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■愛知学院大学 小出有三と学院本館
名古屋市内にある(学)愛知学院本部は、1928年に建設され、現在文化庁より「貴重な国民的財産」として登録有形文化財に指定されている。その中央にあるのは愛知学院大学創設者・初代愛知学院長小出有三の銅像である。 |
■北星学園大学 サラ・スミスとライラック 毎年、そのやさしい色彩と甘い香りで北国に初夏の訪れを告げるライラックは、北星学園の創設者であるサラ・C・スミスが1890年に故郷アメリカのエルマイラから札幌に持ち込んだのが最初であると言われている。その後、市内に広がり、1960年には市民の投票によって「札幌の木」に選ばれた。 |
■北陸学院大学 メリー・ヘッセルと鐘 【メリー・ヘッセル】 |
■大東文化大学 平沼騏一郎と大東文化学院 (学)大東文化学園の源流は、1923年の大東文化協会の設立にさかのぼる。同年、協会の主目的であった漢学を主とする東洋文化復興を振興するため、私立専門学校として大東文化学院が設置された。 |
■東京電機大学 丹羽保次郎とファクシミリ ファクシミリ開発者が、東京電機大学の初代学長の丹羽保次郎である。 |
■関西外国語大学 谷本多加子と万代池 関西外国語大学には、二つの万代池がある。 |
■プール学院大学 プール主教と女子教育
プール学院大学は、イギリスの聖公会系の大学で、1879年に前身の「永生学校」が大阪の川口居留地に設立され、今年は創立130周年の年に当たる。今は共学だが、設立当初は女子教育が主体だった。 |
■鎌倉女子大学 松本生太と思い出の品 鎌倉女子大学の創設65周年を記念し、同大大船キャンパス図書館棟一階展示サロンにおいて「学祖・松本生太先生と鎌倉女子大学の歩み」展が催されている。同展は、学祖・松本生太と千枝子夫妻、また二代学長・松本 尚と紀子夫妻所縁の品々の展示、また今日までの同大の歴史、学部体制、各施設の紹介パネル、その他学園の歴史に関する展示品などで構成されている。 |
■京都光華女子大学 大谷智子と「真実心」
京都光華女子大学を擁する(学)光華女子学園は、1939年、東本願寺の故大谷智子(昭和天皇妃香淳皇后の妹君)の「仏教精神に基づく女子教育の場」をとの発願により設立された。 |
■東京理科大学 創設者21名とキャンパス壁画 東京理科大学の基礎工学部生が一年次を過ごす北海道・長万部キャンパスには、同大の創設者21名の肖像壁画が掲げられている。 |
■玉川大学 小原國芳と心の交流 【学長との対話】 |
■東京家政大学 渡辺辰五郎と裁縫技術 学校法人渡辺学園(東京家政大学)校祖・渡辺辰五郎は裁縫に関して「雛形尺」「袖形」「褄形」を考案した。「雛形尺」は鯨尺一尺(約38センチ)を三寸五分(約13.2度センチ)に縮尺したもので、半紙1枚の長さが鯨尺二尺となる。これは半紙を縦2枚に切ってつなげ、その幅を反物幅と仮定して一つ身、3枚で三つ身、6枚で本裁大人物1枚を裁つ縮尺で、極めて経済的配慮により教育的効果を上げた。渡辺式裁縫の大きな特徴でもある。当時、辰五郎が自宅裏の藪から竹を切り出し、ヤスリで目を入れ、くに夫人がこれに墨を入れて無料で生徒に配り、授業に使用した。この雛形尺は、後の度量衡制定の際、私製品としてはただ一つ例外的に認められた。 |
