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研究成果等の刊行

No.7(2001.10)

「日本の科学政策と研究費」 ―私立大学における研究費の確保をどうするか

問題提起者:竹内 淳、佐藤 禎一

はじめに

私学高等教育研究所 主幹 喜多村 和之

 日本の21世紀は、学術・科学技術の振興にかかっており、これを根底から支える研究費をいかに確保するかは、官民共に最重要な課題となっています。とりわけ学生納付金に大きく依存している私立大学にとって、研究費をいかに捻出するかは、極めて切実で難しい問題です。
 去る7月17日に開催された私学高等教育研究所主催の第6回公開研究会では、こうした問題をめぐって、竹内 淳講師から科研費の配分先の集計や分析に基づいた日本の科学政策への提言を、佐藤禎一講師には科学政策と研究費の関係を全体的視野から論じていただきました。そして、講師の報告後の共同討論では、それぞれの問題について活発な質疑や意見交換が行われましたが、研究会の模様を米澤彰純研究員にまとめていただきました。また、研究費をめぐってこれまで発表された当研究所からの関連論文もご参考までに一括して集録しました。
 この報告書は、このように研究費の問題をめぐって第6回公開研究会で行われた発表、討論、問題点、コメントおよび関連論文等を記録としてまとめたものですが、私学関係者のみならず高等教育に関心を持たれる方々が、この日本の将来にとって最重要な問題のひとつをお考えいただく上で参考にしていただければ幸いに存じます。

I . 問題提起(1) 竹内 淳
   研究費配分審査の課題―官民格差に審査員の多様性欠如(問題提起要旨)


 2月21日付のアルカディア学報において「大学研究費の官民格差」について述べさせていただいた(「科学」(岩波書店)の6月号に詳論を掲載)。拙論では、私立大出身者の学界での貢献度が、他の分野(産業界、マスコミ等)に比べて小さいという事実を明らかにし、その原因が国の科学研究費の配分が私立大軽視であるためという結論を述べた。4年制大学の在学者数の3分の1弱を占めるにすぎない国立大に、私立大の約5倍の公的研究費が配分されている。また、過去16年間の世界の主要な論文誌に掲載された大学別の論文数を、科学研究費補助金(科研費)の額で割ると、私立大は旧帝大に比べて科研費あたり2.4倍の論文数(地方国立大の1.4倍)を発表していて、論文数の割には科研費の額が小さいという数値結果が得られた。これらの観点から、科研費の配分審査の公平性には疑義があるように思える。米国の主要な研究大学は私立大によって占められているが、その研究費の約7割は公的資金である。国民に還元されるべき科学研究の主体が国立大でなければならない合理的な理由はない。本小論では、米国の公的研究費の主たる支給団体であるNational Science Foundation (NSF)やNational Institutes of Health (NIH)の審査体制との比較において、科研費の審査制度が持つ問題を取り上げるとともに、現在実質上何も行われていない事後評価についても議論したい。特に審査においては、官民格差を生み出す主因として審査員の構成が多様性を欠いたモノカルチャー的構造であることを問題点として提起したい。
 まず審査員の選別方法から見てみたい。NSFとNIHの審査では明確な審査員の選別基準がある。たとえば、NSFでは申請者と同じ研究機関(大学)に所属する研究者は審査員になれない。また、過去4年間に申請者と連名で論文発表を行った者、また、申請者が博士号を取得する際の助言者であった者も審査員になれない。研究費の審査は客観的な立場にある第三者が行うのが原則なので、これらの規定は公平性の観点から当然のものである。NSFでは審査員の情報がデータベース化されており、選考過程で不適格者を除外できるようになっている。また、審査員の構成が多様でバランスのとれたものになるよう勧告されている点も大きな特徴である。新人や、マイノリティ、女性、身体の不自由な方、小さな大学の研究者や産業界出身の審査員の参加が求められている。NIHの規定も、性別や民族性、それに審査員の地理的な分布の多様性が配慮されるよう要求している。公表されているNIHの審査員の肩書きを見ると、教授のほかに準教授や助教授も含まれており、年齢構成の幅が明らかに日本よりも広い。公的研究費は国民の税金を使うので、社会の広い研究者層の意見を吸い上げ、還元する体制になっている方が、国内の科学レベルの総合的な向上を図るためには望ましい。
 これに対して、日本の現在の科研費の審査体制は、審査員の構成が多様性を欠いており、公平性や客観性を期するに十分とは言えない。公平性という観点からは、例えば申請者の共同研究者を審査員から省くなどのNSFにあった規定はなく、審査員に関するその種の情報を一元管理するデータベースも存在しない。また、現在の科研費の第一段審査の各項目の審査員数は3~6名と少数である。NIHの各項目の審査員数が20名ほどであるのに比べると著しく少ない。この審査員の数が少ないことが、十分な公平性と客観性を図れない一つの大きな要因をなしており、多様性を欠く原因の一つにもなっている。現在、審査員は各学会の推薦を受けて選ばれているが、この学会ごとの選抜では、公平性や多様性に関して全学会を横断する統一的な選抜規定はない。このため通常は学会でアクティビティの高い研究者が審査員に選ばれるため、研究費が豊富で研究業績を上げやすい国立大の教官が8割を占める(約5割が旧帝大の教授)結果になっている。審査員の平均年齢を公表されている肩書きから推測すると、ほぼ全員が教授であることから50歳前後かそれ以上である可能性が高い。したがって、審査員の構成は出身大学の分布や年齢においてモノカルチャー的である。
 審査員の構成がモノカルチャーであることは、科学の方向性の見極めの際に必要な多様性や、新しい科学の動きへの対応という点で能力不足に陥る可能性がある。特に新しい科学の芽が若手研究者の中から生まれた例は科学史に多数表れており、これらの芽を正しく評価するには若手研究者が審査員として参加することが望まれる。科研費の第二段審査の審査員の構成では9割を国立大の教授が占め、出身大学や年齢構成、性別などの点で更にモノカルチャー的であり、科学の発展にとって極めて重要な概念である「多様性」の視点が明らかに欠落している。
 この「多様性の視点の欠落」は更に上位の審議会の構成にも表れている。例えば、科学技術・学術審議会の学術分科会(2001年3月現在)の構成員は24名いるが、このうち私立大出身者は4名にすぎない。産業界やマスコミの代表と考えられる委員4名を除くと20名が大学関係者であり、そのうち私立大出身者はわずか2名である。国立大出身の18名のほとんどは旧帝大の教授か教授経験者であり、年齢構成も著しく偏っている。したがって、そこで行われる議論の主題から、例えば私立大や地方国立大の視点が抜け落ちたとしても不思議ではない。
 科研費の審査に見られる問題は他省庁の競争的研究費も同様に含んでいる。各省庁の審査方法は科研費と類似の構造で行われる場合が多く、加えて科研費より小規模であるため審査体制が不十分であり、その公平性に関して不明朗な場合が少なくない。各省庁の出す競争的研究費にはそれぞれの政策目的があるが、研究費の配分審査は、政策の成否を握る最も重要な部分なので、研究の事後評価も含めたより一層の審査・評価体制の充実が望まれる。
 最後に競争的研究費によって行われた研究成果の事後評価について議論したい。現在、研究者は論文発表を行う際に研究費名を論文中に明記する必要があり、また、研究成果の報告書を文部科学省に提出する必要があるが、研究成果の客観的な評価は実質上行われていない。効率的な研究費の配分が行われているかどうかを判断するには、研究費を受給した研究者がどの程度の研究成果をあげているかを集計したデータベースが必要であり、そのデータを次年度以降の配分に反映させるのが望ましい。特に現在の状況では、複数の省庁から重複して研究費を受給している研究者が存在するが、それらが十分な成果をあげているかどうか把握できない。国内で科学研究費があり余っているわけではないので、過度な研究費の集中による無駄が起こらないよう配慮する必要がある。また、時代によって科学技術分野の動向にも栄枯盛衰がある。論文数が伸びつつある分野には研究費の増額を図る必要があるし、逆の分野では減額すべきである。現在のところ研究分野別の配分額や各大学ごとの科研費の配分額は年度ごとにほとんど変化していない。これは、研究の事後評価とそのフィードバックが行われていない証拠である。政府の危機的な財政状況の中で増え続ける科学技術予算を真に活用するには、研究費配分の審査において多様性とバランスを考慮した審査制度が必要であるし、研究の事後評価を行い、科学の各分野の変動や全体のバランスに配慮して科学研究費を配分するシステムが必要である。

