特集・連載
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<16>金沢医科大学
医療を中心に置いた町づくり
能登を地域医療のメッカに
石川県と富山県にまたがる能登半島。鳳至郡穴水町はその中心にあり、中能登と奥能登を結ぶ交通の要衝である。牡蛎、ナマコ、メバル、クロダイなど水産業で盛んなほか、半島随一の商業圏でもある。人口は約9000人、高齢化率は約四割。能登半島に4つある総合病院の1つ、公立穴水総合病院が立地する。2010年に金沢医科大学との協定により、病院内に能登北部地域医療研究所を設置した。半島を扇に例えるならちょうど要に位置する金沢医科大学(神田享勉学長、石川県河北郡内灘町、医学部収容定員660名、看護学部300名)は、日本海側で唯一の私立医科大学である。地域連携について神田学長、中橋 毅能登北部地域医療研究所所長・教授、高村昭輝医学教育学・講師に聞いた。
●口コミで広がった地域医療研修
能登半島は、石川県内でも少子化・高齢化・人口減少が急速に進行している課題先進地域。この10年で約2万人が減少、65歳以上の老年人口は4割を超えた。高まる在宅医療の必要性、病院予算の縮小、医師・看護師等の不足...こうした背景の中で新しい試みが始まる。2010年に石川県が音頭を取り、金沢医科大学が公立穴水総合病院に寄付講座と能登北部地域医療研究所を設置した。
中橋所長は振り返る。「私の専門は高齢医学で、大学でいくつかのプロジェクトに関わっていました。突然、『穴水に行かないか』という話があり躊躇しました。妻にそのことを伝えたところ、『とても大事な仕事じゃないの』と。予想に反して肯定的な返事が返ってきたので、行くしかないなと...」。2010年8月、穴水に赴任するも何をするのか決まっていない。そこでまずは高齢外来、救急医療、そして在宅医療に取り組んだ。
転機は半年後。千葉県循環器病センターの平井愛山医師が穴水を訪れたときだった。「平井医師に相談すると、教育をしなさい、と。そこで研修医の受け入れを始めました」。医学生は医師資格を取得すると2年間は初期臨床研修医として臨床研修(内科・救急・地域医療は必修)が義務付けられている。中橋所長は、この初期臨床研修医を毎月二名受け入れることにした。
穴水における初期臨床研修の地域医療プログラムは、1か月が標準プログラムであり、外来のほかにも、訪問診療、訪問看護、訪問リハビリ、老人ホーム研修、そして、兜診療所などの僻地診療所での研修がある。医学生も訪問診療に同行して見学もする。「本学と協定を結んでいる海外からの留学生も訪問診療を見学し、非常に貴重な経験ができたと評価されています」。これは医師と患者の間の強い信頼関係が構築されているからこそ可能な研修である。このプライマリケア・プログラムは、東京や大阪の医学生を中心に口コミで評判が広がり、現在は月3名に限定して受け入れているが、希望者が後を絶たないという。
研究所のウェブサイトに掲載されている研修医の声を一部取り上げてみよう。
"大学病院などの大きな病院ではどうしても疾患を診ることに重きを置いてしまう傾向にある気がしますが、実際の医療は疾患だけでなく、家族、住居環境、経済的な問題、介護などあらゆる側面に目を向ける必要があると感じました。医師を含む医療スタッフは疾患を治すことだけではなく、患者さんとともにどのように病気と向き合っていくかが大切だと感じました"
"美味しい魚を食べ、町の皆さんの優しさと笑顔に触れながらゆったりと流れる時間の中で、生き抜くための医療ではなく、本人や家族も含めどのような死を迎えたいか、それを受け止める医療が必要になってくるということを考えさせられた研修でした"など...
2012年には、総合診療・家庭医療専門医の資格を目指す医師を対象とした人材育成プログラムが、日本プライマリ・ケア連合学会から認定された。
●地域医療は世界的潮流
穴水のユニークな研修医制度について、オーストラリアで世界の地域医療を研究した高村講師は解説する。「現代の高度化・細分化された大学病院は、基本的な疾患の基本的な対応の仕方を身につけるためにはベストな場所とは言えません。より患者さんに近い地域での医師育成は、長期臨床実習(Longitudinal Integrated Clerkship)として世界の潮流であり、へき地医療が大きなテーマにもなっています。へき地に医師が残る条件は3つです。①へき地出身者であること、②キャリアの早い時期に長期間へき地で過ごすこと、③へき地で良い体験をすること、です。穴水は、②と③を満たしつつあると言えます」。なお、オーストラリアでは地域医療に1年間携わるプログラムもあるという。
穴水では他にも、毎夏に1泊2日の夏季セミナー「あなみず地域医療塾」を開催、これは在宅診療をテーマとした多職種連携教育であり、医師、医学生、看護師、看護学生、薬剤師、栄養士、保健師等が協働するチームを形成し、模擬患者を使用して診察の問題点を多面的に評価し、訪問プランを立てて実際に訪問シミュレーションを行うもの。穴水町が会場の提供など全面的に支援し、町ぐるみでの医学教育の環境整備が進んでいる。
「この塾を求めて若者が穴水を訪問すると、ガヤガヤと賑わいが起こります。これも地域活性化に貢献するもので、毎年の恒例行事となりつつあります」と高村講師。こうした地道な、誠意のある一連の取り組みが町全体に受け入れられ、町民も色々な形で協力してくれるようになった。地域が求める医師を地域が育てる、というスローガンで研修医たちの人間的成長の支援を、時には町民にもお願いする。そのような仕組みが回り始めた。「結果的に専門である高齢医学の知識は能登でこそ発揮できたとも言えます」と中橋所長。今ではロールモデルとして憧れのまなざしを向ける若い医師も多い。
●氷見市民病院での成功
"穴水の奇跡"は、実は大学にとって初めての取り組みではなかった。大学が地域医療に大きく舵を切ることになったきっかけが氷見市民病院での取り組みである。
当時の市立氷見市民病院は累積赤字が積み上がり続けていた。「これでは第2の夕張になる」。堂故 茂市長(当時)と氷見市議会は、病院を民営化し金沢医科大学を指定管理者とする政策を決議した。大学は病院経営には一日の長があった。黒字部門を盛り上げ、赤字部門を縮小するなどの基本的経営方針が功を奏したが、より重要なポイントは、患者とより近い距離で診療に当たり信頼を勝ち取ったことだ、と当時、氷見チームを率いた神田学長は分析する。「地域医療を掲げる大学の医師として全力で現場の診療にあたりました。当初は患者さんから『入院するならもっと大きな病院で』との声に肩を落としたこともありますが、現在は『是非ここで』と。面倒見もよく腕の良い医師がいるという評価を頂き、それは病院スタッフにも徐々に浸透しました。研究志向の国立大学医学部ではこうはいかなかったのではないでしょうか」。
●医療を超えてまちづくり"病院下町"に...
