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<36>北里大学十和田キャンパス
“十和田立地”を獣医学部の強みに
第1次産業の高度化を引き受ける

(旧)十和田市は、日本三大開拓地の一つである。新渡戸稲造の祖父・新渡戸傳(つとう)が1855年(安政2年)、十和田湖から流れる奥入瀬川から水を引いて人工川・稲生川を作り、荒地から造成した。1885年(明治18年)には日本最大の軍馬補充部となる陸軍軍馬出張所が置かれ軍馬の生産が盛んになった。戦後の混乱の中で、国民の健康を守るため、破傷風・ジフテリア等各種免疫血清の製造が喫緊の課題となり、軍馬となっていた馬が使用され、その製造を担ったのが北里研究所・三本木支所だった。現在、市人口は微減であり、東洋経済新報社の「住みやすさランキング2018」では、青森県内で第三位。農業・畜産業を中心とした一次産業が主産業で、最近は観光業も盛んである。北里大学十和田キャンパスは、獣医学部(獣医学科、動物資源科学科、生物環境科学科)の一学部体制である。地域での取り組みを、生物環境科学科の皆川秀夫准教授と柿野亘講師に聞いた。

●大村研究室とのコラボ

獣医学部誕生の歴史をもう少し紐解きたい。「北里研究所創立100周年・北里大学創立50周年記念誌」には、こう記述がある。
「十和田市から、北里大学に農学関係学部を誘致したいという申し入れがあったのは、1962年のことだった。当時、大学を設立したばかりで学部新設の余裕はなかったが、十和田市は市議会に北里大学誘致特別委員会を設置し、県有地の貸与と校舎建築費の寄付を決定するなど熱心な誘致活動を展開した。その結果、1966年4月、十和田・八幡平国立公園の麓に十和田キャンパスが開かれ、獣医学科と畜産学科からなる北里大学畜産学部が開校した」。
キャンパス近くの青森県立三本木農業高等学校の歴史は古く、1898年に青森県農学校として設立。先述の通り、軍馬の産地だったことから獣医科を設置しており、全国から獣医師を目指す生徒が集まっていた。戦後、この学校の獣医科は廃止となったため、北里大学獣医学部はこの地域の獣医師育成という伝統を引き継ぐ形で誕生したとも言える。
3学科の特徴とそれぞれの地域連携を簡単に紹介する。獣医学科は、当然だが獣医師を養成している。附属動物病院では、伴侶動物やエキゾチック動物を扱うほか、産業動物関連の症例数も多い。学生はこの臨床の現場で実習ができる。中でも小動物診療センターは、日本初で唯一となる、動物に対する核医学(放射線)診断とPET診断が可能である。伴侶動物の長寿化に伴うがんや高齢特有の疾病を治療する研究も多数行われている。この学科は、十和田を超えて全国、世界に向けた研究も盛んである。
獣医学部附属の八雲牧場では、国内でもまれに見る100%自給飼料と放牧を主体とした飼養を実践・研究し、「北里八雲牛」の生産と製品の販売を行っている。「八雲町とは包括的な協定をかわし、北里八雲牛を地場特産品として育てるために相互協力しています」と柿野講師は説明する。
生物環境科学科は、野生生物から土・水、植物環境まで生態系や環境問題を中心に学ぶ。十和田をはじめ、東北地方北部全域をフィールドとして教育研究を行うため、地域との関わりは高く、全教員が何らかの地域連携を行っている。特徴的な研究を二つ挙げよう。
一つ目が、「JA十和田おいらせ」からの依頼で研究する、ニンニクに寄生するイモグサレセンチュウの防除である。ニンニクの根をセンチュウが食い荒らす被害が拡大していた。「ある時、大村研(2015年にノーベル生理学医学賞を受賞した大村智同大学特別栄誉教授の研究室)の皆さんと議論していた際、『放線菌を利用してはどうか』と提案されました。つまり、ニンニクの根で暮らす放線菌を活用することで、センチュウに忌避行動を取らせてはどうかと」と皆川准教授。この狙いが的中し、現在、更にセンチュウ対策を研究している。
二つ目が、陸奥湾に何十万トンと埋まるホタテ貝殻の研究である。貝の結晶をつなぎ合わせる組織を、有機接着剤として再利用すべく研究を行っている。「いくつかの処理工程を経ると、接着剤の原料が抽出できます。これを住宅の内壁やトンネルの水漏れ防止などの材料として応用できないかを研究しています」と皆川准教授は続ける。
「生物環境科学科では、教育内容の特性からも研究室の数だけ地域での取り組みがあると言えます。生物環境科学科だと、14名の教員は平均三つのプロジェクトを抱えています。動物資源科学科では畜産農家と牛舎のAI化に取り組んでいたり、アニマルセラピーを地域の病院と協同してリハビリを介した取り組みを行っていたりします」と柿野講師。その他、生態系保全、鳥獣被害対策、耕作放棄地の利用、ユーグレナの活用方法開発、三本木農業高等学校と最適なリンゴ栽培管理手法開発、ツキノワグマの研究、全国的に青森県にしか生息しない純系のイケチョウガイの研究など、一つの集落から世界まで、様々な専門性をもって取り組んでいる。研究室間連携研究もあるため、この学部の取り組みの全体把握は難しいが大枠としては、北海道南部から本州北部の、主に第1次産業の維持や高度化、里山を含めた自然環境保全に関わる教育・研究を行っているとも言えよう。

