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私大の力

<10> 追悼・森本正夫私大協副会長 
ガバナンス改革 「学校法人」の根本理念
「木を見て森を見ない」論議の危うさ

平山一城

■北海学園大の発展と森本理事長の「情熱」

 学校法人北海学園が運営する北海学園大学の卒業生には、政財界の著名人がずらりと並ぶ。ある調査では、北海道にある企業の社長の出身大学は、北海学園大学が日本大学や北海道大学をおさえて第1位だった。
 そのなかには、急速に業績を伸ばす大手家具会社、ニトリホールディングス会長の似鳥昭雄、クリプトン・フューチャー・メディア(札幌市)社長の伊藤博之といった名前もある。
 日経新聞の大学ブランド・イメージ調査でも、「精神的にタフ」「柔軟性がある」といった評価が道内大学でトップだったという。
 1885(明治18)年、開拓が進む北海道の社会的な要請に応え、北海英語学校として創立されてから136年、北海学園はいま道内の"私学の雄"となった。
 先ごろ亡くなった日本私立大学協会(私大協)副会長の森本正夫は、実に45年という長きにわたって北海学園理事長を務め、新たなブランド価値を生み、安定経営の礎となってきた。
 北海学園大学の経済学部教授になったのが38歳、その6年後に理事長を任されるのだが、そのとき大学の財政は大変な苦境にあった。
 「高校2つは赤字、大学の規模は小さい。学園側は授業料を値上げしようとしたのですが、そのたびに大学紛争の火が燃え盛りました。研究どころではありません。私は当時、評議員だったことから、学園側から学生との交渉に当たる専務理事に指名されました」
 「もちろん、教壇に立ちながらです。学園側は学外の経済人や道庁OBなどに救援を求めていたようですが、すべて断られた。私の専務理事就任は、その末に回ってきた"お鉢"だと認識しています」
 外部人材を求めたものの、すべてに断られ、足元では学生運動で大学運営が揺らいでいる。その苦境のなかで森本に白羽の矢が立った。
 まずは学生との交渉役(専務理事)だったが、「私は柔道をしていて体格もよかったし、(学生に)蹴とばされても何されても大丈夫だからということだったと思います」と発言している。
 しかし、学園側が森本を大学経営の柱に選んだのには、彼が大学の卒業生であり、母校に対する思いが人一倍強かったことがある、と筆者は考える。
 いま、大学のガバナンス改革の論議が活発化し、理事会を中心とする私学経営のあり方に厳しい目が向けられている。
 そうしたなか森本は最後まで、日本独特の「学校法人」の仕組みを何よりも大切にし、その理念に基づいて大学運営を展開していた。現在の北海学園大の発展がそのうえに築かれたことを忘れることはできない。

■教育には「ヒトを人間にしていく」使命

 森本は「理事長を務めながら(70歳を過ぎるまで)教壇に立つ」というプロ野球の大谷翔平のような"二刀流"を貫いた。一方、1988(昭和63)年から、私大協副会長、同北海道支部長として積極的に発言していた。
 例えば、私立大学の「創立の精神」と「建学の精神」を混同するな、と戒めていた。これは、私大協の初代事務局長、矢次保の言葉だったという。
 「私大協の副会長だった佐藤直助さんに教わったのですが、矢次先生はことあるごとに『慶応の福沢さん、早稲田の大隈さんの創立の精神はすばらしい。しかし学校はあくまで、現在の理想がどうあるべきか、ということを考えるべきで、そこに建学の精神が働く』と語られていた」
 私学は常に、「現在の理想」を高く持ち、その実現に向けて邁進していくことによってのみ発展がある。規模の大きな大学といえども「創立の精神」にあぐらをかくことなく、常に時代の変化と向き合い、そのなかで「現在の理想」をしっかりと練り上げ、具体化していく努力を積み重ねていくべきだ。そこにこそ私学が私学として発展していくためのカギがある。それを「建学の精神」と呼ぶのがいい。
 森本は自著『日本における私学経営と私学教育の意義』(紀伊國屋書店、2004年)のなかで、矢次にならって、そう力説している。
 教育学術新聞の6月9日付『アルカディア学報』特集「『学校法人のガバナンスに関する有識者会議とりまとめ』への危惧・留意点について」は、「大学運営は制度より資質が重要」との見出しを掲げた。
 この「資質」とは森本に言わせれば、自ら理想を掲げて「建学の精神」に磨きをかけていくリーダーの情熱のことだったに違いない。
 その証拠に、同書のなかで森本は次のように喝破している。
 「私学においてリーダー役を担う人は、理事長にしても学長にしてもアクが強いというか、個性のある方が多い。矢次先生は、自由を基礎とした教育信念、教育とは『ヒトを人間にしていく』ことであるという信念をお持ちであった。それがカリスマ的リーダーシップにつながった。『官僚社会』からすると、こうした人のリーダーシップは邪魔で仕方がないのかもしれないが、この激動期に『現在の理想』を具体化していくためには欠くことができないのである」
 学校法人の運営者には、「ヒトを人間にしていく」という厳粛な使命への覚悟と情熱がなければならないとの信念だった。

■「学校法人」を他法人の土俵で論じるな!