能登半島に四つある公立総合病院のうち、医師不足が深刻化し、最初に大学に支援要請があったのは穴水だった。もともと大学の医師が勤務していたこともあり、より強い協力関係を結び、やはり病院黒字化にこぎつけた。これで町に財政的余裕が生まれた。こうして2013年に立ち上がったのが、健康長寿のまちづくりプロジェクト。メンバーは医療関係者、地元の老人クラブ、のと鉄道株式会社、そして穴水町役場などで、中橋所長が会長に就任した。健康を目的としたウォーキングイベントや健康長寿講座など健康推進イベントを行っている。健康長寿による医療費削減は今後、自治体では重要な課題だ。そのほかにも、能登北部医療を考える会など業種・分野を超えて課題に当たるネットワークが構築されており、その中心には中橋所長の姿がある。
中橋所長は能登半島の現状を解説する。「地域の高齢化率が4割を超えると、住民の生活動線が病院中心になるので、商業施設や役場も病院近くに寄ってきます。今では駅よりも病院の周りの方が賑やか。町全体が病院中心になるので、地域医療を考える際はどうしても町全体の計画を考えざるを得ません。城下町ならぬ"病院下町"であり、これは21世紀の超高齢化社会で初めて誕生した町の形態と言えます。能登はまさに40年後の日本の姿です」。輪島も氷見も同様の現象がみられるという。
金沢医科大学から学べる取り組みは2つある。
1つ目が、公的機関の立て直しである。全国で公立病院の赤字は常態化しており、自治体が頭を抱える課題の1つである。この立て直しは、経営に長けた私立医科大学だからこそできることでもある。国立大学のように短期間に医師派遣を繰り返すのではなく、長期的に病院に留まるからこそ、現場の様々な問題に主体的に取り組める。私立大学の組織としての機動性の高さや新しいことへの柔軟性という長所が氷見や穴水の成功を支えた1つの要素である。
また、病院は地域雇用創出の場でもある。赤字だから押しなべて縮小すればよいというものではない。特に、若い女性看護師は地域にとって貴重な存在だ。「医療とは無関係な背景で、病院は今の規模を維持していく必要があります」と中橋所長。
2つ目が、医師が町づくりを担うということである。中橋所長は地域医療という枠組みすら超えて地域の未来を見据えている。訪問診療時に患者や家族から様々なニーズを聞き取り、町役場からは町の現状をデータでもらえる。つまり量的・質的に医療を超えて政策のためのエビデンスを正確に把握しているのが中橋所長なのである。穴水では、介護、福祉、健康、医療など様々な面から総合的に支える"地域包括"というコンセプトを基調にしている。「個々の患者や家族がその都度、どのような問題を抱えているか、またどのような幸福を願っているかなどの内的要素を把握することも重要です。そのためには、一定期間地域にとどまり、そこでの人々の暮らしに触れ、倫理観や価値観などを理解し、自分と異なる価値観をも尊重して、求められる医療を描いてくことが必要です」と中橋所長が述べるように、地域の当事者になることが重要だ。そして、氷見、穴水、珠洲と、21世紀に対応した医療の在り方が能登半島全域に広がりつつある。「病気を治しただけでは地域に貢献したことにはなりません」と神田学長は述べる。大学でも、社会学や工学と連携した、医療を中心にした町づくりに関連する新しい学問領域が必要になるだろう。
現在では能登全域から手術が必要な患者が内灘の大学病院を訪れる。公立穴水総合病院は2次医療機関だが、町には開業医が3人しかおらず協力して1次医療も行う。この病院間の連携も大学が長い間かけて育ててきた信頼の証である。「医療の原点は、地域医療です」と中橋所長は言い切る。すでに大学の医学部のカリキュラムは地域医療重視にシフトしつつある。金沢医科大学は、世界の潮流に乗り、すでに手掛けていた氷見や穴水での地域医療再生の成果を強みとして、"能登半島を地域医療のメッカにする"という構想を描いている。