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アルカディア学報

No.636

大学入試における公平・平等
そして公正とは?

研究員 川嶋太津夫(大阪大学高等教育・入試研究開発センター長/教授)

2018年は複数の大学での出題ミス・採点ミスによる合格者追加に始まり、2021年度入試から導入される大学入学共通テスト、特に英語4技能試験の活用法を巡る混乱、そして私立医科大学・医学部における女子受験生や浪人生に対する不利な得点操作など、大学入試にまつわる問題が世間を賑わせた。特に、後者二つは、大学入試における平等や公平に関わる話題として大きな関心を呼んでいる。
 英語4技能試験については、地域的・経済的な受験機会の不平等への懸念が、また、医学部の入試に関しては、女子受験生や既卒受験者以外の受験生への加点や同窓生子弟の特別配慮などが不公平だと批判を浴びた。  ところで、多くの読者は既知のことと思われるが、大学入試の公平性・公正性を巡っては、米国ハーバード大学の入学者選抜が、アジア系米国人(主に中国系と韓国系)を差別しているか否かの裁判が10月に始まり、これまでベールに包まれてきたハーバード大学の入学者選抜の真実が明らかになるのではと、全米に大きな波紋を引き起こしている。
 原告は「公正な入試を求める学生Students for Fair Admissions(SFFA)」と称するハーバード大学に不合格となったアジア系の学生集団で、ハーバード大学は、アジア系米国人を不当に差別しているとしてボストン連邦地方裁判所に提訴した。原告によると、アジア系の志願者は、学力が極めて高いにもかかわらず、合格者に占める比率は常に20%前後であり、これは、ハーバード大学が、アジア系学生数の上限を意図的に設定しているからであり(ある種のクォータ)、人種による差別を禁じている公民権法違反であると訴えている。
 今回の裁判では、ハーバード大学の内部文書が、部分的に伏せ字にされているとはいえ、複数の志願者の最終評価書も含めて多数、公にされた。例えば、ハーバード大学出願を勧める大学からの勧誘状が、アフリカ系米国人、ヒスパニックあるいは先住系米国人の場合はPSATの総合点が1100点前後の高校生に、地方の白人の場合は1310点の高校生に送付されるのに対し、アジア系米国人の場合は、1350点(女子)から1380点(男子)の場合にしか送付されないという。
さらに、学力だけで合否を決めたとすればアジア系米国人の比率は19%から43%まで上昇することを示した2013年にハーバード大学が行なった内部調査の報告書の存在も明らかにされ、もし人種が考慮されなければ、アファーマティブ・アクション(積極的差別解消策)が禁止されたカリフォルニア大学バークレイ校と同様に、アジア系米国人の比率は40%になるはずだと原告は主張した。なお、その結果、カリフォルニア大学のバークレイ校やロサンゼルス校では、アフリカ系やヒスパニック系の合格者がかなり減少した。
 原告は、現在のハーバード大学は、ユダヤ人が急増した1920年代に当時のローウェル学長が、テスト得点だけで合否を決めていた選抜方針を変更し、テスト得点よりも性格や大学との相性そして人種を重視し、ユダヤ人を差別した状況と同じだと非難している。  テスト得点以外に、志願者の性格や意欲などの主観的な基準を合わせて総合的に評価して合否を決めるHolistic Reviewは、このようにユダヤ人排斥の手段として始まった。原告は、それを「総合的評価の原罪」と非難している。
 現在のハーバード大学もHolistic Reviewで合否を決めているが、それは、当然ながら特定の人種を排斥するのが目的ではなく、多様な学生集団を構成することが、全ての学生にとって有益な環境を提供するからである。ハーバード大学のアドミッション・ポリシーは、次のように明確に述べている。「今も昔もハーバード・カレッジは、背景、思想、経験、才能そして将来展望など、様々な多様性に学生が触れることができる活力に満ち溢れた知的共同体を作り出すことを目指して、各志願者を一人ひとり総合的に評価する(individually holistic review)。このような本学の入学者選抜のプロセスは、全ての法律に準拠しており、ハーバード大学の教育ミッションの根底にある教育目標の実現には不可欠なものである。」