II . 講演 佐藤 禎一
   日本の科学政策と研究費の問題(講演全文)

科学研究費の配分間に


 私は、竹内先生のお話にあったように、こういう科学研究費の問題が国立と私立という対比でお話として出てまいりますと、とても身構えてしまいます。それはどういう意味かといいますと、これは財政的な常套手段で、財政当局は「国立からお金を引っ張ってきて私学へ回そう」というような話になることが多く、また全体のパイを増やすということよりも、コップの中での分捕り合いにされてしまうことが多いので、身構えてしまうのです。
 しかし、竹内先生のご指摘にありましたことはいずれも大切なことでございます。基本的には先ほど統計で解釈は2つあると申しましたけれども、私どもは論文数が多い、つまり研究がアクティブであるというものに着目して審査をしているものと信じています。その他、昨年竹内先生の朝日新聞の投稿が出ましたあと、豊島久真男先生が1月26日付けでやはり投稿していますので、お暇があれば是非一度ご覧いただきたいと思っております。つまり、私学を差別しているというのは心外であるという観点から論をはっておられるわけですが、私からのアドバイスとしては、私学の側からも是非たくさん科研費に申請をして下さいということでございます。研究者の数は先ほど出された通りですけれども、申請される数は国立大学約6万件、私学からの申請が2万5千件でございます。ほぼその割合で結果が出ているというようなことになっておりますので、申請をまずしていただかなければ、話が先へ進まないという気が致します。
 某国立大学で昨年、学長が大変リーダーシップを発揮されまして、学内で配分する研究経費は、取ってきた科研費にマッチして出すなどという策を取られまして、実は先ほどの表でいきなり8番目に登場したというような大学もございます。たくさん申請をしようということから、そういう結果を生んだわけございます。
 もちろん申請をすればいいというものでもありません。私は基本的には全て科学研究費がアプライベースだけで処理をされていくということには、若干の疑念を持っておりますけれども、しかし科学研究費全体の思想が全ての分野について、研究者のキュアリオシティ(curiosity)というものを助けていこうということから、そのキュアリオシティを測るよすがとして、申請をされた数・実態・姿というものが一番確実にそれを測る一つの尺度であり、そのことを中心にして審査が進んでまいりますので、是非応募を増やしていただきたいということをアドバイス申し上げたいと思います。
 ご承知かと思いますけれども、全国7ブロックに分けて説明会を致しております。その間にリクエストがあれば、個別の大学に出向いて説明会をするというサービスも致しております。ただ学術振興会は、1,500億ぐらいの事業をしている割に職員は70名ぐらいしかおりませんし、科学研究費を担当しているのが十数名ほどでありますので、そうそう手が回るわけではございません。共同で呼びかけてくださったり、いろいろな機会を持っていただければ、手の許す限りご説明にあがりまして皆様の申請をしようという意欲を掻き立てる支援を申し上げたいと思っておりますので、どうぞリクエストしていただけるとありがたいと思っております。
 またモノカルチャーということでお話がございまして、この点については私どもいろいろな気持ちを持っております。この科学研究費の審査員というのは242の細目に分かれておりまして、その細目ごとに学術会議からの推薦を貰っているわけでございます。これはとにかく学会から意見をいただいて審査員を選んでいくというプロシデュアを取っておりますけれども、実は私どもから学術会議へお願いをするときには、教授・助教授だけでなくて、講師等についてもまた人がいなければ助手についても配慮して下さい、女性に対しても配慮して下さいなどいくつかのお願いをしております。もちろんアメリカのような徹底した姿ではありませんけれども、出来るだけ広い範囲から審査員を求める希望を持っておりまして、実は明日私ども学術振興会の中の科学研究費委員会がございまして、その中でそういったことを改めてご議論いただき、出来ればホームページ等で公開していきたいと思っております。これはまた明日どういうご議論になりますかわかりませんので、お約束するということではありませんけれども、私どもの気持ちとしては出来るだけそういったダイバーシティを組みこみ、またそれを世に広くお知らせしていくという努力はしたいと思っております。
 また、いろいろなプロジェクトで重複して研究費を得るというようなことがございましたけれども、そういうことについても今年から、特に大型の研究費についてはエフォートという形で、要するに重複をできるだけ避ける工夫を始めました。研究代表者等は常にチェックをしておりまして、重複をしないようにしているのですが、その分担者になりますとなかなかチェックが出来ません。しかし研究者がこの研究に対し、研究活動のうちの何割を投じているのかという割合を出していただくことで、各プログラム間の重複をできるだけ避けようと考えております。これはアメリカのNIH等ではつとに行われている手法でありますけれども、とりあえずは大変評判が悪くて、何分のいくつこれを研究しているなどと書けるものかということに次々文句がきておりますけれども、とにかくそういうことにできるだけ慣れていただいて、全体としての研究費を効率的に運用をしていただきたいと申し上げているところでございます。

