特集・連載
私大の力
<24> ノーベル賞ならず
自然科学へ政策シフト
「理系離れ」どう向き合うか
■「私大文系の定員増が影響」との主張
今年のノーベル賞の自然科学3賞(生理学・医学、物理学、化学)に、日本人の受賞はなかった。優れた業績で期待された研究者も多かっただけに、残念に思う。
昨年は、地球温暖化を予測する先駆的な研究で、米プリンストン大の真鍋淑郎が物理学賞を受賞した。2000(平成12)年以降、20人が科学分野で受賞している。
ただ、大学院まで日本にいた真鍋が米国に移り、受賞理由となる研究基盤を米国に置いたことが象徴するように、日本の基礎科学での研究力の低下を心配する声が広がった。
各国の学者に引用される論文の数での地盤沈下も目立つ。文部科学省の科学技術・学術政策研究所(NISTEP)の調査では、2020(令和2)年、日本は新型コロナウイルス関連の論文数で世界14位だった。全分野での質の高い論文ランキングも9位から10位へと順位を落とした。
NISTEPの分析によると、ノーベル賞では、40歳前後での研究が20~30年後の受賞につながるケースが多く、日本人の平均受賞年齢は65歳だった。今後、若手研究者の層が薄くなれば、ノーベル賞に手が届かなくなることも考えられるという。
政府の教育未来創造会議が5月にまとめた第1次提言は、「日本の大学の理工系の学部生は17%に過ぎず、OECD(経済協力開発機構)各国の平均27%と比べて見劣りする」との危機感から作成された。
そこで「自然科学系(医学など含む理系)の学生比率を、現在の35%からOECD諸国で最高水準の5割程度を目指す」との目標を掲げた。
私立大として見逃せないのは、理工系の学部生が減ったのは「私立大で文系の入学定員が大幅に増えたことが要因」とする言説である。
電気通信大学長の田野俊一は日刊工業新聞(8月15日付)に、「国立の情報・理工学系単科大学の立場から」とする寄稿で、「大学の入学定員は1970(昭和45)年からの50年間で約64万人にほぼ倍増したが、理系主要分野の理学・工学の定員割合は逆に24%から17%に減少した。(私立大学が)進学の選択肢は文系の方がたくさんありますよと、理系離れを後押しした」と論じた。
そして地方創生のための特例として地方の国立3大学で定員増となったことに触れ、「国として理系増を掲げる中、地方限定は疑問符がつく」とし、「国立大での学部生の定員抑制を見直せ」と主張した。
ただ同時に「国公私立を超えた連携」を提案するとして、「理系人材の育成は手間もお金もかかる。先端機器を使った少人数での実験・演習が必須、教員も先端的な研究者でなくては学生に実力がつかない。(まずは)理系人材育成の実績が高い国立大と一部の公私立大が定員増の先頭に立ち、のちに多くの私立大と連携することで学生数5割を目指す―。そんな仕組みと財政支援はどうだろうか」と訴えた。
この「一部の公私立大」と「多くの私立大」とを切り離した連携論は国立大の本音か、私大側の分断を図っているようにも思われて、心地よく読める関係者は少ないだろう。
しかし文理融合といい、理系定員増といい、国の教育政策が「自然科学重視」に大きくカジを切るなかで、「多くの私立大」が難しい局面にあり、厳しい状況を直視しなければならないところに来ているのは間違いない。
■名城大、京産大で受賞者の記念特別展
こうした背景を踏まえ、京都大学と連携を深める金沢工業大学など私大側での研究力向上の取り組みも活発化している。また、これまでノーベル賞受賞者を迎えて大学の研究力やブランド力を高めた私立大の躍進も目立つ。
ノーベル賞の受賞者3人を擁する名古屋市の名城大では、3人の名前を冠した「赤﨑・天野・吉野ノーベル賞記念展示室」を設けて活動を展開する。今年のノーベル賞ウイークが始まった10月3日からは来年3月31日まで、2014(平成26)年の物理学賞受賞の功績を振り返る「赤﨑勇教授特別展~世界を変えた青いヒカリ~」を開催中だ。
赤﨑は昨年4月に亡くなったが、特別展では赤﨑が自宅で使用していた机や手書きの研究ノートなども添えて、小学生以上の入場者を念頭に分かりやすく高度な研究成果に触れられるように工夫している。
