特集・連載
私大の力
<18> ウクライナ侵攻 中国の微妙な姿勢
人道危機が大学交流にも暗雲
■各地の大学から「非難声明」が相次ぐ
ロシアのウクライナ侵攻を非難する声明が各地の大学から相次いでいる。
東京の3つの私立女子大(津田塾、東京女子、日本女子)の学長は連名で、「1日も早いこの戦闘状態の終結と、対話による早期の平和的な解決を強く求めます」との共同声明を発表した。
ウクライナの多くの市民たちが平穏な日常生活を奪われ、国外への退避すら余儀なくされていること、とくに「女性や子どもたち」が厳しい環境に置かれていることに「強い憤りを覚える」との内容だった。ロシア軍による「市民の殺害や拷問、性的暴行などの残虐行為」が次々に明らかになり、女性や子どもたちの人権を重視した女子大の訴えがより一層、深刻度を増してきた。
一方、沖縄県の各大学もこぞって、ロシアの軍事行動を非難するメッセージをホームページなどで発表した。
日本私立大学協会加盟の3つの私立大(沖縄、沖縄キリスト教学院、沖縄国際)と国立の琉球大、公立の名桜大である。
沖縄の大学が他の地域に比べてより神経質になる背景には、太平洋戦争で大きな被害を受けたという歴史もある。
しかし今回の事態は、現実のより切迫した問題をはらんでいる。
中国が、ロシアの暴挙を非難しようとしない。むしろ擁護するような姿勢を繰り返している。その中国の影が、沖縄近海にも忍び寄る。「この混乱に乗じて台湾に武力侵攻するのではないか」という危機感だ。
ウクライナ問題が沖縄周辺、ひいては日本の安全保障上の緊張度を高めている。
沖縄の各大学の声明に中国を名指しする文言はない。ただ、ある大学の緊急声明には、「沖縄の米軍基地を中心にした南西諸島の軍備強化の動きが加速することを憂慮します」との表現があった。
南西諸島でのアメリカなどの警戒活動が沖縄の基地を巻き込む事態を心配したものだろうが、その表現にも遠まわしでの中国への警戒感が読みとれる。
紛争が長引くほどに、他の地域の大学としても黙視できない心配事になる。ロシアやウクライナ、中国などから留学生を多く受け入れてきた大学にとってはなおさらだ。
ようやくコロナ下の規制が緩和され、留学事業などの立て直しを進めようとした矢先の危機に頭を痛めている大学関係者も少なくない。
■なぜベラルーシはロシアと共闘したか
ベラルーシという国が、ロシアとともにウクライナ侵攻に参加している。いずれも、ソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)を構成していた国々で、去年は、そのソ連の崩壊から30年の節目の年だった。
30年前、ロシアだけがソ連の核兵器を継承する国となり、他の14の共和国は非核国として独立することが合意された。
私が日刊紙の記者としてモスクワに駐在したのはこの時期で、1994(平成6)年のウクライナとベラルーシでの初めての大統領選挙を現地取材した。
ウクライナとベラルーシは、ロシアとヨーロッパの中間にあるから、ヨーロッパの人たちはこの2つの国の政治動向には常に神経をとがらせてきた。
そのベラルーシがどうしてウクライナ攻撃に加わるのか、実はそれを暗示するようなエピソードが昨年夏、東京で起きていた。
東京オリンピック出場のため来日したベラルーシの女子陸上選手が五輪の開催中にポーランドに亡命した。そのことで、この国の強権体制が全世界に知られた。
驚くべきは、ベラルーシでは27年前に私たちが取材した初代大統領がいまだに権力の座にいることだった。今年68歳になるアレクサンドル・ルカシェンコという人物が、ソ連からの独立後ずっと、この国を牛耳っている。
もともとソ連時代の国営農場長という経歴の人で、一時は経済の民営化を進めたが、うまくいかずに旧ソ連流の経済運営に転換する。そして憲法改正で大統領の任期も延長、ロシア大統領のプーチンとは連合国家条約を結んで野党勢力への弾圧を強め、権力をほしいままにしていた。
ベラルーシは、スラブ語の「白(ベラ)」から「白ロシア」とも呼ばれるが、この「白」は「自由」を意味している。13世紀、この地域一帯にモンゴル人が侵入したとき、その支配を受けなかったことに由来するという。
この「自由」を掲げた国がロシアに同調し、ウクライナでの残虐行為に加担しているのだから、歴史上の皮肉といわざるを得ない。
実は、ソ連崩壊後のロシアも一時は民主的な道を歩むことが期待されていた。
いま日本やアメリカ、ヨーロッパの先進国は「G7(先進7か国首脳会議)」という立場でロシアを非難しているが、独立後のロシアもこのグループに加わり、「G8」と呼ばれた時期があった。