基礎研究と実用研究

 さて、本題に戻ります。レジュメにいくつか用意致しましたが、もう一つ16日付の日経新聞の記事をお配り致しました(付録(1)公開研究会配布資料参照76㌻)。ちょうどタイミングがよろしいので、この日経新聞をテキストにし、レジュメに則してお話をしたいと思います。お読みになった方が多いと思いますけれども、改めてご覧いただきますと上の方にありますように、科学技術予算編成をめぐり基礎研究と実用研究のいずれを優先するかが争点として浮上してきたとあります。
 総合科学技術会議がまとめた来年度の予算配分方針に対し、科学者の間から「実用研究に偏っている」という不満が噴出しているということであります。また、産業連携の主導権を握ろうと経済産業省と文部科学省がさや当てをしているというようなことがリードでございます。国立11の大学共同利用機関の所長が総理あてに「基礎研究の重要性というものを十分認識して欲しい」という要望書を出しました。それは総合科学技術会議が決めました予算配分方針が、重点分野、つまり生命科学・情報通信・環境・ナノテクノロジーといった重点4分野に偏っているということに対しまして、目標設定が短期的過ぎるという批判をしているわけであります。総合科学技術会議の中でも予算編成が実益型に傾斜することへの異論が噴出し、6月中旬に開いた同会議議員と尾身大臣との定例会合で、黒田玲子議員から基礎研究の重要性を熱心に主張され、その結果「研究者の自由な発想に基づき、幅広く」基礎研究を実施するという文言が付け加わったというようなことが書かれてございます。
 最後の段にありますように、基礎研究に対しては不満がございまして、第1期の科学技術基本計画の中で基礎研究の重視ということをおおいに謳ってきたわけでありますが、「経済成長に結びついていない」との不満が強く、政府部内には産業競争力の強化につながる具体的な目的を持った研究を重視するとの意見が強まりつつあるというようなことが書いてあるわけでございます。今日の状況を大変的確に表した記事でございます。

総合科学技術会議の役割

 レジュメ(付録(2)公開研究会配布資料75㌻)に則してまいりますと、すでにご承知のように、今年の1月に総合科学技術会議というものが内閣府に設けられたわけでございます。これは全体として1997年の行政改革会議の報告を受けて今年の1月から実施をされました行政改革の一環としての措置でございます。行政改革では、大きく狙いは二つありまして、一つは政府全体の意思決定を総理大臣中心に効率的かつ迅速に応えられるような体制を整えようということで、もう一つは、政府の組織の肥大化を防ぎ、効率的な運営が出来るようにしようというようなことが謳われてございます。前者としては、総合科学技術会議や、あるいはこのごろおおいに話題になっております財政諮問会議の設置というものがそれに当たるわけでございます。
 後者は、ご承知のように省庁の再編成や局課の削減といった形で実施をされたわけでございます。その中で、科学技術推進体制として、総合科学技術会議(Council for Science and Technology Policy:CSTP)と称するものが置かれたわけであります。従来、科学技術庁に科学技術会議というものが置かれてまいりましたけれども、それを拡大した形で内閣府の中に設け、また担当する分野も人文社会科学を含め、全ての分野の科学振興に対する政策を立案する場所であるという位置付けになっているわけでございます。そしてまた、従来の科学技術会議は、科学技術庁および文部省が共同事務局になっておりましたけれども、内閣府の中に独立した事務局を設けまして、活動を開始しております。各省も、実は各省の目的応じた科学技術政策を推進しておりますけれども、その各省間での調整は文部科学省の職務だという位置付けになっております。なお、政府全体の科学技術予算の約64パーセントは文部科学省が担当しておりますし、また総合科学技術会議が認定をいたしました競争的資金、約3,000億円の約80パーセント強が、文部科学省が執行する予算となっているというのが今日の現状でございます。

総合科学技術会議の第1号答申

 それでは総合科学技術会議は何をするかということでありますが、今年の3月に第1号答申を出しまして、その中で使命というものを改めて定義をしました。第1は、内閣総理大臣のリーダーシップの下に策定する科学技術基本計画に示された政策が我が国全体として的確に実行されるよう、政策推進の司令塔になるということでありまして、第2として、世界に開かれた視野を持ちつつ、人文社会科学をも融合した知恵の場として積極的に活動するということであります。そして第3は、社会のための、社会の中の科学技術ということから、生命倫理など科学技術に関する倫理と、社会的責任を重視した運営を行う、こういう3つのことを基本的理念として掲げているわけでございます。なお、(3)にございますように、学術会議、学士院といった学術関係の組織の在り方については、現在総合科学技術会議において検討されているものでございます。これは行政改革会議の中で、学術会議の在り方については結論を生むことが出来ず、新しく出来たCSTPにその在り方を議論してもらおうということで、現在CSTPの中に分科会を置きまして、検討しております。
 なお、学術会議の実際の機能として私も先ほど申しましたように、学術振興会における科学研究費の審査員の推薦をしていただくとか、あるいは学術振興会法という法律の中に、学術会議との連携をしっかり持ちなさいということが明記されていまして、私どもも定期的な会合をもって意見交換をするというような形で連携をしていっているというのが実情でございます。世界的に見ましても、そういったカウンシルとアカデミーといったものがどういう活動をすればいいのかということはさまざまでありまして、それぞれの国の歴史を背負っていることから当然ではありますけれども、我が国においてその他の科学推進組織との連携をどのように図っていくのかということは、残された課題となっているところでございます。

