こんなことを言っている。
 「本当に、うまく質問すること、が大切なのですよ。僕ら人間の分際で、この難しい人生に向かって、答えを出すこと、解決を与えることはおそらくできない。ただ、正しく訊(き)くことはできる」
 さて、この想像を絶するAI技術を前に、どうすれば、「正しく訊く(質問する)」ことができるのか。まずは、情報を「正しく疑う」から始めなければならない、と思う。そうでなければ、現代の「学び」が危ういものになることを肝に銘じるべきだろう。
(敬称略)