特集・連載
私大の力
<13> 2020オリパラ東京大会
ボランティアと選手たち 確かな「レガシー」を明日へ
■コロナ禍で留学先から帰国、活動に参加
神田外語大学(千葉市)は10月27日、東京オリンピック・パラリンピックにボランティアとして参加した学生116人の活動報告会を学内からオンラインで開いた。
登壇して、ボランティア参加の動機や業務の内容について説明する学生たちは、「活動を通して学んだことや気づいたことが少なくなかった」と口をそろえた。
外国語学部イベロアメリカ言語学科4年の蔵満啓太は、「新型コロナウイルスの感染拡大で留学先からの突然の帰国を余儀なくされ、留学生活と現地での語学学習が中断されてしまった」。そこで、語学を活かすボランティアに参加することを決めたという。業務内容はメインプレスセンターで、スペイン語圏から訪れた記者や選手たちの間に入り、交わされる質疑・応答を要約しながら通訳する役割だった。
「外国語から別の外国語に通訳するのは初めての経験、しかも、やりとりのスピードや情報量の多さに戸惑いましたが、とても良い刺激を受けました」
パラリンピックでは、パワーリフティングや水泳の会場で、外国語で選手たちを案内する仕事に当たったが、「目の不自由な選手たちが通路の荷物や段差に気をつけながら歩けるようリードしたりすることで、周りの困っている人たちに常に気を配り、配慮するような心を養うことができた」という。
もともと、将来は語学の教員になることを志していたが、今回の活動経験を通してプロの通訳として活躍したいとの思いも芽生えた、と熱く語っていた。
ボランティアには、競技会場などの運営をサポートする「大会ボランティア」と、会場周辺の主要駅、空港などで旅行者などを案内する「都市ボランティア」の2タイプがある。
今回、コロナ禍によって外国人観光客が制限され、しかも無観客での競技となったことで、東京での「2020大会」に照準を合わせていたボランティアたちは気勢をそがれるかたちになった。
全国の7つの外国語大学(神田外語と東京、関西、京都、神戸市、長崎、名古屋の各外国語大)は2014(平成26)年、「全国外大連合」を結成して「言語サービスボランティア」育成セミナーを集中的に開いてきた。
各界から講師を招いて、「語学能力とともにスポーツ文化に関する専門知識や観光に関する知識、コミュニケーション力、異文化理解力、ホスピタリティマインド」を身につけたグローバル人材の育成を目指した。
2018年の韓国・平昌五輪では言語サービスボランティアとして約100人を派遣するなど実績を積み、東京大会をその総決算と捉えていただけに関係者の失望も大きかった。
■大阪体育大学長、「開催して良かった」
コロナ禍の中で「世論の支持」が万全でなかった東京大会、その教訓は何か。日本人だれもが考えることになった。
大会組織委員会のスポーツディレクター、小谷実可子は「ボランティアのおかげで、無観客やコロナ対策などをマイナスに感じなかったという評価もあった。人的レガシー(遺産)がいちばんだった」と語った。こうした励みを力に関係者は次を目指して動き始めた。
大阪体育大学の学長、原田宗彦は大会終了後に多くのメディアから取材を受けた。地域のスポーツ振興に詳しいことから、コロナ禍によって海外選手の事前合宿地やホストタウンとしての交流行事の中止や短縮を余儀なくされたことについても、意見を求められた。
毎日新聞のインタビューで、原田は「私自身は、開催してよかったと思います。参加選手のSNS(会員制交流サイト)を見ると、『機会を与えてくれた』『過酷なトレーニングが無駄にならなかった』など、開催を決めた日本におしなべて感謝しています。その延長線上で、ホストタウンへの感謝もかなりありました」と述べている。
そして「地方創生に直結するような成果は...」と問われると、「コロナが収束してインバウンド(訪日外国人)が回復すれば、その経験を活かせる」とし、「世論調査でも、開催してよかったと答えた人が過半数に達しました。当面の経済効果は期待を裏切りましたが、地域の絆や子どもたちに与えた影響といった、目に見えない『社会心理効果』がどれだけあったか、注視していきたい」と語っている。
一方、東京新聞などで原田は、大学生を含む十代の日本人選手から過去最多の8人がメダルを獲得したことに、大きな希望を見出したことを強調した。
ことに体操の男子個人総合、種目別鉄棒で2つの金メダルを獲得した橋本大輝(順天堂大学)はまだ19歳だった。
「(この五輪が)昨年の開催だったら、橋本はここまで成長はしておらず、彼にとっては最適の時期に五輪に出場できたのではないか。今後、内村航平が長く君臨したような『橋本時代』が到来するのではないか」と予測する。
コロナ禍により外出自粛が続くなかで、スポーツの重要性は高まり、横浜市が昨秋実施した市民調査では「スポーツをする人の割合が増えた」との結果が出ている。
原田は、今大会の新競技(スケートボードやサーフィンなど)で日本選手が活躍したことを「若い世代の運動志向の追い風になる」と評価し、「2024年パリ五輪は3年後であり、いまの力を蓄えながら高いモチベーションで伸ばしていける」と期待を寄せた。
■メダリストからも「感謝」の熱烈エール
大会組織委員会などが10月初め、ボランティアへの感謝の催しを開くと、全国から7千人を超える大会ボランティアがオンラインで参加した。
その席で会長の橋本聖子は「年齢、性別、国籍など一人ひとりが違うボランティアのチームに誇りを感じました。この経験を持ち帰って多様性の輪を広げ、活動を継続していけば、大会の大きなレガシーになります」とあいさつした。
五輪パラリンピックのメダリスト5人も出席し、ボランティアとの思い出を振り返った。空手女子形の銀メダリスト、清水希容(ミキハウス所属)は「表彰式で、ボランティアの方が花束を持ってきてくれたときが、この舞台に立ててよかったと思った瞬間だった。今後も皆さんとつながっていきたい」と語った。パラ競泳男子100メートルバタフライ視覚障害クラスで金メダルを獲得した木村敬一(東京ガス)は「決勝の前に『頑張ってください』と言われたことがうれしかった。緊張と不安のなか、その一押しがあったから全力で競技して金メダルを獲得できた」と感謝のことばを述べた。
組織委員会によると、今大会の運営を担った大会ボランティアには7万970人が、会場周辺で活動した東京都の都市ボランティアには、のべ約1万7000人が参加したという。このなかに多くの現役学生たちも混じっていた
■大会に「ポジティブな変化のきっかけ」
2013年に東京招致が決まった今回の五輪は、その2年前の東日本大震災からの復興を象徴するものと位置づけられた。しかし、予想もしないコロナのパンデミック(世界的大流行)によって史上初めて1年延期となる。
その後もコロナ禍終息の兆しはなく、「なぜ開くのか」を問う声も強かった。しかし困難な時代、コロナによって分断された時期だからこそ、スポーツの力で世界を結びつけ、人々のつながりや絆の再生に貢献することに意義を見出す人たちも少なくなかった。
五輪直後の世論調査によれば、日本人の6割から7割近い人たちが「開催できて良かった」と回答している。
国際オリンピック委員会(IOC)の会長、トーマス・バッハも「青写真もお手本もないなか、完璧な五輪を実現させた。素晴らしい方法でやり遂げた」と大会関係者に賛辞を贈った。次回パリ大会の組織委員会からも、「どんなに暗い時期でもスポーツによって、人々が感動を共有できることを示してくれた。東京、ありがとう」とのメッセージが届いている。
そこに、「持続可能性への配慮、ジェンダー平等など多様性と調和への意識、共生社会に向けたバリアフリー化など『ポジティブな変化』のきっかけが見られた」という評価があったことも見逃せない。
東京大会は、コロナ禍の逆境のなかで大きな成果を収めたと言っていいだろう。大学で学ぶ学生たちにも、その有形無形の「レガシー」を引き継いでほしい。
(敬称略)
平山一城