 ハーバード大学には、1600人前後の入学枠に国内以外から毎年4万人以上が出願し、2015年では、国内からの志願者2万6000人のうち、3500人はSATの数学テストで、2700人はSATの言語テストで満点であり、8000人以上が高校の成績がオールAであった。したがって、学力要素だけでの選抜は、実際のところ不可能でもある。  そこで、志願者の審査は、2~3名の評価者が5つの領域(学力、課外活動、スポーツ、人柄、総合)について評価を行う。それぞれが1(最高)~6の評点が付与される。また、その際、人種的マイノリティ、同窓生の子弟(レガシー)、寄付者の親戚、教職員の子弟、運動選手には、「Tips(祝儀)」と彼らが呼ぶ特別な配慮がなされることも、ハーバード大学は認めている。
 原告が、アジア系米国人への差別の原因として最も強く非難しているのが、「人柄(personality)」の領域である。この領域の評価は、志願者が提出するエッセイ、教員や進路カウンセラーからの推薦書、そしてハーバード大学の同窓生によるインタビュー報告書をもとに、1~6の評点が与えられる。原告が提出した資料によると、白人志願者の21・3%が、1ないし2の評点を与えられているのに対して、アジア系志願者のそれは17・6%と低く、白人志願者はアジア系米国人志願者より、この領域でより高い評価を得ている。さらに、同窓生によるインタービューの評価は白人と同じなのに、アドミッション・オフィスの評価は、全ての人種グループよりも低くなっている。
 このように、SAT/ACTやGPAなどの学力は最優秀で、評点が高いにもかかわらず、人柄の領域で評点が低くなるのは、アドミッション・オフィサーがアジア系米国人に偏見を抱いているからである、というのが原告側の強い主張である。今回の裁判では、2000年以降の6回の入試における16万人の志願者の記録を原告側が分析している。その中には、志願者の最終評価書も含まれており(多くは伏せ字であるが)、特に原告が重視するのが、アドミッション・オフィサーのコメントである。その資料によれば、アジア系米国人へのコメントは、「勤勉で頭が良い」「勤勉だが、それ以上のものがない」「頭は良いが、飛び抜けた点がない」「努力家だが、何か楽しみはあるのだろうか」「物静かで、内気で理数系」などなど、著しく似ているという。そして、ハーバード大学も認めているように、評点よりも、これらの評価者のコメントの方が合否の判断にはより重要である。最終の合否は「剪定作業(Lopping)」と呼ばれる、40名からなる入試委員会で一人ひとりの志願者への投票で決まる。
 入学者選抜の公平性を巡っては、1978年の「バッキ判決」以降、幾度か連邦裁判所の審判が下されているが、これまでは、人種の考慮については、人種ごとに比率を決めるクォータや、特定の人種の志願者に画一的に点数を付与することは違憲であるが、教育使命を実現するために、志願者一人ひとりの人種を考慮して合否を決めることは違憲ではないとされてきた。現在は地方裁判所のレベルであるが、原告、被告ともに上告を表明しており、保守派判事が多数を占めるに至った最高裁が、最後にどのような判断を下すのか、という点でも全米、とりわけ大学関係者は固唾を飲んで裁判の行方を見守っている。
 今回の、裁判の背景には、平等や公平についての、文化的な差異があるように思われる。日本を含むアジアでは、全員が同一かつ画一的な扱いを受けることが、平等であり公平と捉えがちである。例えば、日本の学校では、一斉授業が当然のこととされてきた。他方、米国では、幼稚園から能力別指導が導入されているが、それは、子供の能力や意欲は異なるのに、それを無視して同一の指導を行うことこそ、むしろ不公平である、と考えるからである。入学者選抜でも、アジアでは共通テストの得点(場合によっては日本のように個別試験の得点の組み合わせ)のみで合否判定するのが客観的で公平な試験であると皆が信じている。そこで、今回の裁判では、学力以外の人柄などの主観的な評価を考慮するのは、不平等であり、同窓生や大口寄付者の子弟を優遇するのは不公平だと訴えているのである。日本の高大接続改革でも、これまでの1点刻みの入試から、全ての入試区分でテストの得点以外に主体性等も評価する多面的・総合的評価への転換が強く期待されている。しかし、主体性等の評価には、主観的評価が避けられず、形式的平等性を重視する日本ではなかなか受け入れられていない。センター試験の得点が同じであっても、在学する高校の教育状況や家庭環境など、志願者の置かれている環境によって学習機会が異なり、その意味が異なる。日本では、とりわけ一般入試ではテストの得点だけで合否判定するのが公平で平等だと当然視されている。しかし、テスト得点に現れる学力には、家庭の社会経済状況が大きく影響していることは多くの社会学者が指摘している。不平等が既に反映しているかもしれないテスト得点のみで合否判定することは、果たして平等であり、公平で公正な評価なのだろうか。