第2期科学技術基本計画

 そこで、第2期の科学技術基本計画というものについてお話を進めてまいりますが、ご承知のように第1期計画というものは1996年から2000年度の5年間をカバーしてきたわけでございます。その計画の中では、社会的・経済的なニーズに対応した研究開発の強力な推進と人類が共有しうる知的資産を生み出す基礎研究の積極的な振興ということを基本方針としてきたわけでございます。そのために、ご承知のように5年間での科学技術関係経費の総額の規模を17兆円と見積もりまして、大変苦しい財政状況の中ではありますが、補正予算など総動員いたしまして17兆円という目標は確保することが出来たわけでございます。基礎研究の積極的な振興ということが大きなウエイトをもって述べられていたということは刮目すべきことであります。ただし、それは先ほどの新聞記事にありましたように、一方で批判もあるところでございます。
 第2期の基本計画は2001年から2005年までの5年間の間の成すべき事項を定めたものでございます。基本方針として4点のことが書いてありますが、研究開発投資の効果を向上させるための重点的な資源配分にするのだというものが第1点でございます。それから2番目には、世界水準の優れた成果のできる仕組みの追求とそのための基盤への投資の拡大ということが言われております。そして3点目には、科学技術の成果の社会への一層の還元。そして4点目には、活動の国際化の推進ということが言われているわけでございます。
 なお、2001年から2005年までの5年間における政府研究開発投資の総額の規模を24兆円と見積もっているわけでございます。これはGDPの1パーセントを、そのGDPは年率3.5パーセントで伸びてきた場合のGDPを基礎にして1パーセントで計算をしておりますので、財政当局は早くも3.5パーセントで伸びていくわけはないのだから、24兆円になるわけはないと弾を撃ってきていますけれども、私ども、私も含めて意図的に24兆円という数字を一人歩きさせておりまして、世界中に24兆円と見積もっているのだとアナウンスをして、後に引けないようにできるだけ牽引をしていきたいと思っているわけでございます。ただしかし、現在の財政状況の中でこの数値というものを発信することは必ずしも容易な目標ではないというのが実情ではございます。

重点分野の明示

 第2期計画の中で極めて注目をすべきことは、重点分野というものを初めて国として示したことでございます。これまでこのような分野を明示的にしましたことはございません。もちろんこの基本計画の中では、慎重にまず基礎研究の推進が大切だということを述べたうえで、4つの分野についての重点化を指摘しているわけでございます。先ほどご覧いただきましたように重点分野とされたものは、ライフサイエンス・情報通信・環境・ナノテクノロジー・材料、という4つの分野でございます。今日、世界の先進国はおおいに科学技術の競争をいたしておりまして、いずれの国もいずれかの形で、重点的な分野に対する重点的投資を行ってきております。そのいずれの国もほぼ同じような分野を設定しているという状況でございます。そしてまた、今回の計画の中では引き続いて国の存続にとって基盤であり、国として取り組むことが不可欠な領域として、あと4つの領域を挙げております。エネルギー・製造技術・社会基盤・フロンティアという4つの分野でございます。この4分野の解説はややこしくなりますので今は省略致しておりますけれども、4つの重点分野の他にこういった4つの領域を挙げているわけでございます。なお、急速に発展しうる分野・領域での機動的なかつ的確な対応ということが必要だということで、例示としてバイオインフォマティックス・システム生物学・ナノバイオテクノロジーといったような分野を例示として挙げているわけでございます。

競争的研究資金の拡充と評価システム

 併せて「科学技術システムの改革」ということを述べてございます。7点述べているわけですけれども、まずは競争的研究資金の拡充や評価システムの改革を含む研究開発システムの改革を進めるということを言っておりまして、競争的研究資金の倍増を図るということを言っております。先ほども述べましたように、3,000億円という競争的資金というものが一応登録されていますので、それを6,000億円にしようということが具体的な目標になるわけでございます。2つ目は産業技術力の強化と産学官連携の仕組みの改革、3つ目は地域における科学技術振興のための環境整備、それから4点目は科学技術関係人材の養成と教育の改革ということを言っております。5点目には科学技術活動についての社会とのチャンネルの構築、6点目には倫理と社会責任、それから7点目には基盤の整備といった諸点を挙げているわけでございます。このように重点分野を定め、またシステム改革についてかなり具体的な目標を掲げて、第2期の基本計画が定められているということが分かるわけでございます。ここで、実は先ほどの新聞記事に関わりますけれども、平成14年度の予算や人材の資源配分についての基本方針を総合科学技術会議は先ごろ決定をしたわけでございます。総合科学技術会議がこのような方針を示しましたということは、つまりは財政諮問会議が来年度の予算編成についての大枠を示すということに先駆けて科学技術分野からのメッセージを出そうということでございます。そういった意味では大変注目すべき手続きを取ったわけでございます。

科学技術振興の基本的な考え方

 意図といたしましてはそういう全体の来年度予算の議論が始まることに先駆けまして、科学技術振興についての基本的な考え方を示しておこうということでございます。問題はその中身で、重点4分野のことがずっと前へ出てきて基本計画では基礎研究がまず大事だと書いて4分野ということが書いてあったではないか、基礎研究はどこへ行ったのかという論を呼び、幸いなことに総合科学技術会議の中でも記事にありましたように、おおいに主張をしていただきました。そういう部分が挿入をされたということは救いでございます。いずれにいたしましても、ちょっと油断を致しますとその4分野というものが華やかに出てまいりますけれども、その基礎研究についての配慮がどこかへ行ってしまいそうな気がしてならないのでございます。これはやはり記事にもありましたように、例えば産業構造審議会の中でもやはり同じような基調と申しますか、産業の活性化、社会への貢献という意味からの研究活動の振興ということを強く打ち出してきておりまして、そのために大学の基礎研究としては、その在り方を中心に考えてみますと、いかがかと思われるような提案も出されつつあるわけでございまして、そういった意味でも幾重にもこれからも動きをウォッチしていかなければいけないという時期に来ているわけでございます。しかし、そもそも先ほどちょっと申しましたように、世界中がある意味ではこういった研究活動というものが、そのそれぞれの国や社会の発展・競争のための装置として組み込まれている感が非常に強いのでございます。そしてまた、公的なお金を投入する以上、それを社会に還元しようということはまた当然のことでございます。したがって、重点化をし、効率的な投資をし、またある程度見返りを求めて行くというのも、これは否定できないことだろうとは思います。

