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アルカディア学報

アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)

No.176
学術システム研究センター、その後進性―透明性と公正さの確保に大きな課題

早稲田大学理工学部教授  竹内 淳

 現在日本ではファンディングエージェンシー(研究費配分機関)の改革が急である。これは、昨年の総合科学技術会議の意見「競争的研究資金制度の改革について」を受けたものであり、その改革の先鋒として日本学術振興会が学術システム研究センター(以下、同センター)を昨年七月に発足させた。公正で透明性の高い評価システムの確立が同センターの主要な課題の一つである。この発足には一部の私立大関係者も大きな関心を持っていたが、稼働し始めたこの機関の実態に驚いた関係者は少なくない。
 折から日本学術振興会は機関誌「学術月報No.7」で同センターの設立一周年を祝う特集記事を載せているが、一方で私立大関係者からは、この組織の透明性と公正さに関する疑念が筆者のもとに多数寄せられている。本稿では、その問題点を指摘したい。

 《ファンディングエージェンシーの使命と期待》
 ファンディングエージェンシーの使命は、大学などで行われる研究への公的資金による研究支援である。そこで求められるのは、まず公正な審査による研究資金の配分である。国民の税金を投入する以上、私的な配分を許す審査制度であってはならない。また、単に研究費の配分にとどまらず、我が国の研究能力の向上のために研究全般に関する調査研究を行い、長期的な視点にたって研究を育成する戦略の策定も期待される。
 今後、どの研究分野にどのように研究費を配分するかで日本で延びる研究は左右される。特に日本のファンディンングエージェンシーの「研究に関する研究の能力は、米国のNSF(米国科学財団)やNIH(米国衛生研究所)に比べて劣っており、同センターにはこれを補うシンクタンクとしての役割も強く期待されている。

 《プログラムディレクター制度の採用》
 同センターの設立では、プログラムディレクター(PD)とプログラムオフィサー(PO)制度の採用が大きな特徴になっている。この制度は、審査にPDやPOなどの専門家を関与させることによって審査レベルの向上を図るものであり、同時に研究者が資金配分に関与する機会と権限を増大させるものでもある。
 当然、PDやPOの選別にも透明性や公正さが要求されるが、同センターでは設立時からこの透明性が確保されていないと思われる。公的資金の配分に関与する以上、PDやPOをどのように選んだかを、まず学術振興会は公開する必要がある。この後で述べるようにPD/POの所属は多様性を欠いていて大きく主要国立大に偏っている。「多様性」は民主国家の様々な委員会での公正さを保証する重要な大前提であるが、同センターにおいてはこの基本事項が理解されていないかのようである。

 《公正さを保証する多様性》
 多様性の概念を見るために、NSFとNIHを例にあげたい。この両者においては、審査員の選定にあたって、多様性が要求される。一定の学識を持つ者という前提はつくが、審査員の構成にはバランスが要求され、所属機関、年齢、性別などが多様であることが求められる。所属機関については、小さな大学や企業も含めることが推奨され、さらに所在地の米国内での地理的バランスまでもが求められている。
 この多様性の確保は「多様な観点からの審査」を行うためのものだが、同時に公正な審査を成立させる大前提でもある。本来審査員は、各自の知的バックグラウンドに依拠しながら、一方で、各所属機関の利益代表にならずに無私を前提とした多様な視点から審査することが求められる。しかし、万一この理想的な状況から外れ、仮に審査委員会が利益代表者間の争いの場に落ちたとしても、バランスある多様な審査員構成をとれば、一部のグループによる私物化を排除でき最低限の公正さを保つことができる。
 学術システム研究センターがNSFやNIHなみの公正さを目指すのであれば、PDやPOの選出にあたっても当然この多様性を満たすべきである。とくに同センターのPD/POは所属大学との兼任であり、自分の所属組織の利害を審査員の選定やその他の議論にからませる恐れがある。PD制度としては科学技術振興機構が先行していくつかのプロジェクトを走らせてきたが、PDが元所属学科の卒業生を高い確率で選考した例などが認められる。形だけをまねたPD/PO制の採用では、公的資金の公正な運用という国民の期待を裏切ることになる。

