アルカディア学報
高等教育におけるいわゆる
“教育費無償化政策”のひずみ〈上〉
文部科学省の教育費無償化政策は消費税増税分を原資に幼児教育段階で10月よりスタートし、大学、短大、専門学校等を対象に2020年4月からの開始を目前に控えています。この政策は少子化対策の一環として、子育てや教育費の費用負担や負担感が少子化の一因であると考えた社会政策の一環であり、子どもを持つ保護者、子どもたち自身、私学も含め学校関係者からも歓迎されているといえるでしょう。
しかし、対象者をどの範囲にするかということが、公平性や公正性の観点から議論の対象とされ、一足先に始まった幼・保では所得水準にかかわらず全員が対象とされたことが高所得者に対する"ばらまき"であるとか、低所得世帯の一部からは実質的な負担増だという批判の声も上がっています。また保育所不足等が深刻な地域を中心に無認可保育施設等であっても"無償化"の対象となっており、認可という公的保証を得ていない保育環境であっても税金を支出していいのかを危惧する声もでています。
それでは、来年4月に実施を控えた高等教育の状況はどうでしょうか。
いわゆる"無償化(減免も含め)"の対象は、住民税がかからない世帯と所得が少ない世帯です。所得基準は「第1区分」・「第2区分」・「第3区分」の3つに分けられ、「第1区分」が「住民税非課税世帯」、「第2区分」・「第3区分」が「それに準ずる世帯」です。授業料などの減免と給付奨学金の適用を受けるには、この家族が「第1区分」(年収の目安は約270万円まで)、「第2区分」(約300万円まで)、「第3区分」(約380万円まで)となっています。
年収約270万円までの住民税非課税世帯である「第1区分」を1(3/3)とすると、年収「第2区分」の世帯では、非課税世帯の「2/3」、「第3区分」の世帯では「1/3」と、支給割合が減少します。なお、「授業料等減免制度」と「給付型奨学金の支給の拡充」は併用できるため、両方を利用する場合でも所得基準に応じた支給割合は同じです。給付型奨学金(返済の義務はない)は、自宅からの通学かどうかと通学先が私立か国公立かによって金額が異なり、最高で年間91万円の給付を受ける事ができます。もう1つの授業料減免は入学金と授業料をそれぞれ免除されるもので、入学金は最大28万円、授業料は最大で年間70万円もの額が免除されます。この制度により国公立は入学金と授業料がほぼ全額免除となります。
私立の場合は学校により授業料等が異なるので一概には言えませんが、大方7割程度が免除になるといわれています。
高等教育の修学支援新制度では、所得基準が緩和されたことで、住民税非課税世帯に加え、それに準ずる世帯の学生にも支援の対象が広がったことは"無償化"に近づいたと評価されるでしょう。しかし、説明文のそこかしこに「学業成績だけで否定的な判断をせず」と書いてあるにもかかわらず、結局は相対順位で振り落せという入学後以下のいずれかに該当すると最初は「警告」となり、それが連続すると「打ち切り」になります。
①修得単位数が標準の6割以下の場合
②GPA(平均成績)等が下位4分の1の場合
③出席率8割以下など学習意欲が低いと大学等が判断した場合
大学無償化は消費税率引き上げによる財源で賄われることもあってか、進学後の"勤勉さ"?が重要な審査基準とされているようです。
しかし、これは受給者にとっては死活問題となるリスクではないでしょうか。従来のJASSOの奨学金と比較してみるとそのことがよくわかります。JASSOの奨学金打ち切りの対象となりえる「警告」(奨学金交付は継続。成績が回復しない場合は、「停止」または「廃止」になる可能性がある)となる場合の例をみると、「修得単位(科目)数が標準の半分以下」「卒業延期の可能性がある」「出席率が悪く学修の意欲に欠ける」「仮進級となった」といった基準です。「停止」については成績不振による場合は、1年間奨学金を停止。停学などの理由であれば、相当する期間奨学金を停止。成績は廃止と同程度だが、成績不振の理由がやむを得ないと認められ、かつ卒業の見込みがある場合。停学、そのほかの処分を受けた場合。学校内外の規律を乱した(不起訴処分が必須)場合、などとなっていました。