■東京工科大学 片柳 鴻とロマンあるキャンパス 学校法人片柳学園(東京工科大学)の理事長、片柳 鴻が大学設立計画を開始したのは昭和47年のこと。キャンパス設計にあたっては、高度化する情報化社会における技術革新や国際化が叫ばれる中、学園創立以来掲げてきた「理想的教育は理想的環境にあり」という理念に基づき、時代に応える教育にふさわしい環境を整えるべく様々な工夫を凝らした。たとえば、都市ガスを利用した発電装置による省エネルギーシステムや高度な情報通信機能、自動制御システムなどを導入。また、建築面においてもアメリカやヨーロッパ諸国の近代的キャンパスを数多く視察するなど、理想的な環境を整えるために奔走した。加えて、緑豊かなキャンパス内の随所に彫刻などの芸術作品を設置し、学生たちが卒業後も、誇りと愛着を持って想い起こせるロマンあるキャンパスを念頭に建設に全力を傾けた。そして、14年の長期にわたる準備期間を経て、昭和61年に東京工科大学を開学させた。 |
■中村学園大学 中村ハルと“努力” 「努力の上に花が咲く」―学校法人中村学園(中村学園大学)の創立者、初代理事長である中村ハルが、晩年若い世代の学生達へ贈り続けた言葉である。 |
■京都外国語大学 森田一郎夫妻とおもてなしの心 京都外国語大学の創立者・森田一郎は、人と人との出会いを大切にし、生涯ひとり師のみでなく、他の人々に対してもこの姿勢は変わることがなかった。 |
■国士舘大学 柴田徳次郎と大講堂・創設期 【歴史伝える大講堂】 |
■梅光学院大学 ヘンリースタウト夫妻が遺したもの
明治2年、すべてが東京へと集中する時代、同学院の創立者・ヘンリースタウト博士夫妻は、アメリカから長崎の地に降り立った。はるか東京から離れ、いまだキリシタン弾圧が残るこの土地で私塾を開き、神学教育と女子教育を志したのだ。スタウトは、約40年間にわたって苦難の中で神学校設立に奮闘した。しかし、この運動は南日本伝道会社などの賛同を得ることができず、その志は叶わなかった。傷心のまま帰国するスタウトを見送ったのは、たった二人の日本人と一人の外国人だけであった。 |
■京都ノートルダム女子大学 シスター・ユージニアと日本での教育
シスター・メリー・ユージニア・レイカーが京都に是非カトリック校を設立してほしいという日本からの熱望に応えて、当時のアメリカ・セントルイス管区の管区長マザー・エヴァンジェラおよび3名の同僚のシスター達と日本に到着したのは昭和23年11月28日であった。今日と異なり、アメリカから日本への空の旅もそのころはプロペラの飛行機で、ウエーキ島などで給油しながら30時間ほどかかった。 |
■桜美林大学 清水安三夫妻と二つの学園 学校法人桜美林学園(桜美林大学)の創立者である清水安三は、中国・北京の朝陽門外に大正10年、地域の貧しい子女教育のために「崇貞学園」を設立した。しかし、この学園は、日本の敗戦によって中国政府に接収されることとなり、清水安三・郁子夫妻は、日本への引き揚げを余儀なくされた。 |
■福岡歯科大学 ヒポクラテスの木と校歌によせる想い 【ヒポクラテスの木によせて】 |
■福井工業大学 金井兼造と技術者養成 学校法人金井学園(福井工業大学)の創立者・金井兼造(前総長・学園長)は、27歳当時、戦後の復興と繁栄には技術者の養成が急務であると考えていた。そして、当時の北陸三県には電気技術者を養成する学校がなかったこともあり、昭和24年に無線やラジオの知識を教える夜間学校、北陸電気学校を創立。これが今日の学園の礎になっている。 |
■聖徳大学(聖徳学園) 川並香順と愛犬リキ (学)聖徳学園の創立者川並香順は、日本私立幼稚園連合会理事、東京都私立幼稚園協会理事、全国幼稚園教員養成機関連合会副会長、東京都保育学校協会副会長等に就任し、多忙な日々を送っていた。 |