特集・連載
地域共創の現場 地域の力を結集する
<56>東亜大学
下関の“グローカル化”を下支え
優秀な若手教員を引き上げる
下関市は、山口県で人口・経済ともに最大の都市であるが、北九州地域と関門都市圏という独自の経済圏を形成する。古くは、壇ノ浦の戦い、巌流島の戦い、奇兵隊が生まれた地、下関条約等、歴史の重要な舞台となってきた。戦後はふぐやかまぼこに代表される水産業、食品製造業が盛んである。しかし、この40年ほどは人口流出が続いている。東亜大学(櫛田宏治学長、人間科学部、医療学部、芸術学部)は、この地域で活動を続けている。櫛田学長、瀧田修一学長補佐に聞いた。
●社会を先取りする学部学科
1974年に経営学部から発足し、その後、漁業や食品製造など下関の主要産業のニーズに合わせて、工学部(機械工学科・食品工業科学科・組織工学科)を開設した。しかし漁業の中心だった大洋漁業株式会社(現マルハ株式会社)が横浜に拠点を移したことにより、各学科のニーズが低下し学科を閉じた。しかし、次なる産業ニーズを予測し、1993年にはデザイン学部、1998年には生命科学工学科、2004年には、経営学部と法学部を統合、工学部を医療工学部に転換、西日本初の救急救命士の資格コースも設置、2007年には医療栄養学科(現・健康栄養学科)、トータルビューティ学科を開設するなど、地域経済に対応してきた。この改組転換の歴史について、櫛田学長は、「常に(地域)社会の一歩先を見据えて、必要に応じて海外の実情をリサーチして学部学科を改組しています」と述べる。学科構成そのものが、時代に即した地域産業振興を狙ったものになっている。
大学設置当時から続く公開講座のテーマは改組転換に応じて、その専門に合わせている。最近では東アジア文化研究所が中国・韓国・台湾等の学識経験者・研究者を招聘するなど、アジアに力を入れる。一方、近年は自治体や地域住民からの活動要請が増え、2008年に地域連携センターを設置し、地域活動に関する情報を統括している。代表的な取り組みを見てみよう。
まず、2004年から始まった「コミュニティクラブ東亜」である。これは大学を活動の拠点として、地域住民、教職員、学生で構成する会員制クラブで、スポーツ、文化・芸術などの継続的な活動や講座プログラムの体験ができる。会員は地域の高齢者や子供を中心に700人弱で、プログラム数は約50にものぼる。「社会スポーツの教員が、海外の取り組みを参考に立ち上げました。特に女性高齢者が元気で、スポーツ、合唱サークルや外国語講座などは生きがいに感じている方が多数います。学生が運営に関わったり、留学生が各国の会話講座の講師を行ったりするものもあります」と櫛田学長。
大学独自の産官学連携としては、2017年から、地元サンデン交通バスと「産学連携プロジェクト」がはじまり、ラッピングバスのデザインを提供している。毎年テーマを決めて、芸術学部アート・デザイン学科の学生を対象に公募がかけられ、学内コンペののちに1点採用される。芸術学部では、その他にもエキマチ下関推進協議会とのコラボレーションで駅のイルミネーションを手掛けたり、市の保健部のキャラクターをデザインしたり、アート・デザイン学科の学生は地域のイベントでヘアメイクショーを手掛けたりしている。
医療学部医療工学科救急救命士養成コースには地域ボランティア要請が多い。海峡マラソン等スポーツ大会でもニーズがあるし、教育委員会を通して、小中学校での実習も依頼される。
また健康栄養学科では、地産地消のカレーレシピを公募する「高校生『下関』カレー甲子園」を開催し、地元の飲食店でメニューとして出してもらったり、学園祭で出店したりしている。
このように大小、年間50件程度の様々な地域活動を行っている。
●大学を大事にする自治体
下関市との関係は良好だ。下関は先述の通り、人口流出が多く、自治体の危機意識は高い。2015年に市と包括協定を締結、教育、文化、スポーツ、医療等、あらゆる分野に専門の教員が協力する。自治体とのユニークな取り組みとして、『大学案内』には特集「夢旅」と称して、市からの提案で観光スポットを紹介するページがある。『この「まち」と、ここで暮らす「ひと」を愛してほしい』と書かれているとおり、大学を好きになることは、地域を好きになることでもあり、それは大学だけでなし遂げられるものではない。
また、下関には梅光学院大学、下関市立大学、水産大学校と4つの高等教育機関があるが、2003年から4大学連携協定を結び、単位互換・合同職員研修などを行っており、昨今は地域連携もテーマになっている。「良いところを学び合えれば。4大学の理事長会には下関市長も呼んで意見交換します」と櫛田学長は述べる。
下関市民にも地域活性へのバイタリティがある。「地域の行事は市民が主体的に動き、行政はそれをサポートする関係です。祭りは、若い層が中心に盛り上がります。そこに学生に声がかかり、提灯をつくったり、運営に関わったりしています」と瀧田学長補佐。下関は地域活動にちょうど良い規模で、地域住民は学生をかわいがってくれるという。
山口県は、2006年から山口県全ての大学・短期大学や県等が参画・連携して、主に若者の県内定着を図ることを目的としたコンソーシアム「大学リーグやまぐち」を発足させている。県の学事文書課が事務局を務め、制度や予算を確保して県内大学の取り組みを支援する。「県内の大学では、だいたい3割の学生が県内から、7割が県外から入学します。10年ほど前から県は危機意識を持って取り組みを始めています。県内進学、県内就職の20%アップを目標に、進学フェア、就職フェアに力を入れています」と櫛田学長。全国的に、ここまで大学に手厚い支援をしてくれる県は珍しいのではないか。
●企業の海外展開を支える
