特集・連載
国際交流
-3-大学を取り巻く国際交流の潮流
JAFSA
国際化に決まった形はないJFKの取組をふり返る
常翔学園総務部国際交流担当課長 余田勝彦
現在、私は「大阪工業大学国際交流センター課長」以外に、摂南大学、そしてそれらを設置している(学)常翔学園総務部の国際交流担当の肩書きを持っている。三種類の名刺を出すと、妙な誤解をされる人もいるが、現時点ではそれぞれの業務がそれほど密度を持たないことを意味するだけで、「偉いんですね」などと言われると、苦笑いを浮かべるしかない。私の属する大学は、国際交流の分野では、全体としてまだまだ後発に属している。
さらに言えば、約三年前、法人本部に新設された国際部門への異動が発表されたとき、私自身が「これは一体何をする部署ですか?」と当時の上司に尋ねたほど、この種の事業の認知度は低かった。そんな私にとって、「教育学術新聞」の新春号「中小規模大学の国際戦略」で、塩川雅美氏が述べているJFK(JAFSA Forum in Kansai)のメンバーとして関西の有志と国際交流担当者のための研修企画活動を伴にさせて頂いたことは、この上ない幸運だった。JFKの活動、そのメンバーたちから得たものは単に情報のレベルに留まらず、そのインパクトを私自身の所属機関の現状にぶつけることで、様々な可能性を検討し、方向性を模索することに終始したと言ってよい。
塩川氏の記事を補足するわけではないが、JFKは時間の経過とともに方向性が収斂されていったのであって、当初からビジョンが一貫していたとは思わない。塩川氏がキーワードとして挙げていた「中小規模大学」にしても、その萌芽は認められたものの、活動の深化とともに明確になったものだ。
JFKは高邁な理想に支えられていたわけではなく、それぞれ思惑も立場も違うメンバーのインタラクションをエンジンにした活動であった。メンバー間の関係はある種ルースで、同時に濃密であった。私自身、日本あるいは関西の国際教育交流の発展を純粋に願っていたわけではなく、まずは給料を出してくれている組織に何を持って帰れるか、ということを第一命題に置いていた。JFKは、そう公言することを憚る必要がない「本音」の活動であった。真剣に利に聡くあろうとすることと、周りから利己的には思えない行動を取ることは、相容れないものではない。むしろ打算をベースにして行動している人間は軸があまりブレない、そこを代表の塩川氏が上手にコーディネートして活動を主導していったと考えている。逆に、そのような「本音」の活動であったがゆえに、その存在が固着化し、インパクトが薄れそうになった時点で、あっさりと解散することになった。
あくまで私見だが、JFKの活動を通して何かメッセージがあったとすれば、「『国際化』に決まった形があるわけではない、そこにどのような意味を込めるかはそれぞれの大学が、おかれた環境やミッションから当然に導き出される必要性に応じて考えればいい」という当たり前のことである。戦略的に「中小規模大学」というコンセプトを打ち出していたが、規模の大小はそれほど重要なことではない。旗艦大学や先鋭的な取り組みをしている大学に規範を求めても、日本のほとんどの大学には意味がない。「うちの大学は立ち遅れていて」と申し訳なさそうに言う担当者には、「『やらない』ということも立派な選択肢ですよ。きちっと筋を通していれば、それはそれでカッコいい」と勇気付けたかっただけである。
最後の研修テーマ「『国際化』を超えて」は、「すべての大学を押し並べて、国際交流とか国際化とか統一的に語れるものなんてない」というJFKの基本スタンスを繰り返したものと、私は理解している。
結局、自ら考えるしかないのである。
話を現在の職場に移し、サウジアラビア王国(KSAKingdom of Saudi Arabia)に関連して感じたことを述べてみたい。
大阪工業大学の国際交流センターは、昨春に開設されたばかりで、時を同じくして、KSAからの正規留学生10人が入学したことは、私たちにとって幸運なことであった。アブドーラ国王奨学金の受給生である彼らは、経済的には恵まれている。しかし大学生活の第一歩は、軟着陸とは言い難いものだった。お祈りの場所、食物の禁忌への配慮、リメディアル教育など、考えられる範囲で準備はしていたものの、学業面では想定を超えるインパクトがあった。サウジアラビア王国大使館などの協力も得ながら、徐々に体制を固めていく中で、新設の国際交流センターは随分鍛えてもらった。
このような縁もあって、先日リヤドで行なわれた高等教育国際展示会に視察に行く機会を得た。国を挙げての一大イベントには世界各国の大学等機関のブースが350ほど立ち並び、高校からバスを出しているのか、サウジの若者が団体で来場し、リヤド国際展示センターは熱気で満ちていた。
大阪工業大学はブースを構えてはいなかったが、KSAの大学を中心にブースを回って情報交換を行なったほか、サウジアラビア国営ラジオ局の生放送のインタビューを受けるなど瑣末なエピソードも含めて、大変刺激的な経験をすることができた。ここで、一つの経験を伝えたい。
展示会では、米英には及ばないまでも、日本のブースはそれなりの賑わいを見せていた。KSAの若者の動きにどのような志向性があるのか観察する中で、少なくとも「日本」という閉域で私たちが見聞きして、当然のごとく受け止めているコンテキストを彼らは共有していないという当たり前の事実を確認した。「無関心である」と言ってもよいかもしれない。
ブランド大学が苦戦をしていたという意味ではなく、むしろその逆なのだが、単純に集客を高めるためにしっかり工夫をしている結果だということである。日本国内での大学のランキングや序列は、彼らには意味を持たない。言ってみれば、別のシステムが働いている。それだけのことである。
私には、日本の見慣れた風景を引き摺るような国際交流や国際化にそれほど興味はない。そのような景色の綻びから、荒涼たる砂漠の影を見たい。そのための手段として、「国際」という外部性を活用したいと考えている。
例えば、本来国内学生を対象として構築された教育プログラム本体に極力手を加えず、様々な工夫によって外国人留学生の「異質性」を消去することを一つの留学生受入の手法としたとき、それは不可避的に外国人留学生を「準日本人」として同化していくことではないか。逆に、その「異質性」を消去することを回避し、そのインパクトを維持することはできないか。最近流行りの英語でのコースとは違う観点から、留学生受入の在り方の可能性を今はぼんやりと感じている。
日本の大学をある種の閉塞感が覆っているとしたら、「国際」はそれを破る契機に成りえるのでは、そんな予感がある。
そんなわけで、私は今の仕事が楽しくてしかたないのである。
JAFSA(会長=白井克彦早稲田大学総長)は、主に学生の国際教育交流に関する情報交換や研修等の活動を行っているこの分野唯一のネットワーク組織で、2008年に設立40周年を迎えた。会員(正会員・団体)数は、国公私立大学を中心に、232大学・団体(2009年12月16日現在)に上る。http://www.jafsa.org/