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研究成果等の刊行

No.8(2002.01)

「大学再編・統合の時代の私学を考える」

問題提起者:喜多村 和之、合田 隆史

はじめに

私学高等教育研究所 主幹 喜多村 和之

 21世紀に入って、日本の高等教育はそのよって立つ基盤が揺るがされるような時代に直面しつつあるようです。
 国立大学では「大学のかたち」である設置形態の法人化の制度設計が議論されている段階で、文部科学省は、国立大学の合併統廃合をすすめ、民間的経営手法も導入し、世界級の30大学を育成するという「大学の構造改革方針」(遠山プラン)を発表しました。私学では、大学・短大の深刻な定員割れや財務破綻の危機が伝えられる一方で、大学の学部・学科、とりわけ大学院の新増設が盛んです。
 他方で国外では、国公立大学の「法人化」や「私学化」、営利教育機関の台頭、ITの利用を通じた遠隔教育の発展、大学間の連携や合併統廃合の動きが広く見られます。
 こうした内外の動きは何を意味し、日本の私学にとってどんな影響をもたらすのでしょうか。
  去る平成13年9月4日に開催された私学高等教育研究所主催の第7回公開研究会では、こうした問題をめぐって、喜多村和之講師が世界の高等教育におこっている大学の淘汰再編合併の動きを展望し、文部科学省の合田隆史講師には日本のこれからの大学再編政策について論じていただきました。そして、講師の報告後の共同討論では、それぞれの問題について活発な質疑や意見交換が行われましたが、研究会の模様を浦田広朗研究員にまとめていただきました。
 この報告書は、このように研究費の問題をめぐって第7回公開研究会で行われた発表、討論、問題点、コメントおよび関連論文等を記録としてまとめたものですが、私学関係者のみならず高等教育に関心を持たれる方々が、この日本の将来にとって最重要な問題のひとつをお考えいただく上で参考にしていただければ幸いに存じます。

I . 問題提起(1) 喜多村 和之
   トップ30選別の意味―「遠山プラン」と私大政策(問題提起要旨)


教育学術新聞「アルカディア学報46」平成13年8月22日号に掲載。

II . 問題提起(2) 合田 隆史
   文部科学省の大学再編強化政策と私学(講演全文)

日本の高等教育進学動向


 本日はお招きいただきまして、大変ありがとうございます。私共もなかなかこういう機会がございませんので、大変貴重な機会を与えていただいた、というふうに思っております。本日は,多少個人的な意見も交えてお話させていただければと思っております。
 資料を7点用意いたしました。資料1のレジュメに沿って、お話をさせていただきたいと思います。最後に、喜多村先生からご指摘いただきました点につきましても、時間が許せば触れていきたいと思います。
 早速でございますけれども、資料1を横に置いていただいて、資料2をご覧いただきたいと思います。これは、皆様が何度も何度もご覧になって、ほとんどの方が見慣れておられる表だと思います。ですが、その「見慣れている」ということが何を意味するのか、ということを少し考えてみたいと思うわけであります。
 18歳人口の急増、急減ということが平成4年(1992年)をピークに起きるということは、これはもうずっと前から分かっていたわけで、大学審議会でも,「高等教育計画」と言っていた時代から、「将来構想」の時代へ、それぞれの時代、時代の言いぶりは様々でありますけれども、1992年以降の大学の状況ということを念頭に置いて,今から色々な準備をしていく必要がある、ということを繰り返し述べてきております。それは大学審議会だけではなくて、先ほどお話しいただきました喜多村先生も『大学淘汰の時代』といったものをお書きになっており、色々な方々が、「これから大学には、非常に厳しい時代が来る」ということを繰り返し警告されてきたわけであります。
 それらの警告は、今のところほぼ予想通りの状態になっているわけでありまして、進学率の推移を見ますと、ほぼ予見された通りの動きをしていると言ってよいと思います。
 予見された通り、と申します意味ですが、これも喜多村先生も指摘されていたわけですけれど、アメリカの大学が、1980年代前半でございましょうか、やはり18歳人口の急増・急減という時期に経験したこと、ということが例に引かれて、そしてアメリカの大学はその時代を乗り切った、乗り切った原因は基本的にはnew student、"新しい学生"と言われる、社会人学生など新しい形態の、伝統的な学生でない形態の学生を大幅に受け入れていくという格好で乗り切ってきたということが、言われているわけであります。
 他方、わが国の場合はどうか。資料2のグラフの「進学率」というのは、その進学率の計算の仕方が上に書いてありますが、「3年前の中学校卒業者数」を分母にとりまして、「当該年度の大学・短期大学入学者数」全体を分子にとっているわけであります。つまり、「当該年度の大学・短期大学入学者数」のうちの「その年の高校の卒業者数」だけを分子にとっているわけではない、ということでありまして、理論的に言いますと進学率が100%を超えることもありうる、ということであります。したがって、伝統的な「高卒後すぐ大学に来る人たち」以外の人たちが増えていけば、18歳人口が減っても進学者数が増え,進学率がどんどん上がっていくということがあってもおかしくない数値であります。(平成)12年、13年辺り、先般13年5月1日現在の学校基本調査の速報が発表されましたけれども、ご覧いただきますと、18歳人口も、高卒、と言いますか3年前の中学校卒業者数自体も、12年、13年でほとんど変わっていないにもかかわらず、進学率が落ちているということは、入学者総数が減っている、ということであります。したがって、18歳人口が減っても学生数が増えたアメリカとは逆に、18歳人口が減らなくても入学者数が減るというのが、日本の状態だということであります。これはもちろん、短期大学と4年制大学を足した数字ですから、中身を見ますと4年制大学は若干伸びていますが、短期大学はそれ以上に落ち込んでいるので、全体として進学率が落ちているということではありますけれども、いずれにしても専門学校を含めて、18歳人口が減っていない状況の中で高等教育進学者数が減っている、という現実が起きているということであります。それが現状であります。
 そういうことですから、関係者の間では非常に危機感が高まっているということなのですが、資料3をご覧いただきますと、これは私学振興財団の平成5年当時の調査をもとに、目白学園の佐藤弘毅先生が整理されたものであります。非常に示唆的な表でありまして、これは短期大学法人について調査をしたものでございます。平成5年という年は、18歳人口は平成4年がピークですから、ピークを過ぎた次の年にあたります。短期大学の進学率自体は、平成5年は平成4年に比べてまだ少し伸びるということが起きていた、そういう時代背景の中で、関係者がどの程度の危機感を持っていたか、ということであります。その時点で、役員クラスの人たちで「非常に危機感を持っている」人たちが6割、という状態であります。これを多いと見るか少ないと見るか、という問題がありますけれど、平成5年3月の時点で非常に危機感を持っている人たちが6割しかいない、というふうにやはり見るべきなのであろうと思います。それが現在の短期大学の状況につながっているのではないかというふうに思うわけです。それでもしかし、役員クラスは6割の人たちが非常に危機感を持っている。ところが職員になるとそれが3割、教員になりますと2割を切っている、という状況になっています。これはいったいなぜか? これはやはりちょっと考えてみる必要があって、「なぜか?」ということが一つと、もう一つは「こういう状態で役員クラスが大学改革の方策を提案すると、何が起きるだろうか?」ということであります。このような状況では、員クラスが改革方策を提案しても,教職員が反対する、ということが起きて、結局何もできない、ということになるのは想像に難くないわけであります。
 このように見ていくと、今の国立大学も似たような状況でありまして、実は国立大学の場合は、先ほど「親方日の丸」という話がありましたが、この三者の外側に文部科学省の御役人がいて,改革派からも反改革派からも叩かれてサンドバック状態になっているのですけれど、笛吹けど踊らずという状況になっていたような気がしています。ちょっと言い過ぎかもしれませんが、そういったようなことも考えさせられるデータであります。
 そういったような状況の中で、今日お見えの方々は、やはり国立といわず公・私立といわず何とかしなきゃいけない、と感じておられるのだと思います。