●十和田市長は1期生

立地する十和田市と大学は密接に結びついている。市の人口は約62,000名。うち、教職員・学生は約1600名だから、市人口の約2.6%が大学関係者である。その経済効果は、およそ60億円と推計されている。現在の小山田久十和田市長は獣医学部1期生で、青森県庁退職後、2009年に初当選、3期目となる。大学教員は市役所の各種委員を委嘱されており、市役所の関連部署の職員とも信頼関係が構築されている。卒業生は青森県・市町村や地元企業にも就職している。獣医師として十和田で開業した卒業生もおり、彼らが現場の課題について大学に相談に来る。他地域に就職した卒業生も、時々母校に遊びに来る。このキャンパスで過ごした卒業生は15,000名にもなるから、地域に大学があるだけで、多大な地域貢献をしているのである。
「大学と地域はwin-winの関係です。大学の立地条件のみを考えれば、十和田にあることは全国から学生に来てもらう点ではマイナス面もあるかもしれません。しかし、フィールドを活用した実践教育は、本学の大きな特色になっています。例えば、地域の祭りで神輿を担ぐことで地域の人たちと関わり、多様な価値観に触れることが学生を大きく成長させるのです」と柿野講師。まさに北里研究所の建学の精神の一つ「叡智と実践」を実現する環境である。
十和田市以外とは、六戸町、三沢市、七戸町、八戸市、水産では青森市や平内市などと連携・事業を行う。自治体以外には農協や漁協、畜産関係者からの相談が多い。柿野講師は述べる。「どのような地域にも解決しなければならない課題があふれています。現場を歩き、地域の人と触れ合うことで課題を見つけ一緒に解決していく実践を、学生にも体験してほしい」。

●地域の多様な年代層を繋ぐ

これからは地域の教育や観光など総体とした街づくりに携わる必要もある、と柿野講師は語る。それは地元の十和田市立西小学校・十和田市立藤坂小学校と連携して環境教育を行っている時に実感したそうだ。
先述の通り、十和田市は奥入瀬川から水を引き入れて灌漑した地域である。地域を巡りながら十和田の水の歴史を子どもと辿ることで、土地の良さを伝える後継者になってほしいという。「従来の環境教育は生活との接続がありませんでした。そこで、地域をよく知る地元の方とともに、十和田の豊かな自然や生態系を子どもと一緒に学んでいくプログラムを開発したのです」。
ある時、農業用水路をコンクリ化するかどうかで議論になり、子供の意見が説得力を持ったという。用水路を教育の場や観光に利活用する見方が必要だと地域の人々が気づいた。川や水を通じて、大学が地域の様々な年代を繋いでいる。自然環境を自分の生存環境の一部として捉えることで、自然災害への備えも考え、自然の中で生き抜く力を付けていく。「まずはそこに暮らす地域の人たちが生活を楽しめれば、観光で訪れたり移住を検討する人たちも楽しいと思えるのではないでしょうか。観光客のための派手で刹那的な取り組みは持続的とは思えません」。
具体的な取り組みに、一本木沢ビオトープがある。大学、行政、関係団体、市民が一体となって参画する「一本木沢ビオトープ協議会」が中心になって、保全と活用を行っている。「住民には当たり前な光景ですが、外部の大学教員が「実は貴重なものです」と説明すると、その「良さ」に改めて気づいてもらえます。また、地域の高齢者が、地域の誰も知らなかった歴史を説明することもあります。こうした歴史は記録しておかなければ失われてしまうものです」と説明する。
十和田を中心に、平地と中山間地域の農業は二極化しているという。「平地では、農業や畜産業の大規模化が進んでいます。問題は効率の悪い中山間地域です。担い手が減少し、耕作放棄地が広がっています」。ある時、山間にある研究対象地区が、台風で大きな被害を受けた。そこでよく知る教員に相談したところ、学生と復旧工事したらどうかと提案され、行政にも話を付け、地主の了解を得た。「実際に自分たちで間伐材を使って工事すると意外にも楽しかったのです。当初、訝しげだった地主さんも林業の技術を教えてくれ、最後に楽しかったという感想を頂きました。こうした伝統的な知恵や技術を現代に読み替えて活用し、地域のために受け継いでいくことが非常に重要で、これこそ大学の役割ではないかと考えました」。こうした取り組みは、「自分の生活を自分で切り拓く」達成感が味わえる。DIYが注目されている中で、観光プログラムとして応用できないかと考えているという。まさに、災い転じて福となす、である。

●若者がいることが重要

北里大学獣医学部は、地域連携をしているのではなく、もはや地域の一部である。
「本学は地域に作ってもらい、地域と共に育った大学です。そういう想いを胸に地域からの相談ごとに対しては、基本的には断わりません」と皆川准教授。前述の通り、学部の専門領域である第一次産業の高度化と新規開拓を引き受けているが、専門領域に限らず地域の維持と発展の両面において役割が増している。「私は35年前に赴任して、「まずは現場を知らなければ」と市の畜産課で地元農家を教えてもらい、20件ほど御用聞きに回りました。すると、「大学に行けば困りごとを解決してくれるらしい」と口コミで広がり、現在は年に一度は農家から直接相談があります」。ある時、地域の役場を回って、ヒアリングを行った。その際に一番多い要望が、「若い人を留めておくために学校が欲しい」というものだったという。「十和田という地域の発展に大学は多大に貢献したと自負しています。大学に若者がいればこそ、活気と賑やかさが生まれます」。
北里大学獣医学部は、50年もの間、地域にあって地域のニーズに合わせ、学科の特徴や取り組みを変化させている。それを強みに転化して教育研究にも活かしている。獣医学部と十和田の共発展・共進化が、北里大学に更なる強みと魅力を与えているのである。