長期的視点に立った学術研究

 しかし、一方大学を中心に行われております学術研究は、その基盤を成す多くの研究者を育て、そしてまた長期的な視点から立って研究活動を実行しているわけでありますので、それを短期的な評価等々から役に立たないものだというふうに切り捨てるという議論がもしまかり通るのであれば、これはゆゆしきことでありまして、今日大木として育っております多くの研究も実はどう育つか分からない段階があり、もやしのような研究を育てていって、そのもやしの中から木になり、大木になりというふうに育っていっているわけでありますから、その源を絶つようなおろかな選択をしてはならないということについて、いろんな機会に実は主張していかなければならないと思うのでございます。正直なところ、私どもが主張すれば学術振興会という組織防衛とか予算確保のために言っているのではないのかというような見方をされる向きもございます。これはむしろ皆様方の研究所であるとか、いろいろな学術の世界で是非声を出していただいて、基礎研究というものについておろそかにしてはならないということを強く主張していただきたいということをこの機会にお願いを申し上げたいところでございます。

公的財政支出の確保

 さて、以下いくつか検討課題例を書いてございます。研究活動に対する公財政支出の確保ということが最初でございます。社会が研究活動にどの程度の投資を行っているのかということは、その社会の研究活動振興の熱意を示す大変重要な指標でございます。日本における状況はよく知られておりますように、全体の投資額は実は世界のトップグループの中におります。しかし、公財政による投資額は誠にお寒い状況でございます。また、大学セクターに対する公財政支出の立ち遅れということはつとに示されておりまして、先進国の半分くらいの投資にしかなっていないというようなことが常に言われてきているわけでございます。幸いなことに、先ほど申しましたように、難しい目標ながら第2期基本計画の中で、対GDP比率を1パーセントという目標を設定できたことは大変良いことだというふうに思っております。しかし振りかえって、どの程度の投資が必要であるかということについては、必ずしも十分な検討が積み重ねられているとは言えない状況ではないかと思います。この問題は、研究投資が社会にどのような利益をもたらすのかという分析とうらはらになるものでございます。

基礎研究と重点投資の両立

 研究投資ことに基盤研究につきましては、その投資効果を短期的な視野で算出することは可能ではありませんし、また適当でもありませんが、引き続きしかし、どのように役に立っているのかについて、何の主張もできないということでは困るわけでございまして、関係者の研究が進むことを期待したいのでございます。2つ目は、重要分野への対応と基礎研究の重要性というものをどう両立させていくかということでございます。国家的・社会的な要請を的確に捉えて、それに応えて、重点的に研究を推進するということはもちろん大切でございます。国際的にも「共生とともに競争する」、こういう難しい時代にあるわけでございますけれども、それぞれの社会を豊かにし、その発展を支えていくということが、社会全体による研究の支援の重要な根拠となっているということは論を待たないことでございます。しかし、そのことは研究経費の全てを重点分野に投じるということにはならないのでございます。なぜなら重点分野といっても、この急速な変化の時代にあって常に見直さなければいけませんし、またあらゆる分野の研究から思わぬ発展をもたらす可能性が多いからであります。長期的な視野に立つとともに、ある程度直接の効果と結びつかない研究を支援していくという必要もあるわけでございます。繰り返しになりますけれども、第2期の科学技術基本計画の中で、まず基礎研究の推進を経て、研究者の自由な発想に基づき、新しい法則・原理の発見、独創的な理論の構築、未知の現象の予測・発見などを目指す基礎研究を人類の知的資産の拡充に貢献すると同時に、世界最高水準の研究成果や経済を支える革新的技術のブレイクスルーをもたらすものだとして、その一層の重視と推進を掲げていくのでございます。

大学の説明責任

 しかし、「何の役に立つのかわかりませんが、とにかくお金を下さい」というほど甘くはないのはもちろんでございます。基礎研究についても、その評価と説明責任というものを免れるということは言もまちません。具体的な資金の配分をどのようにしていくかということは難しい課題でございます。この問題はその基礎研究の多くを担当する大学セクターの活動をどのようにサポートすべきかという課題と重なるわけでございますし、大学の機能そのものが、教育・研究・社会の連携といった多様な要請に応えているものとなっている。そういうこととも関連をして大学が世の中にどのように応えていくのかという角度からの問題とも重なってくるものでございます。3つ目はこのこととも関連しますけれども、大学に相応しい学術研究助成システムの確立をするということでございます。具体的なご提案は先ほどの竹内先生のお言葉も含めまして、なおいろいろと改善をする余地のあるところでございます。このような大学の活動につきまして、長期的な視点からの支援が不可欠である一方、今申しましたように評価や説明責任という仕組みにも対応していかなければならないのであります。

大学の研究者のキュアリオシティ

 しかし、大学におけるそれぞれの研究者の発表は、基本的にはそれぞれの研究者のキュアリオシティに根ざすものであります。それらの熱意をボトムアップスタイルで受けとめていく仕組みを欠くことになってはならないと思うのでございます。そのため、ピアレビューという評価システムを生むものでありまして、研究費配分の手続きにあたって研究者の大幅な関与を要請するものでございます。進んで研究投資を行うべき分野の設定といった場面でも、実は研究者の参画を求めるということが必要になってこようかと思います。そう意味では、実はこれまで経験してまいったわけですけれども、未来開拓は、分野の設定はいわばトップダウンなのですが、そのトップダウンは行政的なトップダウンではなくて、研究者がそのトップダウンすべき分野を決めるという、そういう経験を積んできたわけでございます。その経験を今後学術創成、新しく13年度から出来ました学術創成などで引き継いでいこうと思いますし、そういった経験の積み重ねというものを引き続き活かしていくことが必要であろうというふうに思うわけでございます。