しかし2014(平成26)年3月、ウクライナ南部クリミアの武力併合を強行したことから、G8から除外された。選挙制度はあっても、権力者の思うままに操作される「権威主義体制の国家」に逆戻りしてしまった。
今回のウクライナ侵攻は、プーチンとルカシェンコという旧ソ連の復活を夢見る独裁者たちの共同犯行といえる。
■外部の侵略に備える「経済安保法案」
ヨーロッパの緊張がアジアにも飛び火するのではないか。その懸念の先にあるのは、もうひとつの「権威主義体制の大国」、共産党支配の中国である。
「中国にも民主主義はある」と抗弁するが、ウイグルやチベットでの人種隔離や香港での言論弾圧をみると、とても「民主国家」とは認められまい。仮に中国がロシア支援にカジを切れば、G7としても経済制裁に踏み込むだろう。そのとき、アジア唯一のG7メンバー国としての日本の立場はさらに難しいものになる。
すでに日本では、民主的な価値観を共有できない国々とのつき合い方が重要な検討テーマになっている。国会で審議中の「経済安全保障推進法案」も、基本的には、日本の知的財産を侵略からいかに守るかという点に目的がある。審議では、ロシア寄りの中国の問題が、日本の高等教育にもたらす影響についても指摘されている。
日本学生支援機構が発表した令和2(2020)年度の海外からの外国人留学生は、中国の11万4255人(同6.2%減)が最多で、ベトナム4万9469人(同20.5%減)、ネパール1万8825人(同21.6%減)だった。
コロナ禍にあって各国が大きな減少幅を記録している一方、中国の減少率は比較的小幅だった。「中国の留学生がいなければ、定員確保がさらに厳しくなる大学が少なくない現状が背景にある」と指摘する専門家もいる。
しかし、世界のメディアにも中国を警戒する報道が目立つ。いまや国際共同研究と国際的ジャーナルへの研究成果発信に勢いづいた中国に対してである。全国高等教育研究所等協議会長の有本章によると、今年1月、兵庫大で開いた同協議会でも中国人講師が「中国をめぐっては最近の(きな臭い)ニュースが世界を駆けまわっている」とし、「中国のスパイ活動脅威」(日経新聞)「優れた研究者、なぜ中国へ」(朝日新聞)などの記事を例に挙げたという。
日本の安全と国益を守り、中国と上手につき合うにはどうすればいいのか。アメリカの国際政治学者、ジョセフ・ナイは読売新聞への寄稿で論じた。
「中国のシステムは、マルクス・レーニン主義でなく『市場レーニン主義』で動いている。これは一種の国家資本主義だ。公営企業と民間企業をかけ合わせたハイブリッドを基盤とし、権威主義的な党エリートに従属している」
「米国は、気候変動やパンデミック(世界的感染拡大)に単独で立ち向かうことができない。だから、他者と『共に』行使するべき力があると気づかなければならない。こうした地球規模の問題への対処で、米国は時に中国と協力する必要がある。同時に、南シナ海における航行の自由を確保するため、中国海軍と競争しなければならない。もし中国が2つの問題を関連づけて協力を拒んだら、傷つくのは中国自身だ」
そして、こうした大国間競争の戦略に必要なのは「慎重なネットアセスメント(戦略総合評価)」であり、その目標は、生存にかかわる脅威への全面的勝利ではなく、「管理された戦略的競争」だ、と。
日本の大学にも、この国に警戒しつつ、いかにして「共生」「協力」への道を見つけるかという課題が突きつけられている。
■秩序の変化にも「しなやかな感性」で
今春の入学式には、多くの大学の学長が学生たちへの訓示のなかで、ウクライナ問題に触れていた。
早稲田大の入学式では総長の田中愛治(日本私立大学団体連合会長)が新入生を前に、「しなやかな感性を育む大切さ」を強調した。
「例えば、ウクライナから留学している学生たちはどんなに心細い思いをしているか。あるいはロシアからの留学生は自分の祖国をどのように見つめているのか。ロシア人がどう見られているか、と不安に思っているかもしれない」
異なる立場にある人たちに思いを寄せ、「どんなつらい思いをしているか」を肌で感じられる、そのことが「しなやかな感性」という。
ウクライナ侵攻後の国際社会は様相を一変させるだろう。これまで一定の役割を果たしてきた国際連合(国連)はすでに機能不全に陥り、先の見えない混乱状態が当分つづくと覚悟する必要がある。
日本は国連改革などで動き始めているが、これまで以上に積極的に国際秩序の再建に貢献する道をさぐらなければならない。そこではやはり、硬直した「権威主義」に対抗する「しなやかな感性」が重要になる。一人ひとりが感覚を研ぎ澄ませて危機の姿を見すえ、日々の努力を積み重ねていくことが求められる。