私学依存の日本の高等教育システム

 何と言いましても、日本の高等教育システムが先進諸国の高等教育システムに比べて何が特色か、と言って、これほど私学に依存しているシステムは他にちょっと見当たらない、というくらい私学に大きく依存していて、この平成13年5月1日の(学校基本調査の)速報によりますと、ついに私学の進学者の割合が78.9%ということですから、ほぼ8割が私学であります。これは4年制(大学)についての話でありますから、短期大学も含めれば9割を超えるような状況になっているわけです。したがって、日本の高等教育は私学が強くならなければ何ともはじまらないシステムであります。しかし、私学はindependentであるところが"私学"である所以でありますから、文部省が立ち入ってさしでがましいことを言う筋合いではありません。また、これは後ほど申し上げますが、国立は国立でまた別の、非常に大きな問題を抱えています。
 しかし、いずれにせよ、先ほどの社会人学生の問題であるとかパートタイマー(学生)の問題であるとか、あるいは留学生の問題にしても、日本の高等教育システムがこれからどういう評価を世界的に勝ち得ていくのか、ということに関して、国・公・私を通じた非常に大きな流れを作っていかないことには、これは国立といわず私立といわず、発展していかない、ということであります。
 したがって、我々としては、個々の国立大学をどうするとか、私学をどうするということも、それはもちろん重要ですが、それはそれで今後とも取り組まなければいけないことではありますけれども、しかしここはひとつ、大きな構造的な流れのようなものを作っていく、というか変えていくということを、みんなでやっていかなきゃいけない。そのために、文科省として、直接政策的に物事を決めていけるのはやはり国立大学のことですから、したがって国立大学を中心とする構造改革を進めることで、国・公・私立を通じた日本の高等教育システム全体を強くしていきたい、というのが願いであるわけであります。そういうことですから、国立大学の動きに是非ご注目いただきまして、それを横目で見ながら、ある場合には他山の石として、あるいはある場合には他山の石としないで、それぞれのこれからの将来を、未来を考えていただければ非常にありがたい、というふうに思っているわけであります。