大学の自己点検評価報告書によれば、東亜大学は「国際的な場で哲学と科学技術を教授し、他の国民を理解し、多民族から理解される人材教育を行うという願いに由来している」とあるように、グローバル教育に力を入れており、約180人の留学生が地域活動を行う。
まず、国際交流学科の「実践企業経営論」である。これは山口県中小企業家同友会の協力を得て、3年次前期に開講する寄附講座で、県の中小企業経営者に経営や哲学を語ってもらうもの。日本人学生はもちろん、留学生も多く受講する。「日本には大企業しかないと思っている留学生は少なくありません。また、就職活動の文化もよく知らない。日本で働きたいと考える留学生が増加してきた今、まずは山口の企業を知ってもらおうと思い開講しました」と瀧田学長補佐は解説する。同友会も、ちょうどインバウンド対応やビジネスの海外進出を検討している会員企業から留学生との接点を望まれていたという。そこで両者のニーズがマッチし、この寄付講座が開講。講座は、講演ののちに、質疑応答とディスカッションや振り返りを行う。
瀧田学長補佐は続ける。「同友会は、寝具屋や仏壇屋など恐らく学生が初めて知る企業を選んでくれます。ミャンマーで日本のガードレールを設置するメーカー等は留学生を採用したいとの話もありますし、海外展開を考えている企業は、留学生の話を参考にしています」。講演した企業に就職が決まる留学生が出始めてもいる。日本貿易振興機構(JETRO)は、この動きに注目し、同友会や大学と一緒に、企業の海外展開を後押しする動きもあるという。海外展開のために中小企業が留学生を採用する動きは、今後広がっていくに違いない。そのための制度が整っているこの大学の取り組みは参考になるのではないか。
「新たなビューティビジネスを研究するプロジェクト」は、環境保全等を意味する「エシカル」をキーワードに、日本人・中国人・韓国人・ベトナム人・ネパール人の1年生が主体となりスタートした。ホスピタリティビジネス等の観点から研究をおこない、マーケティングや商品開発などを行っている。
地域の祭りでは、留学生が各国の料理を振る舞う。「特に人が集まる場所を提供していただけます。皆さんも楽しみにされているようです」と櫛田学長。下関の姉妹都市である韓国・釜山との「リトル釜山フェスタ」では、ステージでファッションショーを開く。また、下関のふぐを用いた各国のレシピを考案するなどグローカルな取り組みを展開する。
インバウンド対応でも留学生が活躍する。下関には、外国から多数のクルーズ船が寄港する。その際に現場で同時通訳が必要、と市が留学生に協力を求めた。観光地でガイドし、市内の旅館やホテルに就職する留学生もいる。「特にムスリムの観光客への対応が分からないと大学に相談があります。ムスリムの留学生はいませんが、知見のある教員がアドバイスをしています」と櫛田学長は説明する。まさに、下関のインバウンド対応を大学が支えている。
●新しい取り組みを行うには
この大学の参考にすべき特徴は2つある。
1つ目が、先進的な取り組みを行う文化である。日本で最初に4年制大学として美容師国家取得を目指し、日本で唯一「警察犬訓練士補」の資格が取得でき、他大学に先駆け日本で最初に総合大学として学部学科に関係なく全員の海外研修・海外留学を実施する「次世代長州ファイブプロジェクト」を行うなど、日本初やオンリーワンの取り組みを行い続けている。これらは、先述の通り、地域産業を先取りする学科開設が多いため、結果的にオンリーワンになるものも少なくないということである。櫛田学長は、「これからの生き残りに必要なのは"情報"です。総合大学として新しい動きを追いかけて、教育研究をして、地域に知ってもらい、信頼を得る。先手でやっていかないといけないという危機感があります。新しいアイデアが出る、これもやれる、という中で試行錯誤すると、面白いものが出てきます。それはやってみないと分かりませんからね」と、あくまで現場主義である。
アフリカのウガンダやタンザニアの大学と協定を結んでいるが、この経緯も現場から繋がってきたものだ。「ミャンマーのヤンゴン医療技術大学から「日本のODAで高額の医療器機を購入したが、うまく使えないし修理ができない。臨床工学技士の育成を手伝ってほしい」との相談がありました。これにミャンマー政府と国際協力機構が協力し、本学の修士課程で現地の医師向けにプログラムを作りました。すると、同じような相談がアフリカの大学からあり提携することになりました」と櫛田学長は話す。様々な国からの留学生は、日本人の学生にも刺激になっている。また、海外拠点としてタイ王国バンコク都に海外拠点(東亜大学ASEANセンター)を設置。タイには、50あまりの日本の大学が拠点を設置しているが、それらによって構成されている在タイ大学連絡会(JUNThai)を東亜大学が幹事としてとりまとめている。
2つ目が、櫛田学長のリーダーシップである。社会を先取りした取り組みは、若手教員の進言から生まれてくる。瀧田学長補佐は、研究者の世界では若手といわれる40代なかばで国際交流学科教授、就職部長も兼ねる。フットワークが軽く地域の関係者と繋がり、また、世界から情報収集をしてアイデアを出す若手教員を引き上げることが、この大学の活力の源泉にもなっている。「学内で意見がぶつかることもありますが、そうやって大学の未来を作っていければ。大事なのは学内の資源を最大限に活かすことです」と櫛田学長は述べる。
学生たちにも、「自分はこの大学で未来を開いていける」というイメージを少しでも持ってもらい、小さなきっかけに未来を託して行動してほしい、と櫛田学長は続ける。「大学のステークホルダーは地域」と言い切るように、地域あっての大学という意識は学内で共有されている。東亜大学は、下関に根を張りつつも、国際化に寄与する、まさに下関のグローカルを下支えする大学であると言える。