その研究は、「青色LED(発光ダイオード)を起点とした新規光デバイス開発による名城大学ブランド構築プログラム」として文科省に事業採択され、赤﨑なきあとも研究グループを中心に全学体制で、次のノーベル賞受賞に繋がる研究課題や新しい研究領域の開拓を目指す。「その成果をホームページはじめ、シンポジウムや模擬実験、学生公募などで広報することで、『研究の名城』という存在感を急速に高め、中部圏では最大級の文理融合型の私立総合大学へと成長した」と自負する。
一方、ノーベル物理学賞受賞者で昨年に亡くなった益川敏英の在籍した京都産業大でも、益川の著書などを集めた特別展示会を開き、多数の学生たちが閲覧した。
今年のノーベル賞では私大関係でも、エネルギー分野で宮坂力(桐蔭横浜大特任教授)や合成ゴムなどの高分子を精密に合成する手法を開発した澤本光男(中部大特任教授)、光触媒を発明した藤嶋昭(東京理科大栄誉教授)らが有力候補に挙げられていた。
■「40歳ごろの研究業績」で25年後受賞
日本人の科学3賞は、1949(昭和24)年の湯川秀樹から昨年の真鍋まで25人(米国籍3人を含む)を数える。国別でも米国に次ぐ2位となっている。
政府は2001年度の科学技術基本計画に「50年間にノーベル賞受賞者を30人程度に」とする目標を掲げ、2003―12年の10年間に7人、13年からの10年間で9人の受賞という実績を重ねた。
このペースなら計画達成は確実とも見られたが、心配なのは、「最近の受賞ラッシュの業績の大半は、前世紀の研究」という現実である。
先に紹介したNISTEPのデータは、科学3賞の福沢から真鍋までの日本人25人を対象に、そのキャリア形成の推移を分析したものだ。
結果は、受賞者たちは平均40歳で賞につながる研究を行い、受賞はその25年後だった。受賞時の平均年齢は65歳で、日本人以外の受賞者470人が平均で38歳の成果を基に60歳で受賞していたのに比べると、やや年齢が高かった。
ノーベル賞級の発見は30―40歳代に多いということだが、国の基本計画は、これらの世代を中心に優れた業績を生み出すための有効な施策を打ち出せているかどうか。
近年、どの大学・研究機関でも研究者のポストが不足している。このため若手は、不安定な有期雇用の博士研究員(ポスドク)のまま業績を求められる傾向にある。
国の科学技術予算の抑制が要因の1つとも指摘されるが、将来の生活に不安を抱えた研究者に、画期的なテーマへの挑戦は期待しにくい。
NISTEPは今後に向けて、「たとえば受賞者の論文がどのように引用され新たな学術領域を形成していったか、その際、研究助成など政府の関与がどのような役割を果たしてきたか。分析を深めることにより、具体的な政策への示唆が得られる」と提言する。
■研究分野の多様化、私大にもチャンス
文科省は来年度から、デジタル、IT(人工知能)や脱炭素など成長分野の強化に向けた大学・高等専門学校の支援を強化する。理工系の高度専門人材を増やすため、学部転換など大胆な再編に乗り出す大学などを、複数年度で支援する方針だ。基金化も視野に、来年度予算の概算要求に100億円を盛り込んだ。
学部学生数は、私立大が全体の78%を占めることから、理系学部への再編においては私立大を主な支援対象にするという。
具体的には、再編で必要になる初期投資、教育プログラム開発や教員研修、さらに再編後の運営などの経費を後押しする。5年から10年程度の集中支援で、実施主体は大学改革支援・学位授与機構を予定している。
背景には、教育未来創造会議がまとめた「自然科学系の学生比率を5割程度に」との提言がある。「理系比率の大幅減には文系学部の多い私立大が増えたことが影響」という言説も見られる。
こうした不当な発言を跳ね返すためにも、若手研究者のための環境を整え、21世紀の日本発の業績で未来のノーベル賞を狙う意気込みを見せたい。そして実際に、「私大卒業生から早く受賞者を」と努力している私立大も決して少なくない。
科学の進展に伴い、ノーベル賞の選考対象も変化している。昨年、真鍋が受賞した気候科学は従来、物理学賞の対象とは考えられていなかった。今年、古人類研究のスバンテ・ペーボが生理学・医学賞を受賞したのも異例だった。
新しい研究分野の開拓には、これまで日本が弱いとされた分野横断的な取り組みを積極的に進め、古い枠組みにとらわれずに果敢に挑戦する姿勢が大切になる。私立大にもチャンスはある。