国立大学の構造改革

 さて、そこで大学(国立大学)の構造改革(資料4)でございますが、3項目述べているわけです。再編・統合、それからその法人化、そして競争原理ということであります。これについては、小泉総理のイニシアティブが非常に大きいということは、これはもう率直にいって事実であります。こういう状況でなければ、依然として文科省としてはグズグズしていたかもしれません。それと同時に、しかしこの3項目は、いずれも大学審議会、あるいは大学審議会そのものでなくても、関係者の間ではかねてからいろいろと議論されてきた、あるいはその具体的な努力が行われてきた、その積み重ねの延長線上にあるものであるという、一つの到達点であるというふうに考えております。
 国立大学は、戦後、一県一大学ということで,旧制大学とか高等専門学校とか師範学校とかいろんなものがありましたが、それらを統合して各都道府県に一つ、もちろん幾つか例外ございましたが、それを原則にスタートしました。その後、いくつか新しい大学ができて参ります。主に単科大学であります。特に昭和48年以降は新構想大学ということで、新設の医科大学でありますとか、あるいは新構想の教員養成大学とかいろんなものがございました。それぞれ設置の経緯は様々でございます。例えば新設の医科大学などは、既設の大学の医学部としてつくればよかったと思われるかもしれませんが、その当時の、昭和48年から昭和50年代の初めの時代背景を考えてみていただきますと、大学紛争を経て、大学のマネージメントのスタイル、その他いろいろな面で、新しい仕組みを導入していかなければならなかった。副学長でありますとか、参与でありますとか、そういったようないろんな仕組みを導入していく。しかし、その当時、やはり既設の国立大学のなかでは、なかなかそういうことができなかったのであります。そこで新しい別の大学として作って、そしてそういう新しい要素を織り込んでいこう、ということがありました。また、教育理念ということもあります。例えば新教育大学は新教育大学なりの、教育面での非常に大きな期待を担って、一部の強い反対を押し切ってつくってきたわけであります。
 九州芸術工科大学というものあります。これは、芸術工学という分野を、独立した一つの新しい分野として確立していかなければいけない。大きな大学の一つの学部としてつくったのでは、工学なのか芸術なのか、訳の分からない分野になってしまうのではないか、そういう問題があって、それなりの理由があって単科大学としてつくられたわけであります。いろんなケースがありますが、いずれにせよ、そのようにして4年制大学が99校、短期大学が2校、合計101校ということになっているわけですが、今日もし無医大県解消という政策課題があったとすると、おそらくは単科の医科大学といった格好ではつくらなかっただろう、というようなことも一方ではあるわけであります。また、修士レベルの、現職の教員の再教育といったようなことが、ほとんど全ての教員養成学部で行われるといったような状況になってきたわけですから、今だったらばわざわざ国立の単科の教育大学といったようなものを新しくつくるといったようなことは、今の時点ではもちろん考えにくいことであります。
 そういったようなことで、再編・統合ということが課題にはなっていたわけでありますが、しかし改めて再編・統合ということをいったい何のためにやるのかということになりますと、それは基本的には各大学の将来戦略に関わることですから、一般論として決め付ける必要もまたないのですけれど、総括的にいえば、教育・研究基盤の強化を限られた財源のなかで実現するための、避けて通れない方策だと考えているわけであります。
 国立大学についてはいろいろな批判があります。社会的な要請への対応が遅い、新しい分野へもっと人材養成も学術研究も打って出なければいけないのに、なかなか動かない。動けないのはなぜかというと、要らない部分を切れないから、といったようなことが繰り返し言われてきました。そうは言いながら、国立大学はじゃあ切っていいのか、という話になると、すぐには結果が出ない基礎的な研究の部分であるとか、あるいは量的には少なくても、やっぱり日本社会全体として、必ず確保しておかなければならない人材養成の分野とか色々あるわけですから、切るって言ったってそう簡単に切るわけにはいかない、ということが片一方ではあります。学力低下とかと言われて、この頃の大学生は役に立たないと言われていますけれど、じゃあ専門教育だけをやればいいか、っていうと、いやいや教養教育も大事であると、この頃の学生は教養がないのがいけないのであるとかって言われるわけですから、教養教育もやらなきゃいけないし、専門教育もやらなきゃいけないし、入ってくる高校生はと言えば、多様化と言えば聞こえがいいけれども、ご存知の状況になっているわけであります。
 そういう中であれもこれもやらなきゃいけない。それは国立大学としてやらなきゃいけないことはたくさんある。一方でなかなか切るものは切れない、ということになってくれば、そこはいくつかの大学で集まって役割分担しようじゃないか、という話が当然考えられるわけであります。そこでじゃあどうするかという話になると、これはまた残念なことに、「文部省はどうするつもりなのか、早く言え」という話になって参りまして、「じゃあ文部省で決めてさしあげましょうか」と言いますと、「いやいやそれはダメだ、大学に考えさせろ」というのがよくある話でありますが、しかし我々としては、従来と今とでは政府の役割が基本的に違うと思っております。国として絵を描いて一律にそれに当てはめる、ということは基本的に我々としてはするつもりはない、これはあくまで、各大学の将来戦略でありますから、各大学が各大学の将来展望のもとに、合従連衡をやっていただくのが基本だと思っております。もちろん国立大学ですから、最終的にはこれは法律で決めなきゃいけないことですから、役所として、出来ることと出来ないことの仕分け、あるいは決断ということはしなければいけないという風に思っておりますが、少なくとも計画経済的な発想では臨まないつもりでおります。
 先程来喜多村先生から、諸外国の統合再編の事例の紹介がございました。その種の話ですぐ思いつくのは、やっぱりハーバードカレッジとラドクリフカレッジの結婚話でありまして、どちらも非常に伝統のある、優れた、レベルの高い大学でありますが、そういったような、統合することで,今のままそれぞれいたんではもうとても手の届かないような、そういう夢が叶う、そういう再編話をぜひそれぞれのところでお考え頂きたい、と願っているわけです。それがどういう風になりますかは、もうしばらく様子を見ないと何とも申し上げられませんが、14年度以降しばらくの間、いろんな形の動きが出てくるであろうと思います。後ほど述べますけれども、公・私立大学も、何らかの形でそういったようなものと関わりを持っていくということもあり得ることではなかろうか、と思っております。