諸外国の研究費

 ただ、現実には非常に難しい状況もあることもまた一面言えます。先ほど数字でも出ましたけれども、我が国の申請件数は約10万件、それに対して、NSFに対する申請件数は3万件、NIHもほぼ同数3万件でございます。この5月に、アメリカでG8各国のリサーチカウンシルのヘッドによる会合がございまして、私も日本の代表として参加させていただきました。NSFの長官やCNRSの長官、英国のRCの責任者、そういった方々がお見えになったわけですが、ご飯を食べているときに、一体科研費の申請件数はいくらあるのかといった議論になって、「100,000(one-hundred-thousand)」と言ったら、「おまえ今言い間違いじゃないのか。」と「10,000(Ten-thousand)の間違いじゃないのか。」とずいぶん皆に言われまして、「いやいや、そうではないんだ。10万件なんだ。」ということを言いましたら、「それじゃあちゃんとした審査できないんじゃないの?」とまでは言わなかったですけれども、大変大きな疑問を持たれたということを感じたわけでございます。先ほどのお話に出てまいりましたけれども、利根川先生もこの前会いましたら、「第1次審査は多いときには200件くらい持っている。そんなものは審査と言えるのか。」という強いご批判を利根川先生はなさっておられます。もちろん、その200件というのも真面目に取り組んで審査をして下さっている先生ばかりでありまして、実はその「多くていい加減になっているのではないか」という批判があると言ったら、むきになって我々は怒られる始末でありますから、きっと一生懸命なさって下さっているのですが、しかしそれはやはり限度というものがあるので、その辺は少し考え直していく必要があるのかなあという気がしております。

科学研究費の改革

 これは私の全く個人的な考えですけれども、今の科学研究費というものはいろいろな性質の経費がございます。純粋に研究支援の経費と、それから研究者支援、研究者の養成を支援しているというような性質の経費とあるわけでございます。私の考えでは、少しその2本立てを明確に区分をしていって、やや大型の研究支援については、大変金額を多くし、ある程度一定期間の保障もするから件数は少なくして、その審査は誠に厳正にし、中間評価・自己評価ということもかっちりやっていった方がいいのではないのかと思いますけれども、若手の研究者養成のような経費については、そんなに厳しい審査をしなくても、ある程度多くの人に行き渡って、しかしその研究の成果が文書で戻ってきますと、それを見ただけである程度の評価はできるという研究者の方も多いわけで、そういうものは少しラフな形で審査をするという形で、全体の姿・形を整えなおした方がいいのではないかと思っております。また、合わせて審査体制についても、私ども74人の定員で10万件こなしておりますが、NSFは3万件に対して、パーマネントの職員で1200人、契約職員を入れると1,500人の職員であたってございます。随分職員数が違いますし、私も1978年に一年NSFに行っておりまして、おおいに参考になりましたのは、やはりそのプログラムマネージャーという形で研究者が日常的に目配りをしているという体制であります。おおいにその辺は参考にすべきだと思いまして、出来ることならば今、学術振興会でもパーマネントに定員を増やすということは難しいのですけれども、研究者がある程度日常的に目配りをしていただけるような体制を整えたいものだという希望を持っているところでございます。

大学に相応しい審査の在り方

いずれにいたしましても、大学に相応しい審査の在り方というものを模索していくべきであろうと思うわけでございます。ただまあ、若干悩みを持ちますのは、今までは研究者のキュアリオシティを推し量って、ボトムアップでやってきた。したがってその好奇心を、特にどれだけあるのかというものを測るのは、専らアプライ(申請)の数、アプライの分野であるということで、全ての配分、審査等はアプライがベースになってございます。したがって、研究費を配分するというときにも、出された申請の件数で分野別に割り振りをして、分野別の件数に応じて配分をしていくというやり方をいたしております。これは非常に徹底をしないやり方で、そうやっている限り文句の言いようがないのでありますけれども、それだけでいいのかなというのが疑念を持たないわけではありません。つまり、意図的に一定の分野を推奨していくというような活動がないものかどうか、つまり先ほど申しましたように、未来開拓などで培ってきた研究者が、ある程度トップダウン的な仕組みを持って定めていくということが可能ならば、一定の分野はそういう方式を併用することも必要なのではないかと感じておりますけれども、目下のところあまり大きな賛同者は得ていないという状況でございます。4点目は、人文・社会科学を含めた総合的な研究活動支援ということでございます。これはどうも今更言うまでもなく、1つには研究課題そのものが複雑多様化をいたしまして、従来の分野構成では押さえきれない発展を遂げておりますので、分野を越えた融合的・横断的な取り組みが必要になっているということでございますし、また別の角度ですけれども、今ひとつには複雑化した現代社会の中では、科学技術の不適切な利用や管理によって人間の生命・身体の安全を脅かすというような負の側面があると思いますので、社会とのコミュニケーションや倫理観の確立のために、人文・社会科学的な見地が必須となってきたという要素も別の角度からあろうかと思います。  一応このことはもちろん理念としては口を酸っぱくして従来の学術審議会でも言われてきていることでありますし、また、今度の総合科学技術会議もすでに科学技術を総合的・俯瞰的に展望して、人間社会や自然科学環境との調和を図っていくために極めて大きな意義を持っていると謳われてございます。こういった理念的なコンセンサスは誠に十分でございますけれども、具体的な取り組みということになりますと、どうもいまいちひとつ積み重ねが少ないと感じられるわけでございます。どちらかというと知見を積み上げていくといった手法が多い人文・社会科学の場合に、自然科学と同じような手法で論ずることのできないという面もあろうかとは思いますけれども、具体的にどういう振興をしていけばいいかという提案がいただきたいものだというふうに思うわけでございます。

長期的視野に立った研究者の養成

 最後は、長期的視野に立った研究者の養成ということでございます。今、一部お話をいたしましたけれども、研究者の養成については、従来主として大学の、大学院レベルでの教育機能とされまして、これをサポートする政策の充実を図って参りました。基本的は、このことが中心的な政策であることは変わりないと思います。しかし、研究者の養成は長期的視野に立って、幅広い政策を積み重ねて、組み合わせていくということが必要ですし、大学の機能だけでいいというわけにもいきません。この問題は、初等・中等教育段階における理数科教育の充実ということから始まりまして、現在行われております奨学(スカラシップ)や、既存のフェローシップとの見直し、あるいは大学以外の研究機関との連携、あるいは研究者の人事政策、研究助成政策、そういったものを総合的に考えながら、多様な形で養成という視点を絞った政策を充実させていくことが必要であろうというふうに思うわけでございます。それだけにこの問題は多様な大学の在り方ということとも関連いたしまして、大学の運営システムを含む大学の在り方の改革を推し進めて考えていかなければならないと思うわけでございます。 今日行政改革の中で若干心配しておりますのは、今までの大学審議会が解散になりまして、中央教育審議会の大学部会とそれから科学技術学術審議会の中の学術分科会に分解いたしまして、意識としては、中央教育審議会は教育面、科学技術学術審議会は学術面だけを論じている傾向があるのではないかということについて、私はかなり警告を発しているのでありまして、その両者にはかなり深い結びつきがあるわけなので、それは中央教育審議会におかれた大学部会によってもちゃんと研究活動も含めた大学の在り方について論ずべきであるし、必要とあれば科学技術学術審議会との連合審査などという工夫によっても総合的な検討をしていく必要があるということを提案してきておりますけれども、大学のあり方と関わってこのことをよく考えていく必要があるのではないかと思うわけでございます。