 《主要国立大に偏ったPOによる非関税障壁》
 この多様性という観点からPD/POの選考結果を見てみたい。PDは人文社会系が石井紫郎氏、理工系は柳田博明氏、生物系は本庶佑氏である。POの構成はこの三つの系で大きく異なっていて、人文社会系については私立大の研究者も高い比率で選ばれ多様性への配慮が認められるのに対して、理工系と生物系では(工学系の選考を除いて)この基本原則がまったく置き忘れられている。
 たとえば、数物系12名と化学9名のPOの内19名は主要国立大の所属であり、私大はゼロである。生物系は9名中私大1名、医歯薬学は19名中私大1名、農学は15五名中私大2名である。これでは、とても多様な構成とは言えない。人文系、理工系、生物系の科研費申請適格研究者の比率は、国立大対私立大でそれぞれ2対5、5対3、4対5である。これを母数として考えるとPOの構成比は異常であり、透明で公正な審査という前提がセンター設立の段階から実現されていないことがわかる。これでは、建前は「科研費は私大にも開かれている」と言いながら、その実態は非関税障壁が設定されているのと同じである。
 従来から、日本学術振興会から私立大への情報の流れは、国立大へのそれに比べてはるかに少なく情報の格差が存在した。同センター設立時にPO候補の推薦を各大学に依頼する時点から、同センターの設立目的やPOの役割について私立大に国立大と同等の情報が公平に開示されたかどうかは疑問の余地がある。POの推薦依頼から決定にいたる選考過程の透明性と公正さの確保をまず求めたい。

 《モノカルチャーの弊害》
 この偏ったPOの構成では日本の研究能力の向上につながる調査研究が十分にはなしえないという点も指摘しておきたい。主要国立大所属のPOのみで構成されたグループで、どのような構造改革の視点を持ちうるだろうか。我が国の研究レベルの向上や大学全体での公正な研究資金の配分ではなく、主要国立大のみの研究と資金の配分に関心が限られる可能性が高い。したがって、このシステムによって、主要国立大への研究費はいっそう集中し、地方国立大や私大は取り残される恐れがある。現在、公的研究費は国立大に私立大の5倍の額が配分されている。一方、米国の公的研究費の4割は私立大に配分されており、日本とは大きく異なっている。米国と同様、日本でも私立大の擁する人的資源や経済規模は決して小さくなく、国の中に占める比率では、日本における私立大の存在は米国のそれよりも大きい。
 たとえば、理工系の学生数は、私立大は国立大の2倍であり、理工系教員の4割は私立大に属している。大学全体での経済規模では、私立大は国立大の2倍もある。優れた研究を成立させるには、すぐれた才能に研究費を配分する必要があり、所属に関わらず公正に研究費を配分する機関の設立が望まれる。国立大に偏った研究費の配分は、私大側の人的資源や経済的資源を活かしておらず、研究能力の国家単位での損失になっている。

 《ピークではなく層の強化が重要》
 最近の国の動きでは主要国立大に研究費をいっそう集中する傾向があるが、たんなる集中では国全体の研究能力の向上にはつながらない。たとえば、米国の場合、100億円以上の公的研究費を受給している大学が約60校あるが日本では4校程度である。我が国では、主要国立大以外の研究費が著しく少ないのが特徴であり、これが国単位の研究能力を削ぐ結果になっている。ピークをつくれば世界に伍せると考えるのは誤りであり、すでに研究費と成果の両者において世界の一流大学と肩を並べる主要国立大に研究費を集中するよりも、それに続く大学群の強化の方が遙かに重要である(「大学の公的研究費の日米構造比較」科学(岩波書店)2003年2月号 P137)。
 学術システム研究センターが自らに寄せられる期待に応えるためには、まず、多様制のあるPD/POを構成する必要があり、この多様な視点がなければ米国のファンディングエージェンシーに比べて、公正さでも研究調査能力においても遠く及ばないことを認識すべきだろう。

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