国立大学の法人化

 二番目の法人化につきましては、先ほども法人格のない大学というのは信じられないというお話がありましたが、法人格を国立大学もとにかく持つべきだ、という議論はかねてからあったということは、色んなところから指摘はされております。これも何のための法人化か、ということがいろいろ言われておりまして、要するにリストラだろうと。それは決して否定のできないことでありまして、行政改革という側面があることは事実であります。事実だけれども、しかし国立大学の法人化については閣議決定のなかでも「大学改革の一環として」考える、ということが盛り込まれているわけでありまして、法人化そのものが目的ではない。法人化はあくまで手段であって、法人化によって大学が良くなる、そのための法人化だ、ということであります。
 これは資料の5をご覧いただきますと、いくつかの視点が書いてあります。一つは、世界水準の教育研究の展開を目指した個性豊かな大学へ、ということ、それから国民や社会に対するアカウンタビリティの重視、競争原理の導入、経営責任の明確化による機動的、戦略的な大学運営の実現、というようなことが言われているわけであります。ただいろいろ良いことがいっぱい書いてあって、何のことか分からん、という風に思われるかもしれません。私なりに約めて申しますと、一つは自律性を高めるということだと思っております。もう一つは経営能力を高める、ということだというふうに思っております。再編・統合して、その教育・研究基盤を強くする、その体制や基盤を強くするだけでは、大学は良くならないのでありまして、その体制や基盤を強くした、その基盤でもって大学が自由に動けなければいけない。自由に動けるということだけではなくて、戦略的に動けなければいけない、ということであります。そのためには自由度を高める、ということも必要でありますが、それと同時に経営手法も改善していく必要があるということであります。それを民間的な経営手法の導入、というふうに言っておりますが、民間的な経営手法の導入と言いますのは、一般的に申しますと、経営責任の明確化、学外者の経営参加、能力主義の人事システム、この3つが柱になっているわけであります。そういったような経営手法の導入、経営システムの改善をやっていこう、ということであります。
 制度設計のポイントにつきましては、2.のところに整理をしておきました。時間の関係もございますから、詳細を紹介することは省略させていただきまして、後ほどまたご覧いただければ、というふうに思いますが、幾つかご紹介致しますと、大学の数が幾つになるかは別にいたしまして、基本的には大学ごとに法人格を持つ、ということであります。それぞれの大学が法人格を持つ中で、学長が最終的には全ての権限を握る、という形であります。私学的に言えば、国立大学が学長と理事長を兼ねるような格好になる、ということになります。その上で、特に教育・研究面の意思決定の仕組みと、経営面の意思決定の仕組み、といったようなものを整理いたしまして、そして、特に経営面への学外の有識者の登用を制度化するということが検討されているということであります。学長の選考の方法を改善する、あるいは教員の人事については、能力・業績に応じたインセンティブのある仕掛けを、それぞれの大学で考えていただきたい。事務局職員の人事も、それぞれの大学でやっていただく。身分については公務員型と非公務員型とがあるということはご存知の通りかと思います。あれかこれか、ということではなくて、大学の教職員の身分制度として最もふさわしい形のものを具体的に制度化しよう、ということで検討されております。基本的には、給料は全て一人ひとりそれぞれの大学で、組合交渉などしながら決めていただく、ということであります。
 目標・計画と評価については、基本的な独立行政法人の枠組みとしては、国が目標を決める、計画については認可をする、そして、それを実現するプロセスについては最大限の自由度を認めよう、その代わり最後には評価をしますよ、最初の目標なり計画に対してきちんと予定のことがされたかどうか、ということを評価して、評価の結果でもって次のサイクルの予算配分に反映させます、というシステムであります。ただ、それをそのまま大学に適用いたしますと、教育・研究のあれが良い、これが良くないというのをいちいち文部科学大臣が直接指示したり評価したりするのか、という話になりますので、そこのところは若干の工夫が必要であろうと。従って、大学の主体性が尊重されるような仕組みを工夫する必要がある、ということであります。
 財務面では、基本的には必要な予算は国が措置する、ということであります。当然、従来以上に自己収入をあげる、ということは求められるようになりますし、競争的に経営していかなくてはいけない、ということにはなりますけれども、しかし国として目標を設定する以上は、必要な予算は国として確保する、ということになります。ただし、それには第三者評価の結果が反映されますよ、ということであります。それからいろいろなアウトソーシングができるようにしよう、ということも検討されております。情報公開もきちんとやってください、ということであります。
 ざっと見ていただきましてお分かり頂けますように、これは民間企業のような形の民営化ということとは趣が違います。学長は、文部科学大臣が任命をします。一方的に任命をするのではなくて、もちろん大学の申し出を待って任命するという形になると思いますが、学長は文部科学大臣が任命する。目標は文部科学大臣が設定する。計画は認可をする。それで評価をして、その評価の結果で予算を決める、必要な予算を国が配分する。そういう仕掛けでありますから、これは基本的に私立大学とは違うということになります。それに伴って当然、授業料でございますとか、あるいは入学定員でございますとか、そういったようなところは、一定の制約がある、ということになってまいります。具体的に授業料をどうするか、入学定員をどうするかというようなことについても、今検討して頂いておりますが、もう今月中には中間報告という形で整理して、皆さんにご覧いただけるようになると思います。結論が一個に絞れている部分もありますが、なかなか一個に絞りきれない部分もございます。そういったことも含めて、ご覧いただけるようになるだろうと思っております。その上で、各方面のご意見も聞きながら、今年度中には制度設計の議論を終えて、それから法制化をしていく、という運びが予定されています。
 法人化というのはそういう仕組みでありまして、自律性を高め、経営能力を高めるということでありますが、教育・研究基盤があって、自律性があって、経営能力があれば、これで解決するかというとそうもいかないわけでありまして、そこにはやっぱり競争的な環境というものが要るだろう、今まで国立大学の場合は、やらなきゃいけないっていうことが分かってはいても、やるためにはどっか思い切らなきゃいけないということになると、何も決めない、というのが一番みんなハッピーなわけで、誰も損しないわけですから、従来はいきおい、そういうことが無くも無かったということでありましょう。これからはそういう訳にはいきません。そういう環境条件を設定してあげなければいけない、というのが最後3番目の競争原理の導入ということであります。これは、国・公・私を通じた話ということになっていくわけです。

