特集・連載
国際交流
-2-キャンパス・アジアアジア高等教育圏を目指して
アジア地域統合と国際高等教育交流
1.地域統合と高等教育交流
2005年12月、ASEAN加盟国10カ国・日中韓3カ国のいわゆるASEAN+3に、インド・オーストラリア・ニュージーランドが加わり、初めての「東アジアサミット」がクアラルンプールにおいて開催され、「東アジア共同体」形成への長期的な道程が議論された。アジアの地域統合は、この地域で急速に進む経済面での一体化を背景に、安定した新たな秩序の構築を目指して模索されている。日中の絶えざる外交的衝突、米国の圧倒的プレゼンス、タイの政治不安他、様々な障壁を経験しながらも、各国は、この地域の経済的繁栄と平和を支えていくための主要な国際的政治課題の一つとして、地域統合を長期的な外交課題として共有している。
一方、アジアの地域統合・地域協力を語るとき、必ず引き合いに出されるヨーロッパの地域統合の過程では、1986年より地域統合を人材育成の面から促進するために、「エラスムス計画」が実施され、学生や教職員の域内交流の促進、各分野におけるヨーロッパ型カリキュラムの開発を行った。一九九九年には欧州二九カ国の教育大臣がイタリアのボローニャに会し、「ヨーロッパ高等教育圏」の形成のために、各国の高等教育制度・政策を統合していくことを約し、「ボローニャ宣言」に共同署名した。現在のヨーロッパの大学・高等教育はこの宣言後の「ボローニャプロセス」により、大きな変革を迫られている。まさに地域統合が、高等教育の国際化・高等教育改革の中心的な理念にまで、その影響力を増大してきているのである。その目標とするところは、ヨーロッパ地域の経済発展・競争力増進のための人的資源の育成という経済的な側面と、特に若い世代の交流を促進することで域内の相互理解と「ヨーロッパ市民」意識を形成・涵養するという文化的な側面があり、これまでその双方とも相当の成果をおさめてきている。
このような例に倣うと、アジアの地域統合のための大学間交流・国際教育交流、「アジア版エラスムス計画」を具現化するためには、大学間交流・国際教育交流を、アジアの信頼醸成・アジア市民意識を喚起し、アジアの人的資源の対外的競争力を強化させ、さらにはアジアにおいて成長しつつあるリージョナルな高等教育圏、地域的国際高等教育市場を整備・健全化するという、3つの異なった目的・方向性をバランスさせながら、発展させなくてはならないことに気づかされる。教育交流というと、どうしても国際的相互理解の機能・役割がイメージされることが多いが、そうした政治的な側面だけではなく、知識経済化が進展する中でアジアの高等教育の競争力を如何に増進していくか、アジアにおいてデファクトで進む域内高等教育交流の中で、どのように高等教育の質を保証し、単位を互換し、健全な高等教育システムを地域として育成していくか、という経済的、教育政策的な観点も重要と言えるだろう。
2.アジアの大学間交流における地域統合志向のビジョンの形成と共有
アジアの地域統合への志向性を反映させるべき高等教育の国際展開の対象は、大学間交流だけではなく、留学生受け入れや派遣、国際的な研究活動への助成・支援、教員の経歴や国籍の国際的多様性の確保、それらを支える事務体制の国際化・整備など多岐にわたる。また、最近はダブルディグリー・ジョイントディグリー等の国際的な共同学位プログラムや情報通信技術を活用した国境を越えた教育サービスの提供など、革新的な事業が展開されている。しかし、いづれにしても、その最も重要なアクターは大学自体である。学問研究の自由・独立という大原則からは、大学が国家から地域統合というような政策的方向性の影響を受けることには、慎重にならなければならない、という考え方も存在しよう。それでは、アジアの地域統合の中で大学間交流や高等教育の国際化を論じること、アジアの大学における地域統合志向の国際教育交流のビジョンを形成することは、国家の新たな政策的展開に大学を適合させるだけの方向性なのだろうか。
エラスムス計画はまさに、ヨーロッパの大学と国際教育交流を「ヨーロッパ化」させるために政府の連合体が大きな財源を投入し、成功したプログラムであった。しかし、ヨーロッパにおいては、ラテン語を中心とした知の伝統が「ヨーロッパ」を「ユニバース(普遍)」とする、知の共同体の歴史が存在していた。エラスムス計画はその伝統を再発見する営みであったと見ることもできる。翻って、アジアにおいては、地域を枠組みとした伝統的な知の共同体はヨーロッパと同じ意味では存在していなかった。
しかし、近年アジアの主要大学の中に、国家の意図に影響されるのではなく、「アジア」をその国際戦略の中核に自立的に据える大学が見られ始めた。国際学会や大学の連合体も、アジアの地域的な枠組みで構成される組織が増加している。これらの動きは地域統合の政策的な展開と独立したものである。これは、地域的な国際教育市場の形成とともに、知の創造の単位としても「アジア」をとらえることの妥当性が、大学関係者・研究者の間で認識されてきた証左ではないだろうか。また、地域的国際高等教育市場の形成によって、国際的単位互換や卒業資格の相互認証など、高等教育の質の保証を地域的なフレームワークで構築する必要性が増大している。
このような流れの中で、アジアの大学が、自立的な立場で、地域統合志向の大学間交流と留学生交流を内包した国際教育交流ビジョンを共同で形成し、高等教育の質を国際的に保証しながら、実質的な交流連携活動の実をあげることは、国際教育交流を地域統合につなげることに大きな意味をもつ。例えば、2つ以上のアジアの大学が、国際的な大学連携によるダブル・ディグリーもしくはジョイント・ディグリープログラムを立ち上げたり、カリキュラムの一部として共同セミナーや講義を企画する事例や、アジア研究などのカリキュラムの一部をアジアの複数の大学が共同開発する事例が近年増加してきているが、そのようなミクロの取り組みが積み重なることが、総体として知の地域統合に大きな役割を果たすと考えられる。また、このような地域内の大学連携の取り組みは、そのプロセスにおいて、相互理解を促進するだけでなく、高等教育のグローバルな競争的環境・国際教育市場において、より高い競争力と社会経済に対する貢献ポテンシャルの大きい教育プログラムを創出することにつながるであろう。
3.おわりに
アジア地域統合の政策的な議論は未だ萌芽的段階である。そして、この議論はこれまで政治的・経済的な側面のみが強調され、人的・文化的側面が軽視されることが多かった。しかし、地域統合の取り組みを経済や安全保障のみで語ることは、地域統合の主体がその地域に住む人々であるべきことを考えると、不十分だと言わざるを得ない。ダイナミックなアジアの大学間交流に、アジア地域統合というビジョンを与えさらなる展開を模索することは、人々が主役の「東アジア共同体」を形成するためにも、必要なことではないだろうか。