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アルカディア学報

アルカディア学報(教育学術新聞掲載コラム)

No.36
クラーク・カー氏とカリフォルニアの大学

日本大学教授  羽田 積男

☆5月連休中の旅
 筆者は昨年10月のこの紙面で、「米国の大学事情」と題する報告を2回にわたって連載させていただいた。今回はその続編であり、カリフォルニア大学バークレー校で開催されたクラーク・カー氏を記念するシンポジウムに参加し、そこで考えたことなどを報告させていただく。前回の報告で果たせなかった、カリフォルニア大学の新しいキャンパスの進捗にも触れておきたい。残念ながら、訪れたいくつかのコミュニティー・カレッジの話題は、また機会を改めることにしよう。
 カリフォルニア州は、人口や各種の産業分野においてアメリカ最大の州であり、その繁栄を支える高等教育のシステムは、アメリカ国内ばかりでなく、世界の多くの国々に影響を与えている。州の高等教育の大きな変革は、1960年に策定された高等教育マスター・プランであり、プランの策定や実行に最も深く係わった人物が、当時カリフォルニア大学総長であったクラーク・カー氏である。このプランでは、2年制のコミュニティー・カレッジ、4年制の州立大学、そして強大な大学院をもつカリフォルニア大学という3層からなる公立の高等教育システムを造り上げ、望めば誰もが大学へ進むことが可能であり、能力があれば大学院まで小さな負担で学ぶことができるというものであった。しかも、2年制から4年制大学への編入学は、1つの進学ルートとして設定され、システムの上下、横への移動が許された優れたシステムであった。私学でさえ、これらのシステムの恩恵は受けてきた。
☆クラーク・カー氏の健在
 カー氏は1952年に新設ポストであったカリフォルニア大学バークレー校の学長に41歳の若さで就任し、1958年には大学全体の総長に就任する。その後、新しいキャンパスをサンディエゴ、アーバイン、サンタクルツにぞれぞれ立ち上げるなど、急増した州の大学生人口に対応した。1967年に、後の大統領、レーガン知事による圧力によって罷免されたが、その後、バークレーを本拠にしてアメリカの高等教育界の最も影響力のある人物として活躍し、カーネギー高等教育振興財団の責任者として膨大な高等教育研究のシリーズを完成している。その功績にカリフォルニア大学は、バークレー校に隣接する特殊教育学校の跡地を接収し、これにクラーク・カー・キャンパスと命名している。その人となりは、本研究所の喜多村和之主幹が、著書『新版 学生消費者の時代』(玉川大学出版部)で詳しく触れている。
 カー氏を記念するシンポは、氏の90歳の誕生日を祝うとともに、秋にも刊行される予定の回想録『ゴールド&ブルー 私的回想のカリフォルニア大学1949−1967』の原稿完成を祝うものである。ゴールドとブルーは、カリフォルニア大学の正式な大学カラーであるが、普通はブルー&ゴールドという順序で使われている。大学の「黄金時代とはるかな彼方」、とも深読みができるが、カー氏がそのタイトルに込めた意味も興味深いものがある。全2巻という浩瀚な回想録は、大学人のなかでも最大級のものであろう。90歳を迎えた氏の明晰な記憶力や旺盛な知的好奇心は、まだまだ健在である。
 さて、シンポのテーマはカー氏の記念にふさわしく「変わる大学のリーダーシップと管理」というもので、約130名の著名な大学人が集まり、5月4、5日の両日に行われた。大学におけるリーダーシップ、リーダーシップとテクノロジーの利用、新起業時代における大学の自律性などが各セッションのテーマであった。スタンフォード大学、カリフォルニア州立大学、ミシガン大学、ミネソタ大学などのトップをはじめ、アメリカ教育協議会などの首脳がそれぞれ今日の大学のリーダーシップについて意見を述べた。シンポの内容はいずれ公刊されるであろうが、勢いその議論はバークレー校のような強大な研究大学や、ミネソタ大学など州の旗艦大学の話題に傾いたが、やはりカー氏がかつて名著『大学の効用』(1963)で説いたような、大学トップには調停者型リーダーシップがますます求められているように筆者は感じた。変わる社会に応えて大学がより多様な機能を持つようになったからである。
☆学生人口急増のために
 筆者のアメリカ高等教育に関する最大の興味は、今後10年の間に3割以上の学生人口増加が見込まれている州において、どのように急増する学生を収容するかという、極めて単純な問いであるが、解決の難しい問題である。その解決の仕方の概要はすでに前回この欄に記しているので、今回はその実際の紹介である。
 解決への道筋のひとつは、カリフォルニア大学の10番目のキャンパスを新設するというものである。ヨセミテ国立公園への入口に位置するマーセッド市の郊外に、大学設立準備室の担当者の案内で将来のキャンパス候補地を訪れたが感動を覚えた。そこはまさに牧場であり、ホンダ?の四輪バギーに騎乗するカウボーイが牛の世話をしていた。しかし大学新設を決定した5年前のキャンパス構想は脆くも崩れ、いままた原点に立ち返って4年後に開学するキャンパスのデザインをしている最中であった。この地に生息し、春にわきだす水棲動植物を保護するため、キャンパスの予定地が変更になったためである。
 新しい建物群は、いまマーセッド・ヒル・ゴルフ場として利用されている場所であり、マーセッド湖に近く、自然保護などの問題はすでに解決済みの地である。この場所に来春を期して道路を通し、ラーニング・センター(図書館)、教室棟、研究棟を建てるという。同時にいま3分野の学部・学科長も募集中であり、教授陣の募集は世界的な規模で、世界的なクラスの教授陣を集めるのだという。
 4年後に開学するためには、時間との闘いであると大学広報の責任者は語っていたが、やがて25000人の学生と6600人の教職員からなる大学がこうして生まれるのである。大学当局が宣伝する「21世紀最初の研究大学」の建設には、いささか拙速ではないかと危惧も懐くが、急増する学生人口をながく待たせるわけにはいかないこともまた確かなことである。
 しかし、ここでも大学の努力はすでに始まっている。大学建設予定地にほど近いところにサンホアキン・バレー・カレッジがあり、ここにはこのカレッジと州立大学スタニスラス校、UCマーセッド校の3大学連合のトライ・カレッジ・センターという施設があり、すでに学生の教育がはじまっている。またUCセンターという遠隔地施設が建設され、地元マーセッド、フレズノ、ベイカーズフィールドに置かれている。
 こうしてキャンパスの建設に先んじて、教育はすでに始められている。もしUCマーセッドが動き出さなければ、他の大学がこの地に進出することも可能なのである。いまや大学は、インターネット回線さえあれば、どこにでも設置が可能な時代である。学生人口急増の時代にも、厳しい競争は州を代表する旗艦大学の分校さえ巻き込んでいる。
 (本稿は、日本大学教授の羽田積男氏にご執筆いただいたものです)

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