「トップ30」と競争的環境作り

 「トップ30」ということが喧伝されておりまして、また後ほどなぜ"30"か、という話も申し上げたいと思いますが、これはもちろんあくまで一つの手法でありまして、これでもって全てを解決しようというつもりでいるわけでは全くありません。いずれにせよ、こういったようなことも含めて競争的な環境作りをやっていく必要がある、という考え方を提示したのが、3番目の柱であります。
 そういったようなことで、国立大学について考えているわけでありますけれど、最初に申し上げましたように、そうはいっても、それは一つの日本の高等教育全体を良くしていくためのてこに過ぎません。やっぱり私学がこれからどうなっていくのか、ということがなければ、高等教育行政としては成立しないわけであります。そこで今日は、喜多村先生もせっかくおられますので、アメリカの私学とよく比較される中で、ちょっと気になっている部分を幾つか申し上げたいと思います。
 一つはその財政基盤ということであります。資料の6をご覧頂きたいと思いますが、これは最近、一番下に書いてございますが国立学校財務センターというところが、「欧米主要国の大学ファンディング・システム」という調査を行いまして、その結果を報告しております。その中から引用してきたものでありますけれど、これは米国私立大学の財源別の収入の構造であります。政府補助金は1割弱、ということでありますが、一見して授業料等学生納付金の割合が非常に低くて、民間寄付・補助金とそれ以上に投資利益が極めて大きいということにお気付きになるかと思います。これもかねて繰り返し指摘されてきたことではありますけれども、これは後ほど喜多村先生から色々教えていただきたいと思いますが、アメリカの私学の場合には、例えば宗教団体のような強力なスポンサーがついているといったようなこともたくさんございます。同窓会組織も非常に強力であります。財源をそうやって得ているところがあるわけです。
 羨ましい話で、これは文化の違いだからどうしようもない、というふうに皆さん、思っておられるかもしれませんが、しかし、必ずしもそうではないのではないか、というふうに思っております。と申しますのは、アメリカの私学というのは、我々が信じられないくらいの歴史を持っています。例えばハーバードは1636年にできていて三百数十年という歴史を持っているということになっていますが、ずーっともう、本当に小さな、学生が十数人からせいぜい数十人、先生の数も非常に小さな学校でずーっと来ていまして、ハーバードが豊かになったのは1800年代に入ってからだと言われています。正確なところはまた喜多村先生などから教えていただきたいと思いますが、ボストンの商工業が非常に発展をして、そして彼らがハーバードにお金を入れ始めた。それが1800年代の前半ぐらいだと思います。その時期に、ハーバードが非常に豊かになる。それが従って大学ができてから百数十年経った後のことなのですね。それでハーバードが研究大学になったのは1800年代のもう本当に終わりの頃、1870年代、80年代とかそんな時代ですから、大学ができてから二百何十年か経ってから、研究大学のスタイルへ脱皮を始めて、そして二度の大戦を経て、黄金の60年代を経て、そうやって今のあの巨大なエンダウメントを造り上げてきたわけであります。
 したがって文化の違いというのもあるかもしれないけれども、歴史の違いってこともあるし、その蓄積の違いということもあるのだと思うのです。確かに一朝一夕に追いつけないことではあるけれども、しかし、日本の学校法人会計基準も、そういうことができるような仕掛けにはなっているわけですから、これはかなり長期的な戦略としてストックを作っていくということは、やっていかなければならないということだろうと思います。そういうことをしていく上で、税制改正なり、いろいろな課題があり、その改善のための努力は、我々としてももちろんやっていかなきゃいけないと思っております。