共生と競争

 先ほど申しましたように、現在の社会は「共生と競争」というものが同時にあります。仲良くしながら、競争しましょうというのですから、大変難しい世の中になったものでございます。ご承知のように1980年代に世界の先進各国は競って教育改革に取り組み始めました。我が国でも臨教審が84年~87年にあったわけで、アメリカのでは危機に立つ国家報告があり、あるいはイギリスやフランスでも教育法を改革していろいろな教育改革に取り組んできています。それはおそらくそれ以前に100年に渡って構築してきた公教育システム、そういった公教育システムというものが取りも直さず工業化社会に最適化したシステムとして確立し、成功し、一定の成果を収めてきた。しかし、世の中は工業化社会から脱工業化社会へ進んで、新しいシステムがいるのではないかという共通の意識が生まれてきたからだろうと思います。20年経ちまして、1999年のケルン・サミットで突如として教育問題というものがサミットの議題に取り上げられ、サミットは基本的には経済サミットでありますので、教育問題は取り上げられることなど一度もなかったのですが、初めてそこで取り上げられました。ケルン憲章というものを出して、"Life Long Learning"(生涯学習)というものがこれからのパスポートであると謳ったわけですけれども、それは「共生と競争」の時代にあってそれぞれの国内問題と指摘せられてきた教育問題についても、世界で知恵を出し、共生しあいながら競争していかなくてはならない、そういう時代に入ったことを如実に示すのではないかと思っております。そういう意味で知恵を出し合いながら、激しく競争していく時代に突入してきたということについては、いろいろな意味で考えさせられる点が多いわけでございます。
 若干本題に外れますけれども、今日ひとつ問題なっておりますのは、WTO(World Trade Organization)の中で、サービス貿易というものが取り上げられてまいりました。サービス貿易の自由化ということが言われ、サービス貿易はもちろん教育サービスを含むのでございます。WTOはラウンドを立ち上げるのには失敗致しました。ご承知のように、大変な反対運動にあって、ラウンドの立ち上げには失敗致しましたけれども、実はサービス貿易と農業分野の貿易については、それにもかかわらず閣僚会議を開いていこうということに合意をされています。そして、特に教育サービスについては、アメリカ側から強い提案がありまして、自由貿易の考え方に則ってサービス貿易について、余計な障壁を設けるのではないぞということが言われているわけでございます。
 それだけに注目されますのはいくつかのモードに分かれているわけですけれども、利用者が国境を越える、つまり留学生といったモードとサービス機関が国境を越えるといった、つまり外国大学の分校といったモードの他に、サービスだけが国境を越える、つまりインターネットによる教育が侵入してくるというモードを特に設定しておりまして、特にそのことを中心にアメリカの大学がご承知のように大きな発展を遂げつつあり、そしてまた各国に出かけてこようという、言ってみれば「黒船の来襲」のような状況になりかけているのでございます。これは大変なことでありまして、しかしその質のいい教育活動や教育サービスがその国に来るのになぜ反対をするのかと言われますと、原則論として反対をすることがなかなか難しい。したがって私どもは質の悪いものが来たら困るので、"Quality assurance"、そして、Consumerのprotectionという観点が必要だ。欧州の諸国は"Cultural Diversity"、つまり英語だけに席捲をされたらかなわないというようなことを論点としておりますけれども、しかしこれらは、基本的にはそんなに持ちこたえられる話ではない。
 基本的には日本の大学が非常にしっかりして、その活動をもってアメリカにでもどこへでも出かけていかれる実力を持たなくてはいけないというのが根本的な解決であるということには疑いを持たない。これは教育サービスだけに限らず、あらゆる活動というものが手広く国境を越えてやってくるというような時代にも差し掛かろうとしているわけでございます。そういった意味で我々皆で知恵を出して研究活動についても全体のパイをきちんと確保して、実力を蓄えていくということが是非とも大切なことでございます。もちろん、竹内先生のおっしゃった審査・その他のあり方について、不断の改善を整えていくということはもちろんでございます。もちろん、おっしゃったこと全部に賛同しているわけではなくて、反論もあるのですが、今は省きます。私としては、全体のパイを是非大きくしていくということについて、皆で力を合わせていきたいということを改めてお願い申し上げまして、私のお話を終わらせていただきます。
 どうもありがとうございました。

