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未来を創造できる生徒を育む教育を目指して
~東日本大震災から学んだこと~(上)
福島県立福島高等学校進路指導主事  浜田 伸一

3月1日、福島県内ほとんどの県立高校で卒業式が行われた。原発事故の影響でサテライト校(福島第一原発の事故により避難区域に指定された場所にある高校が他校や公共施設を間借りし授業を行っている校舎)となった双葉、双葉翔陽、富岡、浪江、浪江津島の五校は本年度の卒業生111名を送り出し休校となる。古里から他地域に避難した後、本学で学べなくても地元にあった親しみのある高校のサテライト校に通い、母校への誇りを胸に巣立っていった高校生も少なからずいたのである。一方、休校となる双葉郡の五校にかわり平成27年4月より中高一貫校としてふたば未来学園高校が開校し、「変革者たれ」という「建学の精神」のもと、「自立」「協働」「創造」を校訓として教育活動が開始された。また、4月からは相馬地区の小高商業高と小高工業高が統合され小高産業技術高校として生まれかわる。

東日本大震災から6年が過ぎ、福島県内の高等学校も大学をはじめとする教育関係の方々に止まらず、多方面からの力を頂き復興にむけ一歩一歩前進している。一方、現在でも福島県内外に約8万人が避難しており、風評被害により生活が脅かされたり、心を痛める人も少なくない。福島大学と朝日新聞社の共同調査によれば原発事故で避難したことによる「いじめ」「差別」を受けたり被害を見聞きしたと答えた人は62%にも上った。帰還困難区域を除く区域の避難指示解除も間近だが医療施設や商業施設などのインフラが整わなければ「解除」とは名ばかりのものになりかねない。復興への道のりは平坦ではなく長いスパンを見据え進み続けることが求められている。

そんな中、古里の復興だけでなく日本の新たな未来を創造できる生徒を育む教育の重要性を痛感している。現在の福島県を世界の「課題先進地域」として捉え、その解決を通して世界に発信できる人を育てたい。本紙面をお借りし、本校の震災直後の様子を振り返るとともに現在に至るまでの教育活動の一端をご紹介しながら、東日本大震災から学んだことを高大連携・接続、入試改革の視点も交えお伝えできればと思う。

福島県立福島高等学校は県庁所在地である福島市内にあり、普通科の各学年320名(8クラス)のほとんどが4年制の大学を志望し、昨年は私立大学に64名、国公立大学に153名が進学した。学業と部活動、生徒会活動、学校行事とを両立させることで生徒の人間的な成長を図っていくという教育理念のもとに、日々、教育活動を積み重ねている。

2011(平成23)年3月11日、東日本大震災が襲った際には、幸いにして生徒や教職員は無事であったが校舎の被害は甚大であり、本校の4つの校舎のうち2つの棟が地震による被害で半壊となり使用できなくなった。また、多くの被災地の学校がそうであったように、2つの体育館とも臨時の避難所となり多いときで500名もの方々が本校の体育館での避難生活を余儀なくされ、我々教職員も代わる代わる、24時間体制で対応する日々が続いた。その後、生徒のボランティア的な活動によって教室の物品の移動を済ませ、何とか例年より10日ほど遅い始業式、入学式を迎えることができた。しかし、教室が不足していたため、新1年生については第2体育館を2つに区切り、2クラス合同の80人をそれぞれに配置することとなった。また、視聴覚室、同窓会館にもそれぞれ80人を配置した仮教室による新学期のスタートであった。とりわけ、体育館は寒さ、暑さの室温調節が難しい上、天井が吹き抜けであることから、授業中も隣のクラスの声が聞こえるなど、授業をするには過酷な環境の中、夏休み後に仮設校舎が使用できるようになるまで過ごすこととなった。また、学校の敷地内に放射線量の高い値を示す場所が偏在し、立ち入り禁止区域を示した地図を各クラスに配布しなければならず、特にグランドを使用する部活動の大きな障害となった。

校内に閉塞感が強まる中、当時の生徒達は、自分の置かれた状況に向き合い、「今、何をすべきか、何ができるか」を考え、行動し始めた。校内新聞『梅章』を発行してきた梅章委員は、未来への記録として保存できるようにと号外を随時発行し、学校内の状況を詳細に伝えるとともに、コラムでは「厳しい環境に対応するため、柔軟な心、楽な気持ちで生活しよう。もし、ストレスを感じたら、無理をせず、親しい友人と会話しよう。学校は楽しい場所です。勉学や行事を共に楽しみましょう」と呼びかけた。

また、スーパーサイエンス部(本校はスーパーサイエンスハイスクールの指定を受けており、その組織の中に、部活動としてのSS部がある)が「福高グランドスキャン作戦」を実施した。その生徒や有志の生徒、教職員らで40台の線量計を使い、敷地内660地点の放射線量を測定した。そのきっかけは、県が実施したモニタリング調査の3.6マイクロシーベルト/hという数値に疑問を抱いた生徒の発言だった。「その数値はどこを、どのように計ったのか。一箇所だけ計り、安全なら、部活を再開していいのですか」それは、正しい疑問だった。測定の結果、県の測定値よりも高い5.3マイクロシーベルト/hを計測。体育館脇の側溝にいたっては、最大60マイクロシーベルト/hという非常に高い値となり、立ち入り禁止と除染の措置を取ることができた。その後も、SS部放射線班の調査、研究は引き継がれ進化しながら今日まで進められており、イギリスやフランスなどの高校生との交流を通して福島の現状を世界に向けて発信している。生徒達が「正解のない課題」に立ち向かい「誰かの答えを待つのではなく、自分で必要でより正確な情報を集め、自分で考え、判断し当事者として行動できる力」を育てることの必要性を痛感した。それは今回の教育改革の根幹にあり、我々が教育に関わる者として持ち続けなければならない理念である。

(つづく)