機関補助か個人補助か

 そういうことから言うと、私学助成も含めて機関補助から個人補助へということが、声高に言われるわけですけれど、私の基本的な感じとしては、日米の私学を比較してみて、アメリカ側には機関補助がないじゃないか、といったようなことが言われますけれど、日本の大学は政府補助というか機関補助が大きいということではなくて、個人補助が少ないということなのだ、というふうに思います。だから機関補助を削減して、そして個人補助に回すということではなくて、今の家計に対する依存度が極めて高いという仕組みを、これを個人補助の形でなんとかする、あるいは個人研究費補助を重視していくといったようなことをやっていかなければいけないのであって、そういうエンダウメントなどの蓄積が歴史的にまだ未成熟な、そういう状態のままで、それに代わる部分として、大学の基盤的な部分を支える機関補助を触るということは、一つ間違えると自殺行為であるということを、私自身は個人的には思っております。したがって、機関補助から個人補助へ、ということは、大学全体の財政構造といったようなものをよくよく見極めながらやっていく必要がある、ということだろうと思います。
 もう一つはよく言われる評価の話であります。アメリカの評価システムはご存知のように、先ほども喜多村先生からお話がありました通りであります。U.S. News&World Reportみたいな評価というのは、これはもう誰がやっても構わないしどんどんやっていただいて、たぶん日本でもどんどん出てくると思います。もちろんそれはそれで一定の競争促進効果もあれば、水準維持の効果もあると思います。あると思いますけれど、基本的にはそういったマーケットによる評価というものは、当然のことながらマーケットの状況に依存するわけです。今日はその方面の専門家も多いと思いますから、これはまた後ほどご説明いただければいいと思うのですが、今までははっきり言って、サービスの質に関わらず、とにかく作れば売れた。こういう、店を開いておけば必ずお客さんが列をなしてやって来て、それを選抜しなきゃいけない、といったような状況の下では、そういう市場メカニズムで適正な均衡が保たれるということにはならないわけであります。質の良し悪しにかかわらず高い値段で売れるということは、それは今まで圧倒的に需要に対して供給量が少なすぎたのか、どうも、その供給量が少なすぎたのじゃなくて、需要が大きすぎたのかもしれない、という感じもいたします。
 「学生消費者の時代」などということもよく言われますが、学生消費者が経済的に合理的な進路選択をしているか、というのもこれも極めて疑問な部分があります。市場が十分に機能していないとすると、その原因は何だろうか、ということは分析をしてみる必要があるだろうと思います。色々問題はあると思いますが、そうは言っても、現実として,市場メカニズム、市場による評価というのはたぶん、少なくともこれからは、相当程度機能をしていくだろう、というふうに思っておりますが、問題はむしろ設置認可と、それからアクレディテーションの関係であります。設置認可も、これも非常に評判が悪くて、これはもうさっさとやめろと、文部省はその権限にしがみついていて、こと細かなことをくどくど言うとか、あるいはトラックいっぱいの書類を持ってこなきゃならんとか、いろいろなことが言われますけれど、考えてみると随分弾力化されていますし、今度の中教審ではまた、さらにもう一段の弾力化をしようという話になっております。
 設置認可というものが今までどういう機能を果たしてきたのだろうか、ということもやっぱりちょっと考えてみる必要があって、結局大学であるものとないものとをどうやって区別するのか、というところに行き着くのじゃなかろうか。アメリカでも昔はdegree millなどと言われて、金を出せば学位が買えるといったような状況があったものが、やっぱりそれでは困る、そういうことはなしにしよう、ということで、アメリカの場合はある程度州政府による認可の仕掛けがきちんと整備されてきた、という流れにあるのじゃないかと思いますが、しかし、それにしてもアメリカの場合には、設置認可は日本に比べれば極めて緩い、というふうに言われています。その代わりアクレディテーションがあるということなのですが、これから日本でもこれ以上設置認可を緩めていったときに、片一方でアクレディテーションのような仕掛けがなくて良いのか。いったい大学と大学でないものをどうやって区別するかという問題が出てくるだろうと思うのです。もし、機関補助の体制を維持するのだとすると、機関補助の対象になるものとならないものを何かの形で仕分けしなきゃいけない。そのために、もし設置認可に代わるものを考えるのだとすると、それは国・公・私を通じてきちんと評価をするという何らかの仕組み、そしてそれは一元的な仕組み、というものがどうしても必要になってくるのではなかろうか、というふうに思いますが、これはそういうことが良いことかどうか、あるいは現実的かどうか、ということも含めて、きちんと見極める必要があるだろうということであります。