III . まとめ 米澤 彰純
    日本の科学政策と研究費―第6回公開研究会の議論から


 去る7月17日、当研究所第6回公開研究会が行われた。今回のテーマは「私立大学における研究費の確保をどうするか」というもので、早稲田大学理工学部の竹内 淳助教授と、日本学術振興会理事長・前文部事務次官の佐藤禎一氏の話を伺った。当研究所の喜多村和之主幹は、今回の研究会の背景として、日本の21世紀は、学術・科学技術政策の振興にかかっており、このためには研究資源が必要で、これを根底から支える科学研究費補助金(科研費)をいかに確保するかは官民共に最重要な課題、とりわけ、学生納付金に大きく依存している私立大学にとって極めて切実で困難な問題であると語った。本稿は、研究会での議論を筆者なりのコメントを交えながら要約する。
 竹内氏の議論の中核は、国の科研費の配分に官民格差があり、そのことが日本全体の研究能力を弱めているのではないかという問題提起である。氏は、日本において官界と学界だけが国立大学出身者が多いという議論から始める。現在高等教育卒業者のマジョリティが私学出身者であることを考えれば、これは当然であり、氏は、日本の高等教育の重心は私立大学にある、そこをよくしなければ日本の高等教育はよくならないと主張する。他方、研究業績を見た場合、特にデータベース等で集計可能な論文数では国立大学の明らかな優位が証明される。氏は、学生・教員の資質に国立と私立の差はないとの前提にたった上で、その研究のあり方の圧倒的な違いをインセンティブの問題であると言う。氏は、日本の中でもっともオープンに近い中核的研究費である科研費をとりあげて議論を進める。まず、採択率では国立と私立のトップ校の間に大きな差はないのに、1件当たりの配分額に差が見られることを示した。また、科研費の額と論文数は非常に強い相関がある一方で、東京大学や京都大学といった科研費総額の大きな大学で研究費あたりの論文生産性の飽和傾向が認められる。具体的には、東大は1億円あたり30件の論文が生産され、早稲田大学や慶応大学では、1億円当たり50件となる。これを非常に単純に考えれば、論文を書いている割に科研費をもらえていない、すなわち、公平ではなく、私立大学に集まる多くの才能を十分に活用していないことになる。竹内氏はこの背景として、日本学術振興会の審査プロセスの問題点を指摘する。第一は、過去の成果に縛られるため、一度できた官民格差の構造が再生産される傾向があること、審査委員の8割以上が国立大学の、それも圧倒的に50代以上の男性の教授に偏っていることである。一方、近年の申請数の増加にも関わらず、10万件の申請をたった4000人で審査していること、これに対して、未確認とした上で米国のNSFでは3万件の審査に3万人が動員されており、かつ、審査員に多様な年齢、職層、性別、障害者等が含まれることが紹介された。
 氏の議論は、基本的には私立大学に対して研究費を増やせば研究成果はあがるというもので、単純なだけに説得力がある。同時に、テクニカルなコメントを述べれば、データの制約があることを認めた上で、もともと研究費の多い理工系・医歯系のシェアが高い国立大学と、そのシェアが低い私立大学の間で1件あたりの額を比べることはどうみても乱暴で、『採択一覧』の分野別集計などを行う工夫が考えられること、博士課程や研究者養成に議論を絞れば、研究の中核を握るこれらの人々は現在も国立にマジョリティが在籍していること、私立大学では、学費の競争力が高い社会科学系に比べてそうではない理工系・医歯薬系では比較的強い志願者の国立志向があること、また、これは佐藤氏からの指摘であるが、そもそも私立大学の教員が申請に熱心でない傾向があること、東大・京大の生産性の低減・飽和状況は、慶伊富長氏(北陸先端科学技術大学院大学前学長)が指摘したこれ自体がnaturalな範囲であるという解釈以外にも、これらの大学は複数の大学の研究者にまたがる大プロジェクトの研究代表者になる傾向があり、これらの研究費が該当大学内ですべて使用されているとは限らないという反論が可能なことである。これらの点を差し引いても、氏の、このような問題提起や発言を私学の人がもっとしていくべきだという主張は説得力があり、オープンな議論を重ねていく必要がある。
 続く佐藤氏の議論は、国公立と私立とをあわせた、全体の研究資金のパイをどうに増やしていくかということに力点が置かれ、現在の学術研究における振興政策の概要が手際よく紹介された。氏はまず、省庁再編成と学術研究振興体制の動向として、総合科学技術会議が内閣府の中に創設された経緯を説明した。これは人文科学を含めたすべての分野を視野に入れ、省庁横断的に科学技術政策の強化を狙ったものである。次に氏は、第2期科学技術基本計画の概要について説明を行った。科学技術基本計画の第1期は1996~2000年を対象とし、社会的経済的ニーズに対応した基礎研究を重視し、5年間の科学技術予算の総額規模17兆円という目標を実現した。今回の第2期では、科学技術の成果が社会へ一層還元されることが求められると同時に、GDPの1%にあたる予算規模の確保という新たな達成目標が与えられた。また今回の計画では、重点分野の設定を国としてはじめて示した。重点分野としては、ライフサイエンス、情報通信、環境、ナノテクノロジー(超微細技術)・材料の4分野が示された。これについては、学術関係者から「目標設定が短期的すぎる」と批判され、「研究者の自由な発想に基づき、幅広く」基礎研究を実施するとの文言が与えられ、引き続き基礎研究重視の方針が貫かれている。その一方、システム改革の提言もなされ、競争的研究資金の拡充や社会とのチャネルの構築などが模索されている。最後に、学術研究振興上の検討課題例として、(1)研究活動に対する公財政支出の確保、(2)重要分野への対応と基礎研究の重要性、(3)大学にふさわしい学術研究助成システムの確立、(4)人文・社会科学を含めた総合的な研究活動支援、(5)長期的視野にたった研究者の養成というポイントが語られた。
 では、私立大学がいかに研究費を確保するか、というとき、佐藤氏の、そもそも科研費のシステムは設置者間の区別をもたず、分野間の配分も含め、基本的には配分は申請件数の分布によって決まるという方策が貫かれているという指摘は重みがある。竹内氏は、これに対して、長い歴史の中で私立大学の教員が科研費の申請へのインセンティブが冷却されてきたのだという反論を行っているが、まず、申請数を増やそうという行動自体は、現在の中でかなり有効な手段だと考えられる。筆者が知る一例としては、朝日新聞社の大学ランキング調査で教員1人あたりの科研費配分額で私立大学のトップにたつ豊田工業大学をあげることができ、これは大学側が近年外部資金取得のための戦略的行動に乗り出したことの成果であると考えられる。
 また、私立も国公立も含めて、科学技術の振興を訴えること自体は大変崇高な使命の文章化も含め努力が図られる一方、具体性に乏しいという指摘も私学関係者が共有すべき問題であろう。最後に、佐藤氏自身があまり賛同が得られていないとした、大学関係者によるトップダウン的な重点的配分の可能性については、フロアからも質問が出たが、学術会議自体のやや保守的な構造を含めて、どれほど実効性や正当性があるかは、かんり難しい問題ではないかと感じられた。アバウトな感想としては、科学技術の研究の話は、そもそも市場や経営的発想にのりにくい、学問共同体としての「夢を語る」部分をどうしても含む。財政的にシビアな状況におかれ続けてきた私学経営者がこのようなとらえどころのない研究面ではなく、確実に需要が存在し、市場をとらえることができる教育面に、経営の重点を置き続けてきたことは偶然ではあるまい。今私学に求められているのは、その厳しい経営状況に関わりなく、「研究資金をいかに確保するか」という問いではなく、「研究という人類の夢を語る作業に、いかに関わっていくか」であるのかもしれない。

*** 「公開研究会講演録及び関連資料」部分は割愛しました。 ***