 学校法人制度をめぐっては、2019(令和元)年5月に改正・公布された「学校教育法等の一部を改正する法律」の附帯決議で理事長の解職規定を追加することなど、制度のあり方について不断の見直しを検討することとされた。
 また同年6月の政府の「経済財政運営と改革の基本方針2019(骨太の方針)」で、公益法人としての学校法人制度について、「社会福祉法人制度改革や公益社団・財団法人制度改革を十分に踏まえ、それらと同等のガバナンス機能が発揮できる制度改正のため、速やかに検討すること」が求められた。
 一方、自由民主党の行政改革推進本部(本部長=塩崎恭久衆議院議員)のガバナンス改革検討チームでの提言では、学校法人における評議員会の位置づけを、諮問機関から議決機関へと変更すること、一定規模以上の学校法人に会計監査人の設置を義務づけること、理事長・寄付行為という用語を、公益法人や社会福祉法人と同様に、代表理事・定款へと改めることなどが論じられた。
 こうした経緯を踏まえて、文部科学省は「学校法人のガバナンスに関する有識者会議」を設置して、東京大学名誉教授の能見善久を座長に14人の委員で議論を重ねた。
 有識者会議は3月19日、「学校法人のガバナンスの発揮に向けた今後の取組の基本的な方向性について」と題する「とりまとめ」を公表し、「文科省においては、私立学校の自主性を尊重しつつ、この基本的な方向性に沿って、内閣府における公益認定法人制度の見直しに係る法改正の成案も参照し、制度や運用の詳細の検討を進めるよう提言する」とした。
 しかし自民党の塩崎は、この提言内容に満足していない。自身のメールマガジン「やすひさの独り言」(3月22日付)で次のように批判した。
 「文科省が説明に使った学校法人のガバナンス構造を示すポンチ絵だ。通常、公益法人の評議員会は理事会の上に位置し、理事の任免権を持ちながら、理事会を監視、監督する役割を果たすものだが、学校法人の場合は、何と、理事会の下、ポンチ絵の最下部に評議員会が位置していた」
 「文科省の説明は、学校法人における評議員会は、理事会の諮問機関だという。たしかに私立学校法では、理事長は重要事項について評議員会の意見を聴かなければならないほか、役員に対し意見を述べ、又は諮問に答えるなどと規定されるにとどまる。評議員の中には、学校の職員(使用人)や卒業生も含む、とも規定されている。となると、一体誰が学校経営を担う理事、理事会を監視、監督するのだろうか」
 「一昨年の夏、(自民党の)チームの提言を受け、私が当時の柴山文科大臣との間で直接折衝のうえ、改革実行に向け、『骨太の方針2019』に、『公益法人としての学校法人制度についても、社会福祉法人制度改革や公益社団・財団法人制度の改革を十分踏まえ、同等のガバナンス機能が発揮できる制度改正のため、速やかに検討を行う』と明記することで合意し、閣議決定するに至った。その際、『ほぼ同等』との文科省提案の『ほぼ』は、柴山大臣との直接折衝で削除され、公益法人間のガバナンスの統一性が取れることが約束された」
 ところが、その改革内容を議論する有識者会議がまとめた報告書は、とても「他の公益法人と同等のガバナンス機能を発揮できる制度改正」の方向にはなっておらず、「骨太の方針」の"骨抜き"になった、と言う。

■私学の自主性・自律性を封殺する改編論

 私学関係者の間では、この塩崎発言に驚きと戸惑いの声が広がった。当然のことだろう。
 先ごろ閣議決定された「骨太の方針2021」には、「手厚い税制優遇を受ける公益法人としての学校法人に相応しいガバナンスの抜本改革につき、年内に結論を得、法制化を行う」との表現が見られるが、拙速は避けるべきだ。
 そもそも有識者会議の設置当初から、「私学は『建学の精神』が象徴する自主性・自律性が存在基盤であり、その多様性を取り除いてしまっては、私学の存在意味がない。1つの原理で(改革を)行う危険性を感じる」との懸念が表明されていた。
 多くの私立大学はすでに、経営体として目標とすべき「ガバナンス・コード」を定め、改革の必要なところを点検し、改善努力を自発的に進めてきた。
 今回の「アルカディア学報」の特集では、私学の独自性を次のように訴えている。
 「私立学校は私人の寄附と建学の精神によって創設されており、設立者の意図する人材育成の理念は尊重され、継続されることが期待されている。建学の精神の継承の観点から、創設者親族が役員であることの意味は大きい。親族であることのみを理由に適性を排除すべきではない」
 「私立大学の歴史は、教学の自主と経営の自律を求める闘争の歴史でもあり、戦後、政府の統制による教育への反省と、安定した経営基盤を支える私学助成の仕組みが私立学校法制定の目的であった。その課程で(戦前のような)財団法人とは異なる学校法人という制度が成立した」
 ところが、有識者会議の「とりまとめ」は、そうした点に十分な配慮がなされたものかどうか危惧される、というのが「アルカディア学報」の訴えだった。
 その点でいえば、塩崎の評価は、私学の歴史や存立の意味をまったく無視した一方的なもの、と私学側としては断じざるを得ないだろう。
 最近のガバナンス改革論議の不幸は、2019年当時、私立大学の経営者の不祥事が相次ぎ、それらをいかに牽制するかという文脈でなされてきたところにある。
 しかし、そうした不始末はごく一部のことであり、「木を見て森を見ず」という言葉通り、安易に十把ひとからげに歴史ある教育制度を改編することの危うさを思うべきである。
 北海学園大の森本のゼミナールは地元では有名で、多くの優秀なゼミ生を輩出してきた。道議会議員や札幌市議会議員といった政治家になる人材も少なくなく、最近は、国会議員も複数誕生している。
 「ヒトを人間にしていく」。その崇高な使命を帯びている教育機関の多様性を拙速に無くすようなことになれば、日本の教育の歴史に大きな禍根を残すことになる。
 私学の理事長として、その「資質」を体現した森本の死に際して、その思いをさらに強めることになった。
 (敬称略)