大学とは何か

 そういったようなことも含めて、たぶん市場原理とかあるいは競争的環境とか、そういったようなことがどんどん進んでくるのだろうと思いますけれども、ここで考えておかなければいけないことは、「大学とは何であるか?」というのが結局そこで問われるようになるだろう、ということであります。これもやはりアメリカなどで非常に市場原理みたいなものが進んでいるように言われていますけれども、先ほどもちょっと申し上げましたようにハーバードは特別ですけれども、イェールだって1701年にできている訳ですから、もう300年の歴史があるわけですね。その中で基本的にアメリカの大学というのは、イギリス流のジェントルマンの養成学校として、全寮制の寄宿舎で、ラテン語だとか古典だとかそういうもののレシテーション、覚えてきて復唱する、みたいなことをずっとやってきていた。今でも、私もアメリカに留学したときにレシテーションという授業科目の種類があって、これはいったい何なのだろう、と思ったことがありますけれど、今でもそういう伝統がずっと続いている。ハーバードやイェールがサイエンス・スクールのようなものをつくった時も、そういう伝統的プログラムの外側につくった。だから、いわゆる別の学位ができたわけですね。いわゆるBachelor of Artsみたいなものとは別立ての学位として、その外側に作って、そのコアの部分をきちんと守ってきたということがある。そういう歴史の中で市場原理が導入されて、民間的な部分を大学の中に採り入れてきている。それは今のIT化の流れの中でも同じ動きが起こっていて、インターネットで大学教育を提供しているところが、彼らが一番主張するのは、「自分達はインターネットで授業を配信しているけれども、これは、伝統的な教育に見合うものだ。Comparableなものだ」ということを彼らは一生懸命主張して、自分達の正当性を説明する。そういったようなお国柄なのだと思うのですね。ヨーロッパではもっと、もうかれこれ1000年の歴史があるわけですから、それはそれで、非常に確立した高等教育観があって、その上で色々な、プライバタイゼーションといったようなものが言われているということであります。
 これからの課題ということですけれど、経営能力を高めるということが何よりも課題だと思います。それから先ほどもお話ししたように、国が色々業界を保護するなどということはもう、とてもできないわけでありますから、そこは是非、ひとつそれぞれの経営能力を高めていただくということであります。財源を多様化するということもあるだろうし、アウトソーシングを進める、ということもあると思います。営利企業をどうやって活用するか、ということも是非、考えていただきたいと思いますし、戦略的な他大学との(これは国・公・私を含めて)大学との提携・連携といったようなことを、必要ならやれる、というだけの経営能力を、これはもう国・公・私立問わず持っていかなきゃいけないと思いますが、その上で、いろいろ詰めていくとやはりさっき申し上げました「大学とは何か?」という部分が、どうしても私は個人的には気になるということであります。
 確かに、もう「大学とは何か」と一言では言えないくらい、大学というものが多様化しているのも、事実だろうと思います。これから、さらに多様化してくるだろうと思います。従来はとにかく、学生さんは教育サービスを買いに来ているというよりも、その大学生という地位、ステータス、それと大学卒業というブランドみたいなものを買いに来ていたので、教育サービスそのものを買いに来ていたのではないと思いますけれども、これからはそれが変わってくるだろうということであります。今さらもう学位は要らない、それよりも実力をつけたい、それは即実生活に役立つ教育だという話になってきて、そういったような部分を取り込めるかどうかというのが、ひとつの核になってくるだろうと思いますが、そうなってくるといったい、専門学校と大学とはどこが違うのだろう、という話に必ずなってくると思います。
 現に今、雇用対策ということで、厚生労働省が給付金とか委託金とか出して、そのほとんどが専門学校に流れています。それで、これは少し規制が強すぎた、従ってもう少し幅広にしよう、その規制を緩めて大学の普通のプログラムを受けてもその給付金・委託金がもらえるという格好にしよう、というふうにしています。それはそういう要望も受けてのことだろうと思いますけれども、しかしいったい社会人が自分のキャリアアップのために「学部」に来るだろうか、と考えると、「来る人もいるかもしれないけれど、そんなにたくさん学部教育を受けに来るって、ちょっと考えにくい」と皆さん思われるのではないかと思います。それは学部教育の中身がそういうふうにできてないし、皆、学部がそういうところだと思っていないから、今のままでは多分多くは来ない。大学院なんかには少し来るかもしれないけれど、しかしそれにしても量的にはごく僅かです。そうすると大学教育の中身を変えていかないといけない。どういうふうに変えていくかというと、専門学校的に変えていく、という話になりかねない。結局、そういう学生本位に突き詰めていった時に、もし大学がどんどん専門学校化してしまうということだとすると、これはこれで非常に由々しい事態になってきます。

注目される遠隔教育

 これから非常に注目する必要があるのは通信教育でありまして、おそらくもし学生が、学生としてのキャンパスライフだとか地位だとかそういうものではなく、中身を買いたい、教育サービスを買いに来るとすると、通信教育というのは非常に有利な、魅力のあるチョイスだと思います。その通信教育がどういう教育を提供してくれるかが、日本の大学にとって非常に大きなカギを握っていると思うわけです。そういったようなところで、しかも設置認可はもう極めて緩い、という状況の中で、日本の高等教育をどうやってより良いものにしていけるのか、というのは非常に大きな、少なくとも「これだ」という正解のない問いだと思いますけれど、一応資料7に大学改革の全体像を付けております。こちらが大学審議会を中心に伝統的に議論され、各方面に対して文部省が説明してきたものでありますけれど、これにしても結局は、大学人の哲学なり、理念なり、見識のようなものに最終的には依存をするというか、そういうものしか本当の意味で支えるものがないのだろうというふうに思っております。そういったような意味で、是非それぞれの立場で色々お考え頂ければ、というふうに願っている次第であります。
 時間を若干超過しましたが、もしよろしければ喜多村先生からご指摘のあった点で、いくつかに絞ってコメントをさせていただきますと、「政府直接主導型政策に転換したのではないか?」ということなのですが、ある意味ではその通りだと思います。構造改革というのは、既得権の見直しだと思っています。構造改革というのは、今まで既得権の構造というのがあって、その既得権の構造をそのままにしていたのでは、これ以上改革が進まない、そこを見直す、ということだと思います。そこで既得権の構造を見直すときに、既得権を持っている人たちに決めてください、と言うのは、ほとんど無いものねだりという面があります。もちろん大学ですから、大学がまず、基本的にはその在り方をお考えいただきたいということであります。計画経済的な発想で政府が一方的に決める、ということは考えていません。しかし、その既得権の見直しをする時には、ある程度やはり、外からの一定の力というものが加わる必要があるのではなかろうか、と思います。これはまたご批判を仰ぎたいと思っております。

