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私大の力

<11>魅力ある地方大学 「公平な施策」注視したい
グランドデザインの視点どこに

平山一城

■大学分科会の「提言」に欠けたもの

  9月1日付の本紙既報の通り、中央教育審議会(中教審)大学分科会は8月末、「魅力ある地方大学の実現」に向けた議論の中間報告を公表した。令和4年度の国の予算に対する各省庁の概算要求を見据えて、分科会として「当面の考え方を示す」目的で、「国においては、これを踏まえ、魅力ある地方大学に資する施策を講じることを期待したい」と促した。
 永田恭介分科会長は7月の会合で、「昨年度までの第10期から議論を進め、今後、さらに深めていく必要があるものの、概算要求を前に、本分科会として目指すべき方向性を示すことは重要な役割」と説明していた。
 今回の提言はその姿勢を表明したものとして歓迎したいが、内容については飽き足りないものがあり、それらの点について一言述べておきたい。
 この春から第11期に入った同分科会は、「魅力ある地方大学の在り方」について「どのような大学を魅力ある地方大学と考えるか」「それは誰にとっての、どのような魅力か」という観点で議論を進めている。
 デジタル・トランスフォーメーション(DX)が迫るなかで、地方大学では、多様性を活力とした地方創生への貢献、ネットワークを生かしたグローバル化(国際性)の推進などが急務、との認識が背景にある。
 今回の中間まとめもそれに沿いつつ、「地域社会と連携した地域ならではの人材育成」「地域ならではのイノベーション創出など研究・社会実装機能の強化」など5つのカテゴリーにわけて意見表明している。
 しかし、その内容は「あれもこれも」の現状説明に終始し、予算要求のテコとなる具体策に欠けている。
 わずかに、5番目の「制度的な特例による先導事例の創出と優れた事例の共有」に、「これまでとは一線を画す先導的な取り組み」として、「地方国立大学の特例的・限定的な定員増」「大学等連携推進法人の制度化」の実現をあげたにとどまる。
 残念ながら、「これまでと一線を画した」という「地方国立大学の定員増」は政府の検討会議の意向をそのまま追認したものに過ぎない。しかも分科会では、「地域の『知』の拠点としての私立大学の重要性を考え、これまで文部科学省の施策で私大が地域社会に貢献してきた事例も踏まえて、公平な国の支援策を求めてほしい」との意見が出されていた。
 今回の文書では、そうした私大側の懸念についていっさい言及されておらず、それらを汲みとった内容になっていないことに不満を禁じ得ない。
 分科会側は、今回は「魅力ある地方大学を実現するための支援の在り方について」との表題通り、「当面の考え方」を示したものと反論するであろう。
 そして「さらに議論を重ねて本年末を目途に一定の取りまとめを行いたい」としているのだが、果たして、その内容がどのようなものになるか注視していきたい。

■国立大の費用対効果、定員の再検討を

 日本私立大学協会(私大協)は今年3月の文書で、昨年末、地方国立大学の定員増を提起した政府の「地方創生に資する魅力ある地方大学の実現に向けた検討会議」の「取りまとめ」についていち早く、疑義を呈していた。
 「(検討会議は)魅力ある地方大学の実現を標榜しながらも、そこで示された政策は地方国立大学の定員増に終始しており、わが国の大学の約8割、学部学生の約8割を占める私立大学、特に地方私立大学に対する支援策には全く言及されていない」
 「今後、政府においては、わが国の高等教育の全体および現状を俯瞰しつつ、その基本的な在り方(設置形態論を含む)をはじめ、特に私立大学に対する積極的な支援策も講じ、国公私立大学全体で地方創生の実現を目指されることを期待する」
 それが私大協としての基本姿勢だった。
 そもそも、2018(平成30)年11月に出された中教審答申「2040年に向けた高等教育のグランドデザイン」では、わが国の高等教育機関全体の規模を再検討することや、18歳人口の減少を踏まえた国立大学の定員規模の見直しの必要性が指摘されていた。
 それにもかかわらず、そうした方針での具体的な検討がなされないまま、つまり、わが国における高等教育の「グランドデザイン」というマクロの視点を欠くままに、地方国立大学の定員増がなし崩し的に進められている。それが私立大学や公立大学にも多大な影響をもたらす重要課題であることが軽視されている。
 その後、政府側にも、地方国立大学の定員増を「あくまで限定的かつ特例的」な制度とすべきというコンセンサスが生まれたのは、そうした私大側の懸念に配慮したものと受けとめたい。
 そして制度設計に当たっては、今後18歳人口が減少するなかでの地方私立大学の定員確保への影響を考慮すること、社会人のリカレント教育を推進する課題を見据えて定員増の対象を社会人枠に限定することなども考えてほしい。さらに並行して、グランドデザイン答申に提示された国立大学全体の役割・使命や費用対効果、適正な定員規模について真剣な再検討を求めたい。

