特集・連載
私大の力
<14> 新しい主役たち渋沢、津田そして北里
お札の顔も「私学人」が並ぶ
■ノーベル賞ラッシュに驚く中国人
この秋の日本人のノーベル賞受賞に、中国で「(日本が)またやった」「うらやましい」といった声が聞かれる、と知人が教えてくれた。
日本人の受賞を気にする中国人は多く、「今世紀の日本は、ほぼ1年に一人の割合でノーベル賞を取っている」と、驚きとともに日本の快挙を認めているらしい。
もっともこの情報もインターネットからの受け売りのようで、そんな率直な日本への賛辞を公言する中国人は多くはないだろう。
しかし、そのなかに次のような興味深い見方があった、という。
「教育を重視する伝統が、日本の科学技術力の源泉だ。たとえば日本の紙幣には、教育家で思想家でもあった福沢諭吉や、小説家の樋口一葉、細菌学者の野口英世が描かれていることも、その証左だ」と。
確かに「教育を重視」と言われれば、福沢は慶応大学の創始者だし、3年後に発行される新1万円札の顔、渋沢栄一も「日本資本主義の父」と呼ばれる一方で、「論語と算盤」に代表される道徳経済合一の思想で後進を導き、いくつもの大学の発展に心を砕いた。
そして新5000円札には津田梅子、1000円札は日本近代医学の父、北里柴三郎が連なる。それぞれ、津田は津田塾大学をつくり、北里の没後に北里大学がつくられた。
これが「(お札の)図柄の人物は文化人から」(財務省)という日本の伝統である。
だから、現在使われている6種類の紙幣すべてが「毛沢東」の肖像という中国社会で「うらやまし」がられ、自国のお札を見るたびに「自由のない権威主義の象徴」と心のなかで呟く中国人がいても不思議ではない。
中国籍のノーベル賞受賞者は、まだ一人しかいない。その理由には「独創性やユニークな発想を追求する研究者の自由を、政府が認めていないから」との意見がある。
日本では、論文の数や引用数で「中国に負けた」と問題視されるが、専門家の間では「論文を書かないと研究費を減らされる中国では、独創的研究はすぐには成果に結びつかず、リスクが大きいから、確実に論文を書けるテーマに偏りがち」とも言われる。
令和6年に導入される新紙幣はこの秋、印刷が始まった。
新紙幣の顔となった人物を通して、中国人も憧れる学の「自由」、独創性や多様性を大切にしてきた日本の私学の伝統が見えてくる。
■渋沢は二松学舎長として「自由」力説
現在放映中のNHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公、渋沢は実業家として多くの銀行や企業を成功に導いたが、日本の高等教育にとっても恩人といえる人物だった。
東京の一橋大学がその独自性を貫いて現在の姿があるのは、渋沢のおかげと言っても過言ではない。大学の淵源は1875(明治8)年、外交官の森有礼らが中心となって設立された商法講習所という私塾にある。「国際的に通用する商業人」の育成を目的としてスタートし、森が海外に赴任したあとは、その意思を継いだ渋沢が財政面、運営面で支援する。
そして、東京高等商業学校という官立学校を経て大学昇格を目指すのだが、文部省は東京帝国大学に吸収することを決定する。これに教職員や学生たちが猛反発するのを見た渋沢は、文部省を説得して東京商科大学として独立の道を歩ませるのである。
その後継である一橋大学に、国立大のなかでも特色のある自由な学風が堅持されているのは、「渋沢の先見性を伝統にしたことが大きい」と語り継がれた。
渋沢は、私学の発展のためにも尽くした。そこには、現在の東京経済大学、高千穂大学、拓殖大学、二松学舎大学などの名が確認できる。
1919(大正8)年、渋沢を学舎の第3代舎長に招き、その後の発展を成し遂げた二松学舎大学のホームページには次のようにある。
「渋沢は『素志』という言葉で、平素からのこころざしの大切さを説いたが、それは彼にとっては『適材を適所に配置して成績をあげること』だった。それこそ、人が国家社会に貢献する本来の道であると心に決めて、『能力のある人を閉じ込めてしまうようなことは決してせず、活動する世界は自由であり、人は平等でなければならない』と力説した」
つまり、人を育てるうえでの「自由な環境」が欠かせないという理念だった。
■北里は「事を処してパイオニアたれ」
一方、津田は1900(明治33)年、アメリカ留学の経験をもとに私塾・女子英学塾を開き、やがて津田塾大学として発展させる。女性の地位向上こそ日本の発展につながると信じて、「個性を重んじ、少人数教育を貫くこと」をモットーに、女性の高等教育に生涯を捧げた。
北里は庶民にもっとも身近な1000円札の顔に選ばれたが、常々、「事を処してパイオニアたれ。人に交わって恩を思え。そして叡智をもって実学の人として、不撓不屈の精神を貫け」と門下生に説いていた。
北里大学はいま、北里が成した学統を受け継ぎ、その理念である「開拓」「報恩」「叡智と実践」「不撓不屈」を建学の精神としている。
「開拓」は「事を処してパイオニアたれ」であり、その趣旨は「科学の世界でパイオニアとなり、独創性に富んだアイデアを持つこと」という。
北里大では2015(平成27)年、特別栄誉教授の大村智がノーベル生理学・医学賞を受賞して、その「パイオニア精神」が改めて注目されることになった。
この先人たちの足跡を思うと、中国人の指摘を待つまでもなく、ノーベル賞につながるような日本の学問・研究の堅固さが改めて理解できる。
そして、そのことの幸せを実感するとともに、いま「独創性に挑むシステムの欠落」に悩むようすの中国の人たちの苦境も理解できるのである。
■私立大支援を含めて全体の底上げを
しかし、日本も安穏とはしていられない。
新札への切り替えは「令和」の世の飛躍を期して実施することを財務省も強調した。背景には、このところの日本が一時の輝きを失いつつあるとの危機感がにじむ。
最近のノーベル賞ラッシュも、国が豊かで思う存分に研究ができた「古き良き時代」の遺産とも見られる。現に今年の受賞者はすでに90歳という老研究者で、しかもアメリカに籍を移していた。
「やはりアメリカでは若いころから自由に研究をやらせてもらえる風土がありました。日本ではますます、好奇心に駆られたような研究に打ち込ませてもらえる場所が少なくなっている。このままでは基礎的な科学技術研究が停滞し、国力の低下に繋がってしまう」
このところの受賞者からは、同じような趣旨の発言が相次ぐ。
先日、政府の経済対策に、10兆円規模の大学ファンドの運用を今年度内に始めることが盛り込まれた。
科学技術への投資強化は岸田内閣が掲げる「新しい資本主義」の成長戦略の柱の一つだが、果たして、これを経済成長の基盤となる研究開発能力の底上げにつなげることができるか論議を呼んでいる。
運用資金はすでに4・5兆円を確保しており、早期に10兆円規模に拡大し、令和6年度から大学への支援を始める。これから指定する「特定研究大学」数校に資金配分し、研究設備の拡充や博士課程の学生などの人材育成に充ててもらう計画という。
しかし、こうしたファンドの在り方に疑問を投げかける専門家も少なくない。
国内ではいま、東京大学など一部の大学が突出して国の運営費交付金などの資金を受け取っている。「大学数校にお金を」というファンドは、研究力低下の要因を分析しないまま、その大学間格差をさらに広げ、知的交流や頭脳循環をさらに阻害する可能性がある。そうした弊害を生まないためにも、私立大学への支援強化を含めて日本全体の研究力を底上げしていくことが求められる。
(敬称略)