なぜ「トップ30」なのか

 なぜ「トップ30」か、ということなのですけど、これは喜多村先生の非常に面白いお話もありました。我々としては,この"30"にあまり厳密な意味合いを持たせているわけではありませんが、内輪話をしますと、これについてはほとんど異論がありませんでした。"30"だ、という提案があって、納得の仕方はたぶん人さまざまだと思いますが、結論においてほとんど皆、ほぼ同じことを考えていたと思います。これは私なりの解釈ですから、別に文部省の公式見解でも何でもありませんということを前提でお聞きいただきたいのですが、"30"というのは色々な意味で良い数字だと思います。「トップ30」というのは、さっき科研費の話がありましたが、科研費の各大学別の獲得額を上から順番にグラフにしていただきますと、一番上にあるのが○○大学ですが(だいたいご存知の通りでしょうけど)、急傾斜で下がってきて、あるところで非常になだらかなカーブになります。ずーっと下がってきて、あるところからはずーっとなだらかになる、その曲がり角辺りがだいたい30くらい。逆にいうと、30くらいのところまでは、かなりの大学が頑張れば到達できる。それはある意味で喜多村先生もご指摘の通りであります。すべての大学が「トップ30」を目指すべきだとは思っていない、これも先ほど喜多村先生から少しご示唆があったようですけれど、では「トップ30」を目指す、という大学がどれくらいあればいいのか、ということですけれども、これも色んなご意見あると思いますが、だいたい「トップ30」に入れる射程距離にある大学は、仮にその倍だというように見積もってもらえれば、60大学くらいだというふうに考えると、大雑把にアメリカと比べると、人口も倍ですがGNPも倍だし、大学の数は3倍ほどありますけど概ね倍だとして、アメリカの研究大学と言われるものが100~120校くらいですから、そうするとアメリカで100校なり120校なりといったようなカテゴリーの大学が、日本に5、60校ある、というのは、だいたいそんなところかな、という、これも根拠といえるほどのものではありませんけれど、そういうようなこともあるのではないかと思います。
 いずれにしても、中国や韓国の発想と非常に似ている、と思われるかもしれませんが、これは違うと考えています。これもさっきのカリフォルニア・システムの話と少し絡むのですが、この「トップ30」の発想の背後に、種別化の発想が隠れているということは、これはたぶん確かだろうと思います。種別化に踏み切ろうというねらいがあってこういうことを言っているわけではもちろんありませんし、「トップ30"大学"」を選ぼうと思っているわけではありません。これは公募の上で分野別に選んでいこうということであります。結果的に優れた分野をたくさん持っている大学がいくつか出てきてしまう、ということがあるかもしれませんが、国が30大学を選んで固定して、そこをきめ打ちして重点投資   する、という発想ではないというのは、新聞等で報道されている通りです。しかしその種別化の発想というのがまったくないかというと、そういうことではないのだと思います。その際に、種別化というとこれはカリフォルニア・システムをまず思い浮かべるのですが、しかしそのカリフォルニア・システムというのはどうも、聞くところによるとアメリカのカリフォルニア州以外の州でも、是非あれをやりたい、と思っている州はたくさんあったけれども、しかし、いったん何らかの大学システムができてしまった後に、ああいう種別化を導入するということについては、非常に難しい。従って、アメリカのカリフォルニア州以外の州では、なかなかあんなにきれいな階層的な構造化はできていない、と聞いております。
 いずれ何らかの形でそういう時代が来るのかもしれませんが、しかし少なくとも言えることは、カリフォルニア方式をもし実現するのだとすると、最低限その前にやっておかなければいけないことがあって、それは学生や教員が異なる階層の大学間を流動する、動くという仕掛けをつくらないといけない。そのためには準備体操が要る、ということだと思っております。日本の場合には、ご存知のように旧帝大だとか、旧制大学だとか旧制の専門学校だとか、色々な旧制のステータスを引きずった、見えないけれども結構固い階層構造があって、なかなかそれを抜けきれないで来ていたのですが、まずいったんその階層構造を崩して、教員や学生の流動化が十分に進む、といったようなことがもし起これば、その上でファンディングのシステムを工夫すれば、何らかの形のカリフォルニア・システムみたいなものが実現するのかもしれない、というふうに思っております。

「トップ30」以外の大学をどうするか

 最後に、「トップ30」以外の大学をどうするか、という話ですが、重要な問題ですけれど、先ほども言いましたように全部の大学が「トップ30」タイプの大学になる必要があるというようには、まったく思っていないので、その「トップ30」以外の大学がどうでもいい大学だなどと思っているわけでは決してありません。これは建前でなく、そういうふうに思っています。ただ、その「トップ30」の育て方、というのはあくまで徹底した競争ということだろうと、それでそこは何らかの評価システムがあって、そこで競争という仕掛けがどうしても必要だろうと思っています。別のタイプの大学というのは、ではそういう競争をして評価をして、傾斜配分をするといった手法で良くなるか、というと、これはもう少し考えなければならない、ということです。たぶん、手法が違うのだと。「トップ30」の育て方というのは、今言ったように競争的な環境の中に重点投資をする、ということだと思いますが、いわゆる大学システム全体の中核部分を支えるような大学の育成方策というのは、これは少し方法が違うのだ、ということであります。一方裾野を支える大学というのもこれもまた必要なわけで、この部分のその水準の確保の方法、これもまた違った手法があるのだろうと、思っております。それは基本的には、評価システムをどうデザインするか、ということに関わってくると思いますが、いずれにせよ「トップ30」という方策は必ず教育面でのインセンティブをどうつけるか、ということと、それから「トップ30」のタイプの大学以外のタイプの大学のインセンティブをどうつけるか、という方策と、セットで考えていく必要があるというふうに、思っております。

 それがとりあえず、今のところの考え方であります。では少し時間をオーバーしてしまい申し訳ありませんでしたが、いずれにいたしましても、是非今後とも色々とご指摘を頂戴しながら、一緒に考えていきたいと思っておりますので、ひとつご協力お願い申し上げます。

III . まとめ 浦田 広朗
    大学再編と統合の時代―第7回公開研究会の議論から


教育学術新聞「アルカディア学報48」平成13年9月12日号に掲載。

*** 「公開研究会講演録及び関連資料」部分は割愛しました。 ***