機械的に相対的順位を基準とする②のようなものはみあたりません。成業の見込みは各大学等の判断にゆだねられています。「下位4分の1」といった相対的基準で打ち切られた学生は経済的に学業継続が困難になる可能性の高い所得層の学生であることを考えれば、"中退"の危機に直結します。
他方、③については、「学習意欲」は大学の判断によるとされ、判定基準の設定の仕方に一貫性がないと言わざるを得ないと思われます。
高等教育の中退者が置かれている状況をこの基準を定めた人たちは理解しているのでしょうか。
厚生労働省が継続的に実施している「21世紀成年者縦断調査」の個票データを用いた労働政策研究・研修機構(JILPT)の分析によれば、日本社会における高等教育中退者が被る不利益は極めて大きいのです。2012年度の学歴別平均年収(20―29歳)をみると、男子で中学卒 198.6万、高校卒 244.1万、専門学校・短大・高専卒 234.2万、大学・大学院卒 273.9万と比べ、中退者のそれは著しく低く、専門学校・短大・高専中退は187.6万、大学・大学院中退 183.9万に過ぎません。高卒だけでなく中卒も下回っています。女子でも、中学卒 136.9万、高校卒 166.2万、専門学校・短大・高専卒 201.7万、大学・大学院卒 235.7万と比べ、高校中退 126.0万、専門学校・短大・高専中退139.5万、大学・大学院中退 151.8万と、傾向は同じです(独立行政法人労働政策研究・研修機構『大学等中退者の就労と意識に関する研究』2015年)。
せっかく高等教育機関に入学しても、いったん下位4分の1の順位が2学期続けば学業継続困難で中退し、"ワーキング・プア"になってしまうリスク、これを今回の無償化政策が生み出してしまう可能性が高いのです。下位4分の1になれば受給学生の努力不足、自己責任と扱う社会政策になってしまうと、経済的格差を改善するどころか格差の拡大という結果になる危険性を感じます。
文部科学省からの追加通知をみると、驚いたことに資格要件分野においては、資格取得が可能だと学校が判断すれば、打ち切りをしなくてもいいということです。看護、教員、栄養士等の国家資格養成分野を指すのであろうと思われますが、大部分の社会科学、人文科学、理学などの分野は対象にならないのであろうと推察されますが、それは分野格差を生み出す源泉になります。
こうした危険性は学生個人の成績からと、もうひとつ進学した機関(学校)が原因となる格差という危険性もあります。
高等教育無償化(給付型奨学金・授業料等減免)の対象となる大学等は9月20日、文部科学省のホームページで公表されました。大学・短期大学は1043校(全体の97・1%)、高等専門学校は57校(全体の100%)、専門学校は1688校(全体の62・2%)が無償化の対象校となりましたが、問題は機関要件を充たすことができなかった、私立の大学・短大31校と専門学校が1024校あったことです。機関要件は(a)法人の貸借対照表の「運用資産―外部負債」が直近の決算でマイナス、(b)法人の事業活動収支計算書の「経常収支差額」が直近3カ年の決算で連続マイナス、(c)直近3カ年において連続して、在籍する学生数が各校の収容定員の8割を割っている場合が重なった場合で、定員未充足が原因となるケースが多いようです。大学法人は私学助成の補助金打ち切りラインが定員充足率7割であることを意識してきたこともあってか、定員削減などの対応も含め、要件未充足校はでませんでした。ところが、都道府県知事所管の専門学校法人ではこれまで情報公開が義務付けられたわけでもなく、私学助成補助金の対象にもなってきてもいなかったので、定員充足すること自体がそれほど意識されてこなかった結果かもしれません。
(つづく)