■「自腹を切って」改革にかけた教職員

 多くの専門家が指摘するように、日本の大学教育には大きな変化がみられる。一般には偏差値の高い大学の卒業生が優秀だとされてきたが、実際には、偏差値の高い大学を卒業したのに就職できない学生もいれば、就職しても期待通りに活躍できない学生もいる。
 偏差値が万能の物差しとしての機能を失い、独自の教育路線で受験生の支持を集める地方の私立大学が増えた。理工系では金沢工業大学がそうした大学の筆頭に数えられる。「夢考房」をはじめとした、自ら学び、自ら考えて課題を解決する「学びの仕掛け」が各方面から高く評価されている。
 こうした大学は、地元自治体や企業など多くの関係機関と連携し、「その地域に立地する意味を再確認」しながら、いま必要とされる「まっとうな教育」を学生たちに提供することで成功しているところが多い。
 入学時の偏差値ではなく、在学時の学びによって地域に必要とされる人材をいかに育てているかが地方での存在価値を高めているのである。
 文科省ではこれまで、「地(知)の拠点大学による地方創生推進事業(COC+)」や「地方創生人材教育プログラム構築事業(COC+R)」などを通して、大学が地域と連携して課題解決に貢献することで地域再生の核となる取り組みを推進してきた。
 そうした政策が、地方に特色ある大学を育てるカンフル剤的な役割を果たしてきたことは評価したい。今後も、これまでの成果をさらに発展させ、大学が全国各地で地域の可能性を引き出し、地方創生に貢献できるようにしていく必要がある。
 そうであるからこそ、拙速な国立大学の定員増が、これまで地域創生を進めてきた私立大学の努力に冷や水をあびせ、その経営をも圧迫し、多様な価値追求に基づく教育を地方から奪いかねないことを危惧する。
 群馬県前橋市に22年前に開学した共愛学園前橋国際大学は、学生数約1100人と小規模ながら文科省の大学支援施策4本の採択を射止め、全国の学長が教育で評価する大学4位にランキングされて注目された。
 この大学では「学生中心主義」を掲げて、教職員全員が参加するスタッフ会議によって経営戦略の立案に参画してきた。開学後3年間は毎月、以降は定例としては年2回、スタッフ会議を開いて重要事項を話し合う。
 まだ学生数が定員すら満たさない時期にスタッフ会議では、「入学者がさらに減るようであれば、その分だけ教職員の収入も減らす。その分は自腹を切ろう」という人件費抑制規程さえも導入していた。
 この努力は「地域の未来は、わたしがつくる」と学生たちの奮起を促し、カリキュラムに工夫を凝らした若い改革者たちのエネルギーによって支えられた。
 新型コロナウイルス拡大にあっても「オンラインばかりの大学になるならば前橋市に存在する意味はなく、地域人材育成の役割は果たせない。これまでにも増して、群馬県という地域のなかで学ぶ『リアルな学修プログラム』を強化し、その存在意義を明確にしていく」と、その姿勢を崩していない。

■「どんな学生を育てるか」を大前提に

 最近の地方大学の成功例でわかることは、大学という組織にいるスタッフのやる気と努力によって大学の経営戦略、大学経営のとれる選択肢が以前よりも格段に増えているということである。
 地域に根差して小さくても明瞭なターゲットに絞って学生たちを育てていくのか、他大学と連携することによって「規模の経済」をとるのか。オリジナリティのある取り組みによって改革を進める大学には、少子化時代にも生き残る道は開けている。
 大学分科会は「どのような大学を魅力ある地方大学と考えるか」「それは誰にとっての、どのような魅力か」という観点からスタートした。
 それを大学経営でみれば「何を提供するのか、どう提供するのか、そのために(組織内には)何を持つのか」であり、そこには常に「どんな学生を育てるか」という大前提があることを忘れてはならないだろう。
 分科会には、地方にはそうした覚悟で積極的に自己変革を遂げようとしている私立大学が多いことを真剣に考えてほしい。一方、地方の国立大学には、各県一校という「指定席」にあぐらをかいてきた面がなかったかも再度、検証してもらいたい。
 その立地の在り方や定員規模についても、中教審答申のグランドデザインが求めた高等教育全体のなかでの評価が必要と考える。
 「知」の拠点として地域社会に貢献してきた私立大学の優れた事例を踏まえ、「公平な国の